●ぽんぽこ7-4 戦いが終わり、その後……
空から降ってきたイリエワニが硬く尖った鱗を岩肌に叩きつけるようにしてゴールインを果たした。
敷かれていた草花が、破裂したように散乱する。
トラ。ブチハイエナ。リカオン。その場にいた全員が、一斉に空を見上げ、月の位置を確認し、それと同時にメニュー画面に通知される戦の結果を見た。
トラの頬が吊り上がった。ブチハイエナは苦々しげに肩を落とす。
瞬時、全員が光に包まれた。
ゲームシステムによる群れ戦の終了処理。
戦場となった縄張り内にいる全てのプレイヤーを中立地帯へ転移。状態異常、減少した体力を全てリフレッシュ。
転移先は森のなか。リカオンが見回すと、すぐ傍に森の出口があり、川のせせらぎが聞こえてきた。そちらへと足を向け、鬱蒼とした森から、明るい月明かりの元へ。
鉛色の川底をした幅の広い川。水流が岩を削ってできたように、川底は滑らかで、ところどころに苔がへばりついている。
リカオンが森から出るのと同時に、川を挟んで反対側の森からトラを筆頭に、その群れの面々が顔を覗かせた。リカオンの後ろからはライオンの群れの仲間たちがそれぞれにやや気落ちした様子で現れる。植物族たちはプレイヤーが操作する一本だけがこの場に移っていた。
沈痛な空気が流れるなか、やたらと騒がしい声が混じる。
「こんだけいじめりゃもういいだろっ! 許して! 誰か助けて!」
喚き散らしながらと森から飛び出してきたブラックバックが蹄で川底を叩いて、それから周りを取り囲むライオンとトラの群れの面々を見回して、やっと戦の終了に気がついたようにハッと首を伸ばした。自分の頭に目を向ける。ダチョウに折られた角が二本とも復元されている。メニューを見て勝利を確認すると、
「勝ったんだ……」
と、気の抜けたような声を出して、トラへ目をやり、尻尾をピンと立たせた後、へたらせて、すり寄るような足さばきで川から上がった。
「……いやあ」
トラへ媚びた声を掛けようとしたその瞬間、がさがさと草をかき分ける音と共に、ライオンの群れがいる側の森からダチョウが飛び出した。長い睫毛が添えられた大きな瞳は、真っすぐにブラックバックを見つめている。
「ひえっ」とブラックバックは全身で慄いて「もう終わったんだってば!」すぐさま木立のなかへ逃げ去っていく。ダチョウはそれを猛然と追いかけていった。
そんな二頭のドタバタには誰も目をやらず、各々戦後の焦燥、甘美、自戒、微睡などに浸っていた。
川を挟み、参加していたライオンの群れのメンバーと、トラの群れのメンバーがずらりと並んで、向かい合う。
リカオンの元にシマウマとチーターが駆け寄って来て「お疲れ様」と軽く声を掛けあった。そんな三頭の傍をトムソンガゼルが通り抜ける。月明かりを受けて、優美な曲線を描く角がつやめく。リカオンはその姿を見て顔を顰めたが他二頭はトムソンガゼルが裏切者だとは露とも知らない。チーターはトラの元へと行こうとするその背中に「どこにいくの?」と尋ねかけた。
「君の爪でも捕まえられないところ」
トムソンガゼルは振り返らない。蹄で水を撥ねさせながら、川を渡り切って、トラの背後の森の木陰にするりと入った。
今度はその森のなかからアフリカゾウの巨体が現れ、その参戦を知らなかったライオンの群れ員たちが微かにどよめく。ゾウはトラの群れから少し離れて、川の途中にある岩の浮島の上に乗って、両陣営の睨み合いに鼻を向けた。
トラの後ろにいたインドサイはシマウマを一瞬、睨みつけて、戦後処理には興味がないというように、トラの群れの本拠地である密林山地へと去っていく。トラの群れのドール、ガウル、ジャックウサギなどの数名も同じようにこの場をさっさと離れていった。ユキヒョウは残って、川辺にある特に大きな岩の上、全体が見渡せる特等席に跳び乗ると、これから起こるであろう王と王の衝突に心躍らせた。
イリエワニは川辺にいたスイセンに寄り添って、勝利を報告する。その頭上にムササビがふわりと着地して、三名揃って健闘を称え合った。
はじめに口火を切ったのはトラだった。
「ライオンはどうした?」
皆が周囲に鼻や耳、目を向けるが、その姿はない。
「長がログインしてたのか?」
シマウマに聞かれたリカオンは「ああ」と気のない返事を返しながら、ライオン、そしてタヌキを探した。いないようだ。それに二頭以外にもアフリカハゲコウの姿もない。
「あいつはどこに行ったんだ!?」
イボイノシシが業を煮やして地団太を踏み、八つ当たりするように樹に体当たりする。はらはらと落ちる木の葉を浴びながら、ブチハイエナは、言葉を失っていた。
ブチハイエナのメニュー画面には信じられない通知があった。長権限の移譲。今、ブチハイエナはサバンナに本拠地を置く群れの長になっていた。それはブチハイエナに全てを悟らせるに足る情報であった。ライオンの消滅を知るのはタヌキとアフリカゾウの二頭のみ。そして三頭目となったブチハイエナ。
「負けたのが恥ずかして、出てこれないのかな?」
トラはにんまりと愉悦して煽り立てる。それでも姿を現さないライオンに、
「まったく腑抜けた態度だな」
と、言い捨てて大笑いした。
「ゴール前で這いつくばってた割にはでかい態度だな」
リカオンが言い返すが、その声は、ごおお、というトラの鋭い咆哮でかき消される。
「最終的に、勝ったのは俺だ」
高らかに宣言する。リカオンもその事実を否定することはできない。
ライオンの群れのヌーやフラミンゴ、植物族たちが不安気に心をざわめかせながら、答えを求めてブチハイエナへ意識を向けた。しかし、ブチハイエナは虚ろな表情のまま、うなだれてしまって、立っているのもやっとという様子であった。
「腑抜けのお守りも腑抜けちまったか。それでは勝手に進めさせてもらうぞ」
今回の群れ戦は縄張りを賭けた戦い。勝者であるトラは群れ長専用のメニューからマップを呼び出し、サバンナを中心としたライオンの縄張り、その外周に面する一点を選択した。
指定された場所はすぐにトラのものになるわけではない。相手の群れ長が承認するか、承認されないまま現実時間で三日が経過するかのどちらかで譲渡が完了する。
「おい。ライオンの腰巾着ども」
すべての操作を終えたトラは本当にライオンが現れないことに少し引っかかるものを感じながら、川の向こうに集まるプレイヤーたちへと呼びかけた。
「仕える相手はよく考えるんだな。真の賢者はこのトムソンガゼルのような奴だ」
と、後ろで控えるトムソンガゼルを鼻先で指し示す。
「どういうことだ?」
イボイノシシが川縁にまで踏み出して、威嚇するような唸り声を上げる。
「こいつはライオンにつくづく愛想が尽きたらしい。俺の家臣になりたいと申し出てきたから寛大な心で受け入れてやったのさ。その心意気を買って、こいつを今この時点から俺の群れの副長に任命してやろうと思う。どうだ夢があるだろう? こちらに来たいという奴がいれば、歓迎してやるぞ。んん? いないか?」
言いながらトラは本当にトムソンガゼルを副長に任命した。ピュシスではネームや称号などが頭上にテキストとして表示されたりすることはないので、本人以外が本当に任命されたかを確認する術はなかったが、同じく副長であり、今はその権利が剥奪されてしまったイリエワニが「なんで……?」と悲痛な声を上げたので、確かに事実として任命されたのだということが周りにも伝わった。
トムソンガゼルが恭しく角を下げて、川向こうに並ぶかつての仲間たちを見据える。ライオンの群れに動揺が広がり、それぞれの心は様々な方向を向いて、バラバラになろうとしていた。それを繋ぎとめる者はなく、ブチハイエナには例えここで群れを移ろうとする者がいたとしても、引き留めるだけの気力はなかった。
リカオンはこの場をどうにか治められないか、発言しようとしたが、言葉が出てこない。トムソンガゼルは前々からスパイとして入り込んでいたらしいと聞いていたので、トラの話は誇張や虚言も甚だしかったが、いざそれを指摘するとなると、スパイを抱え込んでいたという別方向からの不信を招きかねないのは目に見えていた。
そうして弱々しい鳴き声を上げることしかできないリカオンの後ろから、黄金色の毛衣が、ぬうっ、と現れた。