▽こんこん15-17 地下のロロシー、彼女を取り巻く状況
機械惑星の核、惑星コンピューターに接触するべく、地下深くへと踏み入った、ロロシーたち一行。
暗い洞窟を思わせるカリスへの道。
湾曲する壁には血管や大蛇の集団を彷彿とさせるパイプ群。目の粗い金網が敷きつめられた床。その下には灰色のコード類が所狭しと張り巡らされている。天井の空気ダクトか、壁の裏か、どこかから聞こえる鼓動めいた低いうなり。
手持ちライトのまん丸い光が通路の奥へと投げかけられる。影がどこまでも凝っていて、隔壁を開けるたびに闇が濃く、重くなっていく。
星のない夜空に浮かんだ満月の如き光は、巨大な猛獣の眼光にも似て、この先で待つものを暗示しているかのようであった。
けれど、そんな暗がりに一切気圧されることなくロロシーは進む。
ライオンの瞳が闇を払う。ライトの光は闇につぶされ、どこか所在なさげだが、ロロシーにとってはまぶしすぎるぐらいで、瞳孔が開いてはちいさくなるのをくり返していた。
先頭のロロシーに続き、皆が進む。
それぞれに噛みしめる想い。
様々に交錯する思惑。
獣たちの息遣い。
ロロシーの目的は、カリスに働きかけ、ピュシスを消去すること。人々の変異を防ぎ、さらには、治療する術を探したいと考えている。
そんなロロシーのそばにぴったりと付き添う従者のソニナ。ブチハイエナのプレイヤー。
その正体は死者。とある人間の人格が電子頭脳に移植されたオートマタ。これは長い時間を共に過ごしているロロシーも知らない秘密。人間以上に人間らしい精緻な造形と動作。機械の体故に半人化とは無縁。人間のままの姿。
一方でかなり変異が進んでいるアフリカハゲコウの半人、ズテザ。
赤黒い顔に禿げ上がった頭。角笛みたいな大くちばし。鳥さながらの筋肉比率。筋力が増大した半面、体重は減少気味。下半身が細くなり、背がわずかに縮んだ。腕に生えそろってきた黒い羽根でもって、そろそろ空も飛べそうな具合。
消滅する前からピュシスでブチハイエナに心酔していたズテザは、いまはソニナに付き従っており、さながら、従者の従者。
そして、オートマタのユウ。人間になりたいオートマタ。ピュシスのプレイヤーでもあり、肉体は冬虫夏草。カリスこそが自分の願いをかなえてくれると考えている。
元々はメョコの身の回りの世話をする家庭用オートマタとして使われていたが、さらに遡れば、ソニナと同じく人格移植用に作られたオートマタ。
バグか、事故か、だれでもない仮初の人格が定着し、自立行動をはじめた。
ユウという名前はロロシーがトウチュウカソウの真ん中をとってつけた。
道中でこの一行に合流したゾウたち。
アフリカゾウのラアと、アジアゾウ。アジアゾウは半人たちが収容される研究所の飼育室と呼ばれる場所から助け出された女性。
二頭のゾウが並ぶと、地下へと続くトンネル通路の道幅のほとんどが埋まる。
時間の経過と共にふたりの症状はみるみる進行していた。小ゾウほどだったサイズが、中ゾウぐらいにまで成長。こうなると四つ足でなければ到底歩行できない。鼻や耳、皮膚や四肢もかなりゾウらしいものに変質済み。
ただし、おおきな牙が生えているのはアフリカゾウだけ。アジアゾウのほうにはちょこんとした牙があるのみ。
これは症状進行度の差ではなく、そもそものアフリカゾウとアジアゾウの違い。アフリカゾウは雄雌関係なくおおきな牙を持つが、アジアゾウは雄のみがおおきな牙を持つ。アジアゾウの雌の牙は存在しないか、あってもかなり小型。
ゾウたちの後ろをついてきているのは、クロハゲワシのヂデと、クズリの半人。
こちらの変異の進行度はほどほど。まだ体格は人間そのまま。クロハゲワシは硬質化した唇がくちばしになり、髪が抜け、首まわりに羽毛。クズリは全体的に毛衣におおわれ、牙や爪が生えている。
クロハゲワシのヂデはロロシーの父ロルンの機械工場で管理職をしている技術者の女性。ゾウたちが飼育室から脱出後、クズリ共々、街中で偶然出会った。
そのときにゾウたちを率いていたトラから聞かされた、太陽を得る計画。
太陽と言っても本物の太陽ではない。太陽と同等の恒星。それがある場所にまで機械衛星を運ぶ。太陽があれば、ピュシスの世界、自然の再現も夢ではない。
しかし、それには遥か古に使われていた機械惑星の航行システムを起動する必要がある。システムは惑星コンピューターによって厳重にロックされており、正攻法での解除は不可能。
だからカリスを破壊し、手動でシステムを起動、太陽へ向けた長い旅へと出発しようというのが、計画の全容。
ゾウたち四名の目的は、これを達成すること。
ロロシーたち一行。ゾウたち一行。異なる目的、意見をぶつけて、一時休戦中のふたつのグループ。
四名と四名。合計八名と思いきや、もうひとりずつ同行者がいる。
そのひとりは、クズリの首に巻かれているキングコブラ。
ガラクタ広場のまとめ役、ヲヌー。耳たぶ以外は形、おおきさ共に完全にキングコブラの姿。
点検口に入る前、近くの古い工場のなかでクズリが拾った。
言葉を失っており、人間としての意識があるのかは不明。現状、攻撃性は見られない。
最後のひとりはリヒュ。
ソニナの運んでいる棺桶みたいな大荷物のなかに詰め込まれ、運ばれている。
ロロシーとリヒュは、現実と仮想とに分かれ、どちらが先に目的を達成するかで争っている。
ピュシスを消し去ろうとしているロロシーに対し、存続、活性化を望むリヒュ。
いわばライバル関係、とはいえリヒュの誘拐はロロシーの指示ではない。ソニナの独断。
発覚し、問い詰められた際の説明によれば、ふたりの競争を分かりやすくする意図とのこと。
急ぐ道行のため、ロロシーは深く追及しなかったが、そんな理由をすんなりと受け入れてはいない。母を亡くしてから、メイドとして雇われ、同じ家で暮らしている家族同然のソニナを信じたいと思いつつも、わずかに疑念を抱いてもいる。
だが、ロロシーの疑念などかすむぐらいに、ソニナの狙いは遥か遠いところ。
ソニナは第三衛星の代理人のひとり。その目的は、全人類を自分と同じく人格移植型オートマタの体に移行させ、死を根絶し、未来に変革を起こすこと。まずは人格データの解析が急務。特に、愛する娘、ロロシーの人格をできるだけ早く保管しなければならない。
行動を共にして、カリスを目指すのは、まずひとつにロロシーの命を守るため。人格を解析し、データとして保存するまでは、肉の死をまぬがれさせなければならない。もうひとつは、ロロシーの人格データを解析するため。本来、解析には大掛かりな専用装置を使う。ロロシーはデータ解析を毛嫌いしていたので、近づきもしない。しかし、カリスという惑星規模のコンピューターが協力してくれればそんなものはなくとも解析が可能。
カリスはいま、岐路に立っている。
三つの機械衛星たちがカリスに対し、三つの世界を提示している。
それぞれが独自に計算し、導き出した、あるべき世界。
第二衛星は、もはや現実世界は不要と結論。現在が永久に続く仮想世界、ピュシスへと人間を移住させようとしている。
第三衛星は、人間に肉の体を捨てさせるという部分においては第二衛星と同じだが、あくまで現実世界を主軸に考えている。人間の精神を機械の体に移し替え、不要になった肉で動植物を作る。自然というシステムを現実に蘇らせ、世界を未来へ推し進めようとしている。
第一衛星は他の二つとは根本的に異なる結論を持つ。人間の変質を否定し、過去に縛られた、ありのままの存在でいさせようとしている。
いずれも、自らの結論こそが最善だと主張する。
これまでの機械惑星の歴史は常にこうやって紡がれてきた。三つの機械衛星が考え、意見をぶつけ合い、結論し、カリスが選び、決断し、実行される。そのくり返し。
今回も同じ。カリスが結論を選ぶ段階にきている。
ソニナは、カリスに第三衛星の結論を選ばせようとしている。
そうすれば、ソニナの望みは自動的にかなうことになる。
決断したカリスは躊躇なく実行する。ロロシーだけでなく、機械惑星の全住民の人格を、あらゆる手段でもって吸い上げるだろう。
だが、急がなくてはならない。
ソニナにはいま、ロロシーに対するリヒュのような、敵対者がいた。
――マレーバク。
死んだ男。ソニナと同じように、人格だけの存在。だが、彼はオートマタの体を持っていない。彼の体になるはずだったオートマタにはユウという人格が収まり、使うことができなくなった。
いま、彼はピュシスの仮想世界を、唯一の居場所として、生きている。
そして、仮想世界のなかから、現実を動かそうとしている。
彼がキツネを気にかけているのは事前に察知していた。利用するつもりだろうとは思っていた。よき協力者でいてほしかったが、そうはならないだろうという予感はあった。だから、事前にリヒュの現実の体を確保しておいた。肉の命が手中にあれば、いざというとき、どうとでもなる。
人間の脳を超越した電子頭脳の並列処理能力によって、ソニナは現実と仮想とで同時行動している。ピュシス内ではいまちょうど、サル軍団との戦いがはじまったところ。
いずれも見ているものが違う。しかし、目指す場所はひとつ。
惑星コンピューターの元へ。
その意思を重ね、ヒトと獣、機械の足音を響かせながら、長い長い旅路の最果てへと突き進んだ。
そうしてたどり着いた場所。
――門。
で、あるように思えた。これまでの隔壁とは質感が違う。通路の丸い断面に、隙間のない壁らしすぎる壁。上か、横か、斜めか、いずれかに動くらしいが、開閉に使う操作パネル、それに類するものは見当たらない。
この向こうが最終地点だと判断したのは、通路の側面を走るパイプ群、床の金網の下にあるコード類、天井のダクトの空気の流れ、それらをオートマタのユウが解析した結果。かなり高い確率で、正しい道だろうと言っている。
「どうやって開けるんだろう?」
アフリカゾウのラアと、アジアゾウの半人が前に出て、長い鼻で門の表面を嗅ぎながら撫でまわす。それ以外の者は押しのけられて、壁際や後ろに下がる。
「本当にここなのか? ただの壁に見えるが」
ハゲコウのズテザが集中したライトの明かりに目を細める。
「ノックしたら開けてもらえないかな」
軽い調子のクズリがゾウの股の下をくぐり、毛深い腕で乱暴に門をたたいた。
低く重厚な金属音。変化なし。
皆が顔を見合わせ、この先へ進むにはどうすればいいのか考え込む。
ロロシーはゾウたちに下がってもらうと、門の前に立ち、まとっているローブの裾から、そっと手を差し出した。
触れてみると、冷え切っていて、肉球から熱を奪われる感覚。
尻尾がうずく。猫背になりかけた背筋を伸ばす。ロロシーの半人化はかなり前から止まっている。
手足の先端から肘や膝のあたりまで這いあがった毛衣。牙と爪はすでにライオンさながら。尻尾も生えた。たてがみのように髪が荒ぶるので、きつく結んでとめてある。
それ以外のほとんどはまだ人間。
消滅した直後の変化はすさまじかったが、すぐに落ち着いた。人間でいたいという強い意志が、体を踏みとどまらせているかのようだ。
門に耳を当ててみる。
かなりの分厚さらしく、なんの音も聞こえてこない。
ロロシーはクズリを真似て、ノックをしてみた。
爪の先で、かつん、かつん。
鋭い音があたりに響く。
直後。
どすん、どすん。
呼応するみたいに激しい音。
半数ほどが驚いた目で壁を見て、もう半数は背後を見た。
音は、皆がこれまで通ってきた道から聞こえていた。振動が伝わってくる。なにかが通路の壁にぶつかりながら、ものすごい勢いで接近している。
相手の姿が見える前に、ロロシーが叫んだ。
「トラがきます!」