●ぽんぽこ7-2 最後の攻防
突然のアフリカゾウの登場にトラ、ブチハイエナ、リカオンは皆、一様に驚いていた。
アフリカゾウは神聖スキルによって一瞬膨らみ、その剛力でサバンナの本拠地の平らな岩の端を持ち上げた。そして再び萎むことで、シーソーのように足場を傾け、上に乗っていた三頭をはじき出したのだった。
ブチハイエナとリカオンは、敵であるゾウの背に乗ったまま困惑する。二頭はこの場にいるアフリカゾウと戦っていたはずのライオンの姿を周囲に求めたが、鼻も耳も目も、その存在を捉えることはなかった。ライオンが負けたなんてことを、二頭は信じなかった。それにライオンを倒して本拠地に攻め込んできたにしては、ゾウの振る舞いは奇妙。どう見ても目の前で行われているのは仲間割れ。
アフリカゾウの体中には激戦があったことをうかがわせる傷痕が刻まれており、その両の牙は折られている。そんな風にアフリカゾウにダメージを負わせることができるのはライオン以外にはいない。戦いは確かにあったはず。
では、ライオンはどこに?
二頭は思ったが、その疑問を解消している暇はなかった。
「離さないかっ!」
ゾウの鼻に胴体をぐるりと掴まれたトラが暴れる。長鼻は固く結ばれた荒縄のようになっており、解くことができない。トラは手足を振り回すが、鋭い爪は空を切るばかりだった。
しかし、アフリカゾウがいくら万力のように締め上げてもトラには一切ダメージはない。アフリカゾウはまだトラの群れの一員であり、長であるトラ以外が仲間に攻撃することはシステム上不可能。
ライオンが消滅した後、崩れ落ちて死んだようになっているタヌキを置いて、アフリカゾウは衝動的に駆けだした。アフリカゾウの頭にあったのは、このような事態を招くことになった原因の一端は自分だということ。そして、ライオンに対する償いをしなければならないということだった。それに加えて、ライオンの話を聞いたことで、萎んでいた怒りがトラへ向けて高まりはじめていた。アフリカゾウは自分がこんなにも檄しやすい性質だとは思っていなかったが、長い孤独が心を過敏に変えてしまっていたらしかった。
「貴殿に質疑あり!」
「後にしろっ!」
「後なら答えるか!」
「答えてやるからさっさと離せっ!」
「否! 此度の戦は無効にすべき! 間者を用いるは卑怯! 日を変え、正々堂々、再戦すべし!」
「何を言ってる!? スパイ如きでがたがた言うなっ!」
「そんな貴殿の傲慢さがアジアゾウを……」
と、アフリカゾウが声を高めた時であった。猛り狂う巨獣の背で圧倒されていたブチハイエナとリカオンは草原を駆ける蹄の音を聞いた。
巨体が揺れる。
「間者とは僕のことかな?」
トムソンガゼルがアフリカゾウの後ろ腿に深々と角を突き立てた。トムソンガゼルは裏切り者とは言え、まだライオンの群れの一員。トラの群れに所属しているアフリカゾウへの攻撃は有効。
「お前!」
リカオンがアフリカゾウの背中から飛び降りてトムソンガゼルの首元に牙を立てたが、システム上はまだ仲間同士であり攻撃は通らない。
「馬鹿ですね」
トムソンガゼルが角をねじ込む。アフリカゾウの肉体にはライオンとの戦いのダメージが蓄積されており、刺された足はすぐに操作不能に陥った。丸太のような太い足から力が抜けて、膝が折られる。
「リカオン! こっちです!」
いつの間にかブチハイエナはゾウの背から下りて、本拠地の平らな岩の上へと駆け上っていた。呼ばれたリカオンはすぐさまトムソンガゼルを捨て置いて、後に続く。
後ろに倒れるアフリカゾウの鼻が僅かに緩んだ。その機を逃さずトラは窮奇の翼を広げて、力ずくで隙間を作り出すと、空への脱出を果たす。トムソンガゼルは深く差した角を抜くことができず、落ちてくるアフリカゾウの臀部で押しつぶされて体力が尽きた。
乾いた砂埃が舞い上がるなか、トラは背後のゾウへ目もくれず、一直線にゴールに向かって羽ばたいた。ひと足先にブチハイエナとリカオンは岩場の最上段に戻っていたが、トラはその更に上を飛行する。
届かないか、と頭上を飛ぶ窮奇の影に目を向けるブチハイエナに「じっとしてろよ!」とリカオンが声を掛けて、勢いよく走り出した。リカオンの黒黄白の粗いブチ模様が躍動する。それを見たブチハイエナは、すぐさま体をぎゅっと固めた。
ブチハイエナのモヒカンのような勇ましいたてがみにリカオンの足が乗った。そして跳躍。ピュシスのシステム上、ゴールの判定は地面にある。トラは滑り込むように低空飛行しており、その前足に、リカオンの牙が届いた。噛みつき、ぶら下がる。
トラは振り落とす手間も惜しんで飛翔し続けた。時間は、月は待ってはくれない。とにかく勝利を。それだけを目指した。しかし、リカオンの重みで高度が下がった隙を見計らって、ブチハイエナもが牙を剥いてきた。もう一方の前足に噛みつかれる。瞬時に骨折の異常状態が付与され、足がだらんとぶら下がった。
「このっ!」
トラは猛禽類が足で獲物を掴むような姿勢で、前足に噛みついている二頭を後ろ足を使って引き剥がそうとしたが、後肢を使った攻撃動作は、使い慣れた牙や前肢のものとは勝手が違う。うまくいかない。そうしてもたついている間も、時は無常に流れていた。
敗北、という言葉にトラは脳が揺さぶられる感覚がした。
体勢が崩れて高度が落ちていく。ブチハイエナの足が岩肌につくと、踏ん張ってトラを引きずり降ろそうとしはじめた。
「クソがっ! このゴミどもがっ!」
トラは力いっぱい羽ばたきながら、憤怒の咆哮を上げた。
リカオンの足も岩肌につく。二頭が揃って足を引っ張ってくる。トラはなんとか鼻先だけでもゴールに突っ込もうと、首を伸ばした。しかし、それはほんの少し届かなかった。両前足は操作不能。後ろ足で突っ張るが、二頭がかりで押さえつけられる。
トラは顔中に小高い山を築いて、激昂する。その精神の高ぶりは空転して、マグマのような熱を滾らせたが、ゲームシステムを超えて肉体を動かす原動力にはなりえなかった。
そんな、トラの頭を冷まさせようとするかのように、雨が、降ってきた。
ぽつり、とトラの鼻先に雫がぶつかる。ゴールにだけ意識を集中していた三頭は、迫っていた激しい水音に気がついていなかった。
瞬く間に雨が勢いを増したかと思うと、湖の底が抜けたような水の塊が落ちてきた。