▽こんこん7-3 獣の運命
「レョル君。どこに行ってたんだね」
「警部のご指示通り、聞き込みを行っておりました」
明らかに立場が上と思われるビゲド警部に対して、レョルは臆することなく言い返す。
「しかし、被害者が目を覚ましたと連絡しただろう。優先順位を見極めなきゃあ」
「重要な証言でしたので。その点については後でお話します」
ビゲド警部はまだ何か言いたげだったが、レョルは会話を切り上げて、リヒュの傍までツカツカと歩いてきた。冠を操作して、警部が見せたものと同じ警察関係者の証明書を提示する。
「はじめまして、リヒュさん。俺はレョルというもので、こちらのビゲド警部の相棒をしている」
どうやら前に会ったのを覚えてないらしかった。なんとなく気に入らない感じがして、怠慢を指摘してやろうと、
『一度会ってますよ』
と、冠で発言する。
「ほう? 人を覚えるのは得意なほうなんだが、どこで会ったかな」
ロロシーの家の前。けれど、今はロロシーという名前を出すのは躊躇われたので、少し言葉を濁して、
『僕はあなたの妹のメョコの友人です』
「そうか」と、返事したリョルの目はやや攻撃的な輝きを帯びた気がした。
「警部。もう聴取は終わったんですか」
「ああ。帰るところだ。君もきたまえ」
「ええ。分かりました」最後にリヒュの顔を覗き込んで、「また、何か話を聞きにくるかもしれない」威嚇ともとれる笑顔。ネコがひげ袋を膨らますような表情に、リヒュはやっぱりトラみたいな人だと改めて思う。
リョルは、ばっ、と顔を上げて、髪をさらりとはためかせると、警部の後に続いて部屋を出ていった。
一人になったリヒュは浅く息を吐き出して、天井を見つめた。それから冠を操作して、溜まっている通知に目を通す。自分はずいぶん長い間、眠っていたらしい。メョコやギーミーミ、プパタンなどの知人から心配の声が何通も届いていた。それらに目を通し、返事を送る。ロロシーからの連絡はない。こちらから連絡してみようか、と思って試してみたが繋がらなかった。
ピュシスを起動しようとして、やっぱりやめる。
目をつぶる。エアダクトが部屋の空気を循環させる音がはっきりと聞こえる。ダクトを通った向こう側で話す人の声すら聞き取れそうな気がした。口のなかを舌で探る。自分の歯の形をなぞる。泥饅頭のような食物を食べるのには不要な、鋭く尖った歯。
やっぱり、あれ、はロロシーだったに違いない、とリヒュは思い直す。ロロシーであると同時に肉食動物でもあった。
喉に牙を突き立てられた時のことを、もう一度、思い出す。とても、驚いた。けれど、恐怖はない。それどころか、不思議と、安心感を覚えた。
リヒュはロロシーの身になにが起きたのか知りたかった。それは、これから自分の身に起こるべきことを知ることになるから。
仮想世界が現実世界に浸透していると感じたことは、今までに何度もある。その度に頭の片隅に押しやって、非現実的な妄想、ピュシスのヘビーユーザーが感じる幻覚に違いないと考えていた。しかし、そうではなかった。歴然たる事実として、リヒュの目の前に現れた。獰猛な牙と爪を携え、威厳を帯びた咆哮を上げる、肉食動物の姿で。たてがみのように髪を振り乱して、リヒュの命を喰らうべく、襲ってきたロロシー。
彼女はレーンを乗り換えたのだと思った。人間から、動物へ。その方法は分からないが、ピュシスが関わっていることは間違いなかった。
人間と動物を分かつ境界線はどこにあるのだろうか、とリヒュは夢の縁に立って落っこちそうになりながら考える。調べてみたこともあるが、その基準は地球の人々にとっても曖昧で、常に揺らいでいるようだった。
ある人は、人間と動物の違いは、自我の有無であると言った。そして、人は自我によって死の恐怖を持つに至ったとも。動物には自我がないが故に死の恐怖がない。自己という個ではなく、種という全に属しているから。自らが滅しても、種が存続すればよいのだ。その大いなる目的に、個の死が介在する余地はない。ヤドクガエルなどの目立つ警戒色を持つ毒性動物に至っては、自らが喰われ、死ぬことで毒があることを知らしめて、同じ種の仲間たちを守りさえしている。
自我がないという意味では、人間よりもオートマタのほうが動物と近しい存在なのかもしれない。もしそうなら、オートマタが羨ましい。
リヒュは動物になりたかった。属したかった。種すら越えて、自然という雄大なるものに。その一部なれるかもしれないという可能性に心が躍りはじめた。
人の運命から解放されて、獣の運命に身を委ねる。それこそが、自分がずっと望んでいたことのような気がした。機械惑星でも、採掘惑星でもなく、地球、自然の一部になること。それは、とても素晴らしいことのように思えた。