▽こんこん15-23 病院
「お兄ちゃん、大丈夫かな……」
メョコは突然そんなことを思った。母は家に閉じこもっているはずだからきっと無事。けど、警官である兄は、猛獣がはびこる街中に駆り出されているんじゃないだろうか。そう考えると、急に心配になってくる。
うつむくメョコの後ろに立っていたダチョウの半人が腰を曲げて首をおろした。長い髪をメョコの頭に垂らしながら顔を寄せる。
結局まだ店に寄れていないので服はそのまま、拡声器も手に入っていない。相変わらずの聞き取りづらいかすれ声で、
「オポッサムにはお兄さんがいるのかい?」
「うん。警官をしてるんだ」
「それは立派なことだね」
「ありがとう……、えっと……」
「なんだい?」
ダチョウのおおきなおおきな瞳を、首をすくめたメョコが見返す。
「できればオポッサムじゃなくて、メョコって呼んで。私の名前」
オポッサムは仮のまた仮の名。一緒に歩いているあいだ、何度かお願いしているのだが、ダチョウはかたくなにメョコのことをオポッサムと呼ぶ。
「でもオポッサムなんだろう?」
「そうなんだけど……、そうじゃないっていうか……、私、実はタヌキなんだ」
「へえ」軽く顎が引かれる。
「つまり、オポッサムじゃないの。でも、タヌキじゃないときもあって、えっと、だからね、……ややこしいから、メョコって呼んでほしいな」
しどろもどろな調子のメョコに、ダチョウがズバリと、
「いや。君はオポッサムだ」
「オポッサムでもあるけど……」
「じゃあオポッサムでいいじゃないか」
「私、メョコだから」
「私はダチョウ」
「……そっか」
と、ふたりがイタチごっこの会話をしているのは病院の研究室。
複雑な機器類が押し込められた狭い部屋。棚いっぱいの小瓶に詰まっているのはよくわからない液体や粉。ラベルに書かれているのは聞いたことのない単語たち。床や壁に染みついた薬品のにおいがほのかに鼻をくすぐってきて、メョコはずっとくしゃみが出そうで出ない感覚に襲われていた。さらには、外よりもわずかに気温が低く設定されており、ほんのちょっぴり肌寒いから、余計に鼻がむずむずする。
部屋の奥のデスクに座っているのがヨキネツという医者。白衣に包まれた体は痩せて、全体的に筋張った印象。顔の両側に離れている瞳は、水で洗ったようなうるみ具合。コンソールを操作しながら、まるでカメレオンみたいに片目でモニター、片目で部屋に集まる半人を眺めている。
話に聞いたところでは、ホルスタインの半人の元夫で、ラーテルの父親。
この人物を訪ねて、大人数で病院までやってきた。
とはいえ、会いにきた目的は全員同じではなくバラバラ。
運び屋の目的は優れたデータ処理能力を持つ協力者を得ること。その候補として挙がったヨキネツに協力を依頼しようとしている。
ホルスタインの半人はカホクザンショウの半人との戦闘で傷ついた体を治療してもらうためにやってきた。それから、麻酔銃で撃たれて眠っている息子のラーテルの検査も目的。
カホクザンショウはホルスタインと同じく、戦闘で傷ついた体の治療のため。
植物の半人たち、マンドラゴラ、シロバナワタ、ヤドリギはその付き添い。
メョコはというと、消えてしまったリヒュを見つけるため。
かつてこの病院で手術をして、人工臓器が埋め込まれているリヒュ。人工臓器は病院のコンピューターとリンクしており、常に正常に働くように調整がなされている。データをたどれば、リヒュの居所が分かるかもしれない。
最後にダチョウ。これといった目的はなさそうだが、メョコのそばから離れようとしない。
ホルスタインとカホクザンショウの治療はすでに終わった。
ホルスタインの打撲と左膝の骨折は、ヒト相手と同じ処置で間に合ったが、問題はより重体なカホクザンショウ。左半身の衰弱及び、左手足の骨折。さらにはウシの角で体中にあけられた穴。
まずは衰弱を抑えるために栄養剤の投与。木肌に針が刺さらない上に、血管が分からないので経口摂取。
それから医者は他の植物の半人から葉や花などを分けてもらい、即席で粘土のような薬品を作った。それで穴を埋めて、シートで固定。効果のほどは未知数だが、カホクザンショウ本人の感覚としては、楽になったという。
植物に対する治療方法のノウハウがないなかで、医者は最善を尽くしてくれた。
ラーテルも検査されたが結果はそのままで問題なし。しかし、起きたら再び暴れるに違いないので、病院の隔離室に入れられている。なにかあれば鎮静用のガスが使えるらしい。
そういった諸々がひと段落して、運び屋の交渉が開始されたのだが、
「私の話を聞いていましたか?」
とんがった声。宇宙服のような防護服のフルフェイスヘルメットの奥で、見えない顔がしかめられたのが分かった。メョコは授業中に先生に怒られたみたいな気分になって、思わず背筋を伸ばしてしまう。つられたダチョウも背筋を伸ばしたが、背が高すぎて天井に頭をぶつけた。それにシロバナワタがくすりと笑うと、髪いっぱいの白くてふわふわの綿が床にほんのり散らばった。
運び屋の言葉はメョコに対してではなく、医者に向けられたもの。
「ええ聞いていましたよ」
上の空と思えるぐらいにゆったりとした口調。医者は半人たちのデータの解析作業中。
メョコが聞いた運び屋の話では、第二衛星、第三衛星、及び惑星コンピューターに動向を知られたくないとのことだったが、病院は第一衛星の管轄なので大丈夫らしい。運び屋は、医者がコンソールを操作するのを止めはしない。むしろ、よどみない手さばきを確認して、関心しているふうでもあった。
「ではなぜ、そんなに無関心でいられるんですか」
「関心はあります。が、おっしゃられている危機というのがよく分からない。なにが危機なんですか」
わずかに顔を傾けた医者は、横目でつややかなヘルメットの表面を眺める。運び屋は詰め寄るみたいにして、
「人間が別の存在にすり替えられている状況が危機ではないと?」
「いいんじゃないですか」あまりにもあっさりと頷いて「千年前、一億年前、遡れば人間だって多少なりとも変化していますよ」
「今回のことは多少どころではない変化です。看過すれば、ヒトという種が乗っ取られてしまう」
「種が消えるなど、地球ではよくあることだったんでしょう? 年間で四万種もの生物が絶滅していたとか」
「ヒトは地球が残した最後の種なんですよ」
「最後に残された単一の種が還元されて、失った複数の種が蘇るのならイイコトじゃないですか」
「失ったものは蘇りません。すべては模造……」
語気を強くしながら、この場の半人たちの視線に気がついて、運び屋はすぐに言い直す。
「……とにかく、別物なんです。動物や植物に分類できるかもしれませんが、同一ではない」
「新種ということですか」
「突然変異が近いでしょうか。新種とはいいがたい。種と定義できるほど安定していませんから……」
と、押し黙った運び屋の言葉をヤドリギが継ぐ。
「いつまで生きられるかも分からないってことだろ」
「……ええ」
「人間、死ぬときは死にますよ」
あっけらかんとした医者の言葉に、研究室の床の隅に座っていたマンドラゴラが嘆息する。
「医者の言うことかしら?」
「こういうヒトなんです」
杖をつきながら壁にもたれかかっているホルスタインが不機嫌も隠さずに顔をそむけた。
「運び屋さん、とお呼びしたほうがいいんでしたか」と、医者。
「とりあえずはそれでお願いします」
「では運び屋さん。その変質は全人間に起きることじゃないんでしょう?」
「一部が助かればそれでいいとおっしゃるつもりですか。放っておけば感染は際限なく広がりますよ」
「早合点しないでください。でもね、わたしは思うわけです。多くの人々を助けるために、半人、特に植物の方々は役に立つんじゃないかとね」
カホクザンショウ、マンドラゴラ、シロバナワタ、ヤドリギが顔を見合わせる。
「薬の材料になりますから」と、医者はコンソールをものすごい速度で操作しながら饒舌に「毒薬変じて甘露となると言うじゃありませんか。わたしの専門は毒の研究なんですよ。半人は新しい毒の宝庫だ。そこのマンドラゴラちゃんなんかは、とても興味深いサンプルです」
名指しされたマンドラゴラは濃紫の花をしぼませて、カホクザンショウの後ろに隠れた。それを見た医者は薄く笑う。
「大丈夫ですよ。あなた方の取り扱いは十分に心得ていますから。全然痛くない」
「気になっていたんですが、ヨキネツさん。あなた、前から半人のことを知っていたのでは?」
ここにきてはじめて会ったとき、ダチョウやホルスタイン、カホクザンショウたちの姿に、まったく驚いている様子はなかった。診察や治療の手際もよすぎる。
そんな運び屋の疑問に、医者は平然と頷きを返した。