▽こんこん6 再誕
「ロロシー!」
声が聞こえる。
「ロロシー! どうした!?」
誰の声? 微かに揺さぶられている。
これは、どっちだ? 俺様? わたくし? 仮想世界? 現実世界?
頭が、痛い。膨大なデータの奔流が、俺様に、インストールされていく感覚。
手を当てると、頭に装着されていた何かが壊れた。残骸がばらばらと足元に散る。冠。
痛みが止んだ。喉が開く。ごおお、と嵐のような咆哮が響いた。ライオンの鳴き声だ。なら今、わたくしは俺様。ここはピュシス。でも、こんな場所見たことない。灰色の箱のなか。岩戸、だろうか。
喉が渇いた。空腹に胃がしくしくと泣いている。何か、喰わなければ。ライオンが喰らうもの。それは肉だ。ライオンは肉食動物なのだから、当然のことだ。それが自然の摂理。
肉なら傍にいる。鼻が感じる。濃く薫ってくる。灰色の世界に咲いた艶やかな紅い花。狩りなら手慣れたものだ。驚いた顔。背中を向けて走り出す。けど、逃げようとしても無駄。獲物の喉に狙いを定めて、押さえつけて、牙を打ち込む。
獲物はすぐに動かなくなった。あっけない。これは、なんて言う動物だったか。こんな動物、ピュシスにいただろうか。
灰色の地面に獲物を横たえる。喰らうのは内臓から。腹に噛みつく。おいしい。なんておいしいんだろう。
けたたましい音。うるさい。なんだ。なにか、危険が迫っている。直感。ここから離れなければ。
辺りを見回す。灰色の扉を思いっきり殴ると、その向こうに灰色の通路が現れた。
飛び出す。通路の両側に敵性NPC。そう言えば、さっきまでオートマタと戦っていたような気がする。猟銃を持ったオートマタがいて、タヌキとアフリカゾウが傍に……。
うまく思い出せない。また、頭が痛くなってきた。
とにかく敵を、排除しないと。幸い、このオートマタたちは銃を装備していたりはしないようだ。
突き出された銀色の腕を掴んで、思いっきり引っ張ると内部のケーブルが千切れる音と、関節部が歪む音がして、オートマタの腕が外れた。反対の腕も無理やり捩じ切る。もう一体のオートマタも同じように解体する。
走り出す。どこに向かえばいいのか。ここは、どこだったか。俺様はどうしてこんな場所にいるんだ?
あっ。これは。この動物のことを俺様は知っている。
この動物の名前。人間。お父様。
思い出した。
わたくしは、お父様と競技場に来ていた。オートマタの整備とその管理のお仕事。競技場のコントロールルームでオートマタが正常に動作しているかモニターしていた。
――どうしてやめたんですか。
競技場の方の質問。昔、お父様が扱っていた研究について。
――惑星コンピューターが中止するように指示したんでしょうか。
質問が重ねられる。これはただの世間話。
――そういうわけではないですが。
お父様。ゴーグルの奥で目を伏せて、ヒゲだらけの口元を押さえる。
――亡くなった奥さんの人格データは保存してあるんでしょう?
その言葉には好奇心が満ち溢れていた。わたくしは思わず振り返って、会話する二人を見た。お父様は微かに頷いて「ええ……」と言いかけて、それからわたくしの視線に気がつくと、息を呑んで、すっかり沈黙してしまった。
わたくしは知らなかった。耳を疑った。信じられなかった。あんな人の、あんな人の人格データを保存しているなんて。あんな人に未練があるなんて。
責めてはいけないことは分かっていた。お父様は知らないのだ。あの人はメョコの父親と……。
わたくしはコントロールルームを飛び出した。丁度、必要な作業はひと段落していた。嗅覚も、聴覚も、鋭敏に働いていて、後ろでお父様がわたくしの後を追おうと腰を上げたのが分かった。
人ごみに紛れながら通路をでたらめに進むと、追いかけてくる気配は遠のいていった。
急にピュシスのことが思い浮かんだ。こんなことなら、お父様の手伝いなど断って、群れ戦に参加するべきだった。皆、わたくしがいなくてもちゃんと戦えているだろうか。ブチハイエナがいるから心配はしてないけれど。いや、やっぱり心配だ。少し、ログインしてみようか。
どこか人目を避けるのに都合がいい部屋がないか探していたら、リヒュに会った。その時、ふと思いついた。リヒュに一緒にいてもらおう。誰かといれば少しは冷静でいられる。それに、部外者がいれば、お父様に鉢合わせしたとしても、あの人の話をされずに済むだろう。
それから、古い電気室に入って、ピュシスにログインした。
そこで俺様は……、敵性NPCに……。
ここは現実世界なのか?
じゃあ、あの肉は?
「ロロシー!」
お父様が呼んでいる。その音は聞こえすぎるぐらいに、聞こえて、耳の奥で、頭痛のようにこだました。
俺様は走り出した。俺様を阻めるものはなかった。俺様に追いつけるものはいなかった。何もかもを振り切って、どこまでも、どこまでも、灰色の世界の果てまで駆け抜けた。