●ぽんぽこ6-8 本物の死
「お父さん!」
そう、叫んだのを覚えてる。
あの時と一緒。
ライオンが、死んでしまった。
消滅してしまった。
私を庇って。
奴隷の狙撃手が撃ったのは、本当はお父さんじゃなかった。私。
脅し。警告。
お父さんは惑星コンピューターの信奉者。親カリス派の筆頭だったから。機械を憎む犯罪組織の奴隷は、娘を殺すことで、その動きを牽制しようとしたそうだ。
敵が多かったお父さんの居場所は巧妙に隠されていた。私の居場所はそれより探すのが簡単だったんだろう。私が狙われた場所も時間も偶然だったはず。お父さんが私と一緒にいたことを、狙撃手は知りもしなかっただろうと思う。
私は窓際にいた。夜空を見ていた。空に仄暗く輝く第二衛星。それを取り巻く流れ星たち。
一発目の銃弾は透明な窓板を簡単に砕いて、私の頬を掠めた。ビルの上で光った星をよく見ようとして身を乗り出したから、外れたのだ。狙撃手の持つライフルのスコープが星明りを反射しただけだなんて、思ってもみなかった。すぐに二発目が飛んできた。それは今度こそ正確に、私の頭の真ん中に飛び込んできた。
けど、その時、お父さんが走ってきて、私をぎゅっと抱きしめた。
とても、あたたかかった。あたたかい血が、私の顔中に流れてきた。そしてすぐに冷たくなっていった。お父さんは私を抱きしめたまま、ぐんにゃりとうずくまった。私たちの上を何発もの弾丸が流星のように飛んできて、壁に満天の星座を刻んだ。
お父さんのお葬式にはたくさんの人がやって来た。その全員が口々に言った。お父さんは素晴らしい人だった。こんなところで死ぬべき人ではなかった。お父さんが生きていれば、これから世の中がどれだけ良くなったろうか。誰もがお父さんを褒め称えて、その死を惜しみ、悲しみ、そうして、生き残った私に、意味ありげな視線を向けた。
みんな、お父さんが私を庇って死んだことを知っていた。
私には飛び交う言葉の全てが、私がお父さんの代わりに死んでいれば、お父さんじゃなく私が死ぬべきだった、という意味に聞こえた。私が生きているせいで世界に住むたくさんの人々の輝かしい未来が奪われ、不幸が訪れるのだ、と。
お母さんは泣いてばかりいた。あまりにたくさんの涙が溢れたから、お母さんが干からびてしまわないか、私は心配になった。お母さんが私の分まで泣くものだから、私は泣くことができなかった。お母さんは私の顔を見ると、とても、とても激しく涙を流した。だから、お母さんも私と同じように、私が死ねばよかったと思っているんだろうな、と思った。
気温や湿度は一定に保たれているのに、じめじめしたお家で、お兄ちゃんはずっとイライラしていた。お母さんを怒鳴りつけたり、ふさぎ込んでいる私を何度も叱咤した。それでも何も変わらない私たちに呆れて、家を出ていってしまった。
一度だけ、死のうとしたことがある。けど、どうすればいいのか分からなくて、街中をうろうろと歩き回った。そうしている内に、私は高い高いビルの屋上まで上がっていた。けれど、安全柵がばっちり張り巡らされていて、その向こう側に身を投げるなんてことはできなかった。どうしたらいいんだろうかと右往左往していると、ビル内を巡回していたオートマタがやってきて、不審者として私を捕まえた。
ビルの管理人さんに怒られているとお兄ちゃんが私を迎えにやって来た。管理人さんに丁寧にお詫びをするお兄ちゃんは大人みたいだった。実際、お兄ちゃんは立派な大人だった。警察官になって、機械惑星の平和を守るために戦っていた。でも、私はお兄ちゃんが平和になんて興味がないことを知っていた。
お兄ちゃんは怒っていた。とても、とても、怒っていた。奴隷と名乗る人々に対して。だから、そんな犯罪者たちを捕まえるために警察官になったのだ。
「メョコ。よく聞きなさい」
帰り道でお兄ちゃんは言った。
「父のことは忘れなさい。あんな人のことは」
あんな人。どうしてそんな風に言うのか私には理解できなかった。
お兄ちゃんは家を出て行ってからも、度々私たちの様子を見にきていた。直接会うこともあったし、立体映像のこともあった。会うたびにピリピリした空気が伝わってきて、心配をかけているのが申し訳なくて、私はろくにお兄ちゃんと目を合わすこともできなかった。お兄ちゃんは一方的に自分の近況を語って、一方的にこちらの近況を把握して、帰っていった。
警察官になった、と言ったお兄ちゃんの目はギラギラと輝いていて、とっても怖かった。けどしばらくして会ったお兄ちゃんの瞳からは火が消えたようになっていた。お兄ちゃんは奴隷を捜査しているテロリスト対策部署への配属を望んで、希望通りに所属できたそうだ。けれど、すぐに別の部署に移ったらしかった。その理由や、移動先の部署のことは何も教えてくれなかった。
少し前を歩くお兄ちゃんの背中をちらちらと見ながら、私はおずおずと言った。
「忘れちゃったら、お父さん悲しまない?」
「死者は生者に呪いしかもたらさない。生者はその呪いから身を守る権利があるんだ。……それから、言葉遣いには気をつけなさい」
お兄ちゃんは私に合成繊維の柔らかいハンカチを渡した。
「顔を拭って綺麗にして、背筋を伸ばして、前を向くんだ。いつ、どこで見られているか分からない。足元をすくわれてからでは遅いからね」
「……はい。お兄様。けれど、誰が私たちを見ているんでしょうか?」
お兄ちゃんは空を見上げた。灰色のビルたちに切り取られた四角い空。透明のドームに覆われた機械惑星の天井。その向こう側には、巨大な人魂のようにうすぼんやりと輝く第一衛星が浮かんでいた。
「なにもかもだ。俺たちにはレョルとかメョコとかいう名前はない。レペアの息子と娘だ。政治的な価値があると考えている輩もいる。父が構築していた繋がりを辿りたいと考えている輩もだ。決して隙を見せてはいけない。いつでも誰かが自分を利用しようとしていると思っておきなさい。いいね」
よく分からなかったが、私は頷いた。
それから緊急連絡がきたお兄ちゃんは、私を置いて仕事に向かった。私は乗り物を使わずに、歩いてお家に帰った。
お母さんがいるお家。もう何をする気力もなくしてしまって、オートマタに生活の全てを任せているお母さん。オートマタがおままごとみたいにお母さんを着替えさせて、食物を食べさせ、水を飲ませるのを見るのはとてもつらかった。
だから、私は逃げるように一人暮らしをはじめた。お母さんを捨てて。オートマタの契約期限は十分だったし、私がいなくても自動点検が働くので問題はなかった。むしろ私がおっちょこちょいで物を倒したりしてお母さんが怪我をする心配がなくなったので、それまでより安全になったぐらいだ。
家を出る時に一台だけオートマタを持ち出した。お父さんが、私に、とロロシーのお父さんに頼んで作ってもらったオートマタ。
一人暮らしする部屋は、この世の果てが好きな人だけが集まるような、繁華街からも離れた住居地区の隅の隅に決めた。
同級生が近くに住んでいるなんて考えもしていなかった。リヒュを見た時、この人は私と一緒だとすぐに気がついた。この人も死と寄り添って生きている。だから、すぐに仲良くなれたんだと思う。私たちは似た者同士。リヒュの考えていることはなんとなく分かった。嘘つきリヒュの嘘は、私には全部、全部分かった。痛いぐらいに。
でも、リヒュは私とは少し違った。死ぬためであっても、生きていた。すでに死んだようになっていて、生きているふりをしている私とは違った。それがすごく眩しくて、羨ましくて、リヒュは私の憧れだった。一緒にいると、ちょっとぐらい私も生きていていいのかもしれないと思えた。
それから私はピュシスと出会い。のめり込むようにプレイした。違法だってことは分かってる。けれどピュシスにログインせずにはいられなかった。警察官のお兄ちゃんには絶対に言えないけれど。
理想の自分を演じて、リヒュみたいに喋ろうとしたりした。ぼく、だなんて慣れない一人称を使ったりして。でも結局、私は私でしかないと、思わされることが多かった。
こんなにもピュシスに惹かれるのは、ピュシスが死の国だからだと思う。もう死んだ惑星、地球。もう死んだ動物たち。もう死んだ植物。それが詰め込まれたおもちゃ箱。
……ああ。ライオンはどこに行ってしまうんだろう。
死んでしまったなら、当然行き先は死の国だ。
仮想世界にとって死の国は現実世界。本当の死ではない、偽物の死。でもピュシスで生きる私にとっては、これこそが、本当の死に思えてならない。アフリカゾウが、アジアゾウの死の可能性を感じて嘆いていたように。私もライオンの死を嘆かざるをえない。
私が死ぬべきだった。
私なんかより、ライオンはみんなにとって、ピュシスにとって、必要なひとだった。群れのみんなは、とっても、とっても悲しむだろう。
私が死ぬべきだった。
そう思う。
私が死ぬべきだった。
ライオンなら。どう言うだろうか。
冥途の道には王はなし、とか。そんなことを言いそうだ。
やっぱり、私が死ぬべきだった。