▽こんこん7-2 聴取
ビゲド警部は医者と医療オートマタが出ていくのを見届けて、完全に扉が閉まるのを待ってから、
「それじゃあいいかな。リヒュさん」
丸みのある顔で柔和な笑みを浮かべて、ベッドの脇の椅子に投げ出されていた灰色のコートを持ち上げ、そこに腰掛けた。
「大変な時にごめんなさいね。けれど、いかに早く、正しい情報を得られるかというのは我々警察の捜査においてはとても重要なことなんです」
言い含めるような前置きはそこそこに、
「事件当時のことどれぐらい覚えてますか? 無理に思い出さなくてもいいですからね。覚えていることをゆっくりでいいので教えてもらえますか?」
リヒュは、なんでこんなことになっているんだっけ、と雑然とした頭のなかをかき分けて記憶を探る。
霞がかかったような脳内におぼろげに浮かび上がったのは、事故のことだった。第三衛星に資源採掘員を乗せた宇宙船が突っ込んで、それから……。
『事故はどうなったんですか?』
警部の冠に質問を送る。
「事故というと?」
『第三衛星の』
警部は肉のたまった首を傾げて、しばらく考えていた様子だったが、やがて手を打って、
「ああ。あれ。第三衛星は無事でしたから大丈夫ですよ」
リヒュは話が噛み合わないことにイライラしながら、
『乗員は?』
「乗員というと、資源採掘員の方々ですか? 資源採掘員になった方というのは、機械惑星所属ではなく、採掘先の惑星所属の人間になるので、異星人扱いで、氏名や生死などの公表はできないんですよ」
そんなことはリヒュはおそらく警部よりも詳しく知っていた。要するになにかが起きて資源採掘員が死亡した場合でも、機械惑星にはなんの責任もないとするための予防策。政治的判断というやつが絡んだ仕組み。
「わたしもね。知ってたら教えてあげたいんですが、そうもいかないわけです」
警部は、申し訳ない、という態度を滲ませながらも、
「それで、ご自分の身に起きたことについてはどうです」
と、せっつくように聞き直した。
何が聞きたいんだろう、とリヒュは瞬いたが、次の瞬間、脳天に稲妻が落ちたように、はっ、と思い出した。けれどその記憶は仮想世界のものか現実世界のものか判然とせず、言葉にするのは躊躇われる内容だった。
ただし、その記憶にはピュシスにはない感覚が付随していた。痛み。強烈な激痛。では、現実世界で体験したことに違いない。
肉食動物に襲われた。感情が蘇ってくる。その時の驚愕。圧倒的強者である捕食者に襲われる憐れな獲物の気持ち。自分が被捕食者であることをまざまざと思い知らされた。それは痛みを伴うというだけで、ピュシスで肉食動物と戦った時とはまるで違う感覚へと昇華していた。
何度もピュシスで見たことのある熟練した狩りの動作。鋭い爪の生えた手で押さえつけられて、尖った牙が喉元に……、それ以降のことは覚えていない。
あれ、はロロシーだったのだろうか、とリヒュは記憶を呼び起こそうと眉間に皺を寄せる。頭の芯がずきずきと痛んでくる。自分がギーミーミ、プパタンと一緒にクァフが出場している試合を見に行ったことは覚えている。ハーフタイムに入って、競技場のロビー方面に歩いていて、ロロシーに会った。ロロシーに連れられて、古ぼけた電気室のような場所に入った。それからロロシーは眠り、しばらくして苦しそうに唸りはじめたから揺り起こそうとした。
あの場には自分とロロシー以外の人間はいなかった。けれど、そもそも、あれ、は人間だったのだろうか。動物。それも肉食動物だった。だが、機械惑星に動物がいるわけがない。
頭のなかがこんがらがっている。
仮にロロシーだったとして、何故自分を襲うのか。恨まれるようなことをした覚えはない。覚えがないだけでしているかもしれないが、そうだとしてもロロシーならもっとスマートで、間接的な方法を使って命を狙いそうだ。なんて馬鹿な想像。
理由ははじめから分かっている。あれ、が自分を襲ったのは、きっと自分が肉だからだ。肉食動物だから、肉を喰らうのはごく自然なこと。狩りをするのは当たり前の行為。
あれ、が肉食動物だとしたら、ロロシーじゃない。
いや、おかしいぞ、と、そこまで考えたリヒュは、じゃあロロシーはどこにいったのか、という疑問と、動物が機械惑星にいるわけがない、という事実に再び立ち返って、思考の袋小路に入り込んでしまった。
『分かりません。よく覚えてません』
悩んだ末に、そう答える。じっくりと待っていた警部はやや落胆したように眉を下げた。
「ご自身が何者かに襲われたということは覚えていますか」
『いいえ』
「倒れてらした場所はどうです?」
『どこで倒れてたんですか?』
聞き返すと、警部は一拍おいてから、
「競技場に行ったのは覚えてらっしゃいますか?」
『はい』
「どなたかと一緒で?」
『同級生と』
「お名前を聞いても?」
ここで名前を教えると二人に迷惑がかかるだろうか、と思ったが、席を調べればすぐに分かること。
『ギーミーミとプパタン』
「なるほど」
警部はさらにいくつか質問を重ねて、冠にリヒュの証言を記録した。それが全て終わると、じっくりとリヒュの瞳を覗き込んで、
「ピュシス、という言葉を知っていますか?」
リヒュは瞬きをしなかった。警部の瞳から目を逸らすこともせず、
『見たことはあります。ニュースなどで。違法ソフトのことですよね。何か関係があるんですか?』
返答してからも、警部はしばらく何も言わずにリヒュの瞳を探るように見つめていた。
「……いえ。若い人に特に違反者が多いのでね。注意喚起が義務になってるんですよ。ご自身の端末で見かけても、起動しないようにしてください。その場合は警察にご一報を」
『はい』
「何か思い出したら、わたしの方までご連絡下さい」
警部はリヒュに連絡先を渡すと、コートを小脇に抱えて腰を上げ、ふう、と息を吐き出した。その口元にリヒュの視線は吸い寄せられた。ベッドに寝転がっているリヒュからは、警部の口のなかが一瞬見えた。上顎に並んでいる歯の、犬歯が妙に尖っている。
「また、お見舞いに来ます」
背を向ける警部にリヒュは、
『忘れ物』
と、言葉をかけた。振り返った警部に視線で机を指し示す。机の上に置かれた電子パネルの横に、金属の塊のようなものが置いてあった。
警部は持ち上げて、
「鉱石ですね」冠を操作してどういう種類の鉱石なのか分析して「ほう」と感嘆の声を上げる。
「貴重なものです。しかも原石。大事になさった方がいいでしょう」
『ビゲド警部のものじゃないんですか?』
「とんでもない。わたしの薄給では手が届きません。たぶんお見舞いに来た誰かが置いていったんじゃないですかね」
『そうですか』
お見舞いに来てくれそうな知人の顔が数名思い浮かんだが、希少鉱石の原石をお見舞い品として持ってくるなどという、成金趣味じみたことをする人物に心当たりはなかった。
「盗難に遭うといけませんので、病院の受け付けで保管をお願いしておきましょうか?」
『じゃあ。おねがいします』
「ええ。わかりました」
警部はふっくらした手のひらのなかに鉱石を納めて、しっかりと握り込むと、今度こそ立ち去ろうと扉を開いた。
廊下のほうを見た警部は「おっ」と引き返してきて、「遅かったじゃないか」と扉の外にいた人物を部屋に招き入れた。
入ってきたのは、綺麗に身なりを整えた青年。警部と同じスーツを着ているが、より洗練された格好に見える。リヒュはその顔に見覚えがあった。
ロロシーの家の前で一度見かけただけだが、その印象は強く心に刻まれている。その時、リヒュはトラみたいな人、と思ったのを覚えている。メョコの兄のレョル。