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▽こんこん12-22 涙

 ライオン(ロロシー)との一対一の死闘を邪魔されたトラは、憤慨ふんがいあらわに強く鼻を鳴らし、すぐさまソニナにとびかかった。

 しかし、そこへ、さらなる邪魔者。

 羽音と共にやってきたアフリカハゲコウの半人ハイブリッド、ズテザが、変質を続けた末についに飛行可能となった体で上からの強襲。ツルハシのごときくちばしを突きだした。

 だが、ハゲコウの降下速度ではトラの反応速度を上回れない。ボクサーのフックにも勝る鋭いネコパンチによって叩き落されてしまう。

 かれた金網に打ちつけられるハゲコウ。食いつこうとするトラ。かれた牙をソニナがつかんだ。トラに左腕を食い千切ちぎられたばかりだというのに、残った右腕をも差し出すようなおそれ知らずの行動。

 ならばとトラはソニナの腕をかじり取ろうとしたが、迫るライオン(ロロシー)の気配に、一旦退くことを選択。

 後ろにとびのく。が、その瞬間、つかまれていた牙が、折られた。

 ――こいつ……人間じゃない……!

 半人ハイブリッドでもない。機械だ。オートマタ。左腕をうばったときから、ソニナの体の異常には気がついていた。義手かとも思ったが、違う。それにしては力が強すぎる。

 さらなる怒りをつのらせて、トラの標的がソニナに移る。

 牙はトラの象徴。それを折るなど、許されざること。一度、失った牙は取り戻せない。齧歯類げっしるいの歯のようにまた伸びることもなければ、ワニの歯のようにくり返し生え変わるということもない。

 憤怒ふんど咆哮ほうこうが地下の空気を震わせる。

 床の金網が跳ねあがるほどの力で、トラが踏み込んだ。

 ロロシーはソニナを下がらせようとしたが、がんとして動かない。あれほど柔和にゅうわであったヒトが、大岩になってしまったかのよう。ソニナは片手で床から四角い枠の金網の一枚を引きはがして、それを盾として構えた。

 トラが突っ込んでくる。ロロシーが前に出ようとするのを、ソニナが体ではばむ。

 トラとソニナ。ふたりのあいだにあった距離が一瞬でゼロになった。

 衝突。金網がひしゃげる。ソニナは踏ん張り、わずかな時間、持ちこたえたが、押し切られ、トラの巨体に押し倒される。

 金網ごとソニナを爪で引き裂こうとするトラ。そうはさせまいとロロシーがトラの前足に噛みつく。もう一方の前足をトラがふりあげた。そこへ、ズテザが割って入った。

 羽毛をまとった腕を顔の前で交差させた防御姿勢。発達した鳥の筋力でもって、思い切りトラにぶつかり、爪を止める。

 トラが牙をいた。羽根ごとズテザの右腕をむしり取る。血をき出させながらも、ズテザは引かない。トラは顔にふりかかる血しぶきを嫌って、後方へと跳躍ちょうやく。距離をとった。

 ソニナとズテザが持っていた手持ちライトが足元に転がり、闇をゆらして波立たせている。その奥で、うごめくトラ。血のにおいが濃くなりすぎて、鼻が利かなくなっている。さらには、目に血をびてしまって視界が悪い。トラがしばたたくと、夜空に浮かぶ星のように、その瞳がひらめいた。

 ロロシーが叫ぶ。

「おとなしくして、わたくしと一緒にきなさい!」

 返答は、低いうなり。

 が、直後、驚愕きょうがくまじりのトラの鳴き声。

「ライオンのネーチャン! こっからどうすりゃいい!?」

 クズリの声。天井を伝って忍び寄っていたクズリが、トラの背中にとび乗ったのだ。脱いだシャツを縄代わりにしてトラの首に巻きつけている。

「とりあえずめ落とすぞ!」

 シャツの縄を全力で引っ張る。荒馬よりも激しくトラが猛り狂う。

「暴れんなって!」

 小熊のごとき姿に変質しているクズリの半人ハイブリッドの体は小柄ながらも強い力がそなわっている。すぐに、トラの息が苦しげなものに変わり、気絶寸前というふうに足がふらつきはじめた。

 あとほんのすこしで、トラを捕らえることができる。

 トラが気絶しているあいだに、どうにかして拘束する。

 ライオンが壁のパイプをもぎとったり曲げたりしていたから、それで首輪でもかせでも作ればなんとかなるだろう、とクズリは考える。

 だが、クズリには誤算があった。動物に近づいているクズリの半人ハイブリッドの手は、ものをつかむのに適していない。縄にしているシャツの裾にひっかけていた鋭い鉤爪かぎづめが、すこしずつ切れ目を広げて、一気に破いてしまったのだ。

「あっ……」

 空気が抜けるみたいな愕然がくぜんとした声。クズリの体がトラの背から離れて、宙に放り出される。

 ――ミスったなあ……

 このあと自分がどうなるのか、クズリにはまざまざと想像できた。床に落ちた瞬間、トラの爪で四肢ししをずたずたにされ、身動き不可能になる。そして、のどを牙でめあげられて死ぬ。食われるのは、はらわたから。ざらついた猫舌で肉をがれ、血をめとられる。残るのは骨と皮、ぐらいだろうか。

 無限に思えた空中遊泳、絶望の空想は突然に中断された。床にぶつかり、全身をはげしい衝撃が襲う。ちいさくはずんだ体が転がり、四肢ししを投げだす。動けない。

 ――くそう。いけると思ったんだが。

 心中で悔しがる。トラを生け捕りにするには、他に手段はなかった。パイプを持ったライオンの少女の怪力で頭を殴られても平気な顔をしていた相手。締め技しかないと考えての作戦。

 ――俺もここまでかあ。

 終わりの時を待つ。

 どうせ帰る家はない。

 半人ハイブリッドになった直後、理性を失っていた自分は、父や、母や、姉を殺して食った。

 手足を引き裂き、喉に牙を突き立て、はらわたをむさぼった。

 トラに食われるというのは、そんな自分にとって、おあつらえ向きの死。

 これでよかったのかもしれないとも思う。

 けれど、トラはなかなかやってこない。

 ――遅いなあ……

 まぶたを開き、しびれがおさまってきた身を起こした。

 ――なにやってるんだろ?

 闇に目をらす。クズリという動物は視力と聴力があまりよくない。その代わりに嗅覚にすぐれている。においを嗅ぎまわる。

 トラが動きを止めている。

 クズリは立ち上がる。運よく怪我はしていない。

 踏み出して、気づいた。

 地下通路に入ってから、ずっと自分の首元にいたやつが、いなくなっている。

 ――どこいったんだアイツ。

 思い返す。天井の溝に爪をひっかけて、音を立てないように苦労ながら移動していた最中には、たしかにいた。ぶらんと長い尻尾が垂れて、落っこちないかひやひやしていた。狙い通りにトラが真下にやってきたときにも、縞模様の背中にとび乗ったときにも、いたはず。

「おーい。どこいった。コブラやい。キングコブラ」

 呼びかけると、闇の向こうからソニナが、

「こっちですよ」

 戦闘中とは思えない声色。すでに決着がついたみたいだ。

 駆け寄ると、トラが倒れていた。その背中にキングコブラがいた。縞模様の毛衣もういにまぎれた毒牙の痕。巡る血潮にそそがれた猛毒。神経毒と細胞毒。

「おまえ……、やっちまったのか……」

 変質が進んだキングコブラが分泌する毒は、いまや本物さながらの強力なものになっている。

 口惜しそうに顔をゆがめ、横たわるトラ。ネコ科の瞬発力があれば、ヘビに噛まれるなどありえない。不意さえ突かれなければ、こんな死を迎えることはなかった。

 最期まで戦おうとするが、体に力が入らない。

 寒気がじっくりと忍び寄ってきた。

 心臓の鼓動がゆるやかになる。

 感覚が失われていく。

 ひとつだけ、じんわりと、あたたかい熱が頬に残った。

 ロロシーの手の感触。

「俺を、食って……ロロシー」

 つぶれた声で懇願こんがんする。

「……できません」

「頼む。おまえに、食われ、たい」

「できないんです」

「頼む……」

「ごめんなさい……」

「ライオン、の、牙で、頼む……」

「ごめんなさい……」

 首に腕がからまってきた。頬にあったあたたかい熱が、頭に、体全体へと広がっていく。

「……あなたの最期が人間のものであってほしいと願うのは、わたくしのわがままです。本当に……ごめんなさい……」

 謝ることはないと思った。こちらだってわがままを言っているだけなのだから。もう見えない瞳をまぶたで閉じて、かすかにうなずく。ロロシーに伝わったのかは分からないが、伝わったことにする。

 まぶたの裏に浮かんだのは、そばにいるロロシーの顔ではなく、家族の顔。

「ロロシー……妹、を……」

「あなたの妹ですか? 妹さんがいらっしゃるんですか?」

「仲良く、して、やって、くれ」

「もちろんです。その妹さんのお名前は?」

「……メョコ」

 名を口にすると、静寂せいじゃくが訪れた。

 毛衣もういになにかがしみこんでくる。

「雨、か……?」

 地下なのに、機械惑星ノモスなのに、雨が降ることもあるのだろうか。けれど、雨にしては、とても、熱い。

「あなたは……、そう、だったの……」

 ロロシー。今頃気づいたのか。俺がだれなのか。

 間抜けなやつ。

 俺もか。

 そうだ。

 これは雨じゃない。

 雨じゃなくって……

「泣いて……いる……のか……?」

「……はい」

「俺の、死に、泣いて、いる、のか」

「泣きますとも……いくらだって……」

 この女でも泣くことがあるのか。

 不思議だ。

 ヒトの涙は、ヒトの体温がする。

 ヒトのにおいがする。

 (レョル)が死ぬから、ロロシーは泣いているのか。

「……なら、俺は、人間、で、いいの、かも、しれ、ない」

「人間として、あなたを見送らせてください……そうさせてください……」

「好きに、しろ……」

「ええ……」

 抱きしめるロロシーの腕のなかで、熱が急速に失われていく。

 あれほど雄々しかったトラの体は、いまや生まれたばかりの子猫のようだ。

 牙が並んだ口の奥、猛獣の喉からは、もう一言も、うなりすら聞こえてはこない。

 ロロシーは泣いた。その涙のなかで、レョルは静かに息を引き取った。

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