▽こんこん15-24 患者が望めば
「無自覚な患者が多いですが、結構いるんですよ。変なヒト。半人という呼び名ははじめて聞きましたが、変なヒトだなあと思ってました。そういうときのコンピューターというのは非常にかわいい。ごまかそうとするんですな」
言いながら医者は、頭から外してデスクの隅に置いてある端末を指差して、
「冠に頼って診察していると気づかない。けれどわたしはこの目で、鼻で、耳で、たしかめているのでね。嘘はすぐに分かるんですよ。しかしまあ、騙されておいてやろうという感じでね。黙っていたんです。ちょっとだけサンプルは集めさせていただいていますが。新しい薬を作るためにね」
そうして、棚に並ぶ大量の小瓶を視線で示した。
話を聞いていた運び屋はフルフェイスヘルメットの額あたりに、分厚い手袋に包まれた手を置いて考え込む。
たしかに半人は貴重な素材ではあるだろう。地球に存在し、機械惑星では失われてしまった動物、植物由来の化学物質が肉体の変異と共に復活しているなら、その利用価値は計り知れない。
医者の主張も分かる。分かるのだが、こちらが利用しようとすれば、ピュシスに逆に利用されてしまうことになる。相利共生は成り立たない。ヒト側は必ず害を受ける。これはピュシスによる寄生。
議論が停滞しているあいだに、ホルスタインの半人はラーテルの様子を見に出ていった。
カホクザンショウとマンドラゴラは気分転換にロビーへ。
研究室に残るのは医者のヨキネツ、運び屋、メョコ、ダチョウ、シロバナワタ、ヤドリギ。
メョコと半人たちは、黙り込んだまま話の成り行きを見守る。
運び屋にとって協力者探しは火急の案件。しかし、急ぎすぎてはいけないと自戒する。いくらまどろっこしくても、きちんと説得して、相手を納得させておかなければ、土壇場になってトラブルが発生しかねない。
ややあって、運び屋が口を開く。
「新たな薬も結構ですが、このままでは助ける患者がいなくなります。あなたは人間がひとりもいなくなることはないと高をくくっていらっしゃるみたいですが、果たしてどうなるか分かりません。状況は深刻です」
「症状進行度には差がありますから、まあ全滅はしないでしょう。例えば、その奥にいる女の子」
と、医者はメョコに視線を向けて、
「彼女はほとんど人間のままだ。そういう方もいるんです。普通の病気と同じく、かかりやすさには個体差がある」
「しかし、社会の崩壊はまぬがれない。多くの命が危険にさらされます」
「壊れたら、また新しい社会ができます」
「医者の立場として、人命が第一ではないんですか。病気があれば治し、病気になりそうだったら予防しなければならないはずだ」
「患者が望めばね……」
と、医者は研究室にいる半人に意見を求める。
「どうです。あなた方はヒトでいたいと思いますか?」
シロバナワタ、ヤドリギは同時に首を横にふった。植物になることを望み、受け入れている。ピュシスの自然のすばらしさに同化したいと考えている。
運び屋が、ホルスタインは人間に戻りたがっていたと主張すると、元夫の医者は「そうでしょうね」と、だけ答えた。
メョコにも質問がとんでくる。ヒトでいたいかどうか。
悩む、悩むが……よく分からなかった。
まだ自覚症状すらない。
想像してみる。現実で、ピュシスの動物の姿になった自分。
その自分というのは、タヌキ? それとも……
迷う。たくさんの動物がメョコを見つめていた。
オポッサム。シシバナヘビ。コマドリ。プレーリードッグ。クロハゲワシ。ライオン。キツネ……
自分はなんになるのか。自分はいろいろなものになりすぎた。化けすぎた。想像する形はブレて定まらない。
たっぷりと頭を働かせたが、結局、
「……分かんない」
すねたようにメョコが言うと、頭の上に、黒と白の羽毛にまみれた腕が置かれ、やわらかく包み込まれる。
「私も分からないな」
ダチョウが答えると、医者は「なるほど」と、モニターに顔を戻す。
「明確に治療を望んでいるのは、いまのところひとりだけのようだ」
「統計を取ろうというには数がすくなすぎませんか?」
「別に半人の総意を知りたくて聞いたわけじゃありません。そんなものがありそうなほど、まとまりもないみたいですし。ただ、わたしはね、正義をふりかざすヒーローではないということです。望まぬ治療は暴力と変わりませんから」
「これは望む望まない以前の問題……」
「そうですか?」
遮ってかぶせられる。まったくもって意見が合わない。合わなさすぎる。しかたがないので、運び屋は別のカードを切ることにする。
「私はこの機械惑星以外の機械惑星と連携して動いています」
聞いたヤドリギがマリモみたいなアフロヘアをぶるんと揺らして、
「まさか」
思わず声をこぼす。
だが、医者は「ふうん」と、あまり興味もなさそうに鼻を鳴らして、
「その機械惑星の製造番号は」
「お答えできません」と、運び屋。
「そちらの機械惑星に動植物はありますか?」
「あると思いますか」
「どっちです?」
「どうでしょうね」
「いろいろと秘密なわけだ」
「そうせざるをえない状況なのは、これまでの説明でご理解いただけていると思います。この作戦が成功したあかつきには、遥かなる時を経て他の機械惑星と、邂逅できることになる。移り住む許可もいただけています。けれど、失敗すればつながりは絶たれる」
この話で、医者ははじめて長考するそぶり。コンソールを操作する手はよどみなく、勢いは衰えないが、ぎょろりとした目にまばたきが増える。
しばらくして、ゆっくりと医者は口を開いて、
「わたしの意見を言わせていただくと……他の機械惑星を頼ろうというのがそもそもの間違いだと思いますよ。体よく利用されていませんか? わたしにはこんな結末が見えます。あなたがやろうとしていることは失敗して、事態を収拾するため、強硬手段に訴えられる。破壊ですな。攻撃されますよ。あなたは他の機械惑星に、この機械惑星を攻撃する口実を与えてしまった。そして、資源を奪われる」
「敵ではありません」
「どうだか。かつて敵だったのはたしかなことです。数多あった機械惑星は、戦争によってひとつ残らず敵対関係になっていたはずですからね」
「そうかもしれませんが、いまが再び手を取り合えるチャンスなんです。ヨキネツさん。あなたがおっしゃったようなことになる可能性は否定できません。だからこそ成功させなければならない。もはやこの惑星だけの問題ではない。宇宙のどこかで生きている人類全員にとっての問題でもあるんです」
これだけ言ってだめならば他の協力者を探すしかない。時間を確認すると、かなり話し込んでしまっている。
医者は作業が終わったらしく、椅子ごとふり返って、
「これから殺すピュシスというのはひとつだけじゃないでしょう?」
「分かりません」
「分からないということは、ひとつじゃないということなんですよ。宇宙は広いですからね。ひとつを摘んでも、新しいピュシスが芽生えるだけじゃないんですか」
「だからと言って放っておくことはできません。あきらめることはできません。あなたにだって大切なヒトがいるんじゃないですか。そのヒトたちのためを思って、どうか、協力を……」
宇宙服みたいな電磁防護服のヘルメットが下げられるが、医者は表情ひとつ変えない。
「わたしに大切なヒトなどいません」
「奥さんや息子さんもですか?」
「ええ」
返答を聞いた運び屋は心のなかで嘆息する。この場にホルスタインがいなくてよかった。
もうこれ以上、時間をかけることはできない。
「……お気持ちは分かりました。どうしても協力してはいただけないようですね」
そう言いながら、運び屋が腰の銃に手をのばしかけたとき、
「わたしがいつ協力しないと言いました」
医者の言葉に、運び屋は思わず聞き返す。
「なんですって?」
「協力はしますよ。はじめからそのつもりでした」
「しかし……反発しているご様子だったので……」
どう聞いても拒んでいるような論調だった。
「ここを離れるのに準備が必要だったのでね。そのあいだ、雑談でもと思っただけですよ」
「……そう、ですか」
ややこしい、と運び屋はホルスタインが離婚したのも理解できる気がした。
「あの」
やっと話が終わったらしい雰囲気に、メョコが声をあげる。
「なんでしょうか?」と、運び屋は疲労をにじませる。
「……リヒュのこと、調べてもらえませんか」
メョコが言うと、運び屋が医者に事情を説明してくれた。リヒュの人工臓器の位置を、病院のコンピューターを使って調べられないか。
患者の個人情報なので、一言目には拒否されるのが当然だろうとメョコは思っていたのだが、医者はふたつ返事で了承して、機密のロックを解除してくれた。
コンソールを操作しはじめてすぐ、医者はモニターに目を寄せて、
「……最後のリンクは……地下、ですね」
「地下? 間違いでは?」と、運び屋。
機械惑星の地下は立ち入り禁止区域。あらゆる建物に地下室が設置できないぐらいの徹底ぶり。地下といえば、惑星内部。惑星コンピューターの領域。そこにいるなど、到底考えられなかった。