▽こんこん15-15 サルじゃない!
「サルじゃない!」
これは確実にサルではなかった。ラーテルだ。ラーテルはサルじゃない。殺さなくていい。殺してはいけない。
カホクザンショウの半人の少年はのたうちまわって、顔面にはりつくラーテルをひきはがしにかかった。けれど、首裏や脇の下に逃げられてしまい、右腕一本ではすばしっこい相手を捕まえることができない。
「やめなさい!」
母であるホルスタインの半人の声も、ラーテルの耳には届かない。もはや人語を理解しているかどうか怪しい、ほぼ完全なる動物の姿。メョコとダチョウは、この状況をどう収めていいのか分からず、顔を見合わせた。
あんなにも暴れていた樹木の少年が、ラーテルひとりの相手に手いっぱいになっている。
ラーテルは樹皮の肌を駆け巡り、ひっかき、噛みつき、やり放題。
このままでは樹木の少年の命が危ぶまれる状況。
だが、助けたとしても、少年はまたこちらに襲いかかってくるかもしれない。
途方に暮れていると、一本の針が飛んできた。
どこかにいってしまったと思っていた運び屋が戻っていた。
その手には麻酔が仕込まれたニードルガン。
ラーテルの背に針が刺さる。
わんぱくな獣が、牙を剥き出しながら、ふり返った。
ラーテルという動物の背中の皮膚は分厚く、硬く、伸縮性を併せ持つ。それは、ライオンの牙や、ヤマアラシの針をも防ぐほど強力な装甲。さらに、ラーテルは毒に対する抵抗力があり、コブラの神経毒を受けても死ぬことはなく、時間が経てば回復するというタフな生物。
ニードルガンの針が通らなかったのか、麻酔が効かなかったのか。どちらかは分からないが、眠ることなく、樹木の少年から離れ、運び屋に向かって駆けだした。
運び屋はもう一度、慎重に照準を合わせる。二本目の針を発射。肩口に刺さり、ラーテルがよろめく。駆け足が、とろとろとした歩きになる。三本目を発射。すると動きが止まり、はたりと倒れた。やっと麻酔が効いて、眠りに落ちたようだ。
メョコはほっとひと安心。だが、ホルスタインは違った。ホルスタインの目に映ったのは、見知らぬ者に、息子が撃たれて倒れたということだけ。あまりの衝撃にこわばっていた体が、堰を切ったように動きだす。
「……なにをするんです! 私の息子に!」
憤怒の響き。圧倒されたメョコが転げる。ダチョウの制止は間に合わず、ホルスタインは角を突きだし、街路を駆けた。
それと同時に、樹木の少年も動きだしていた。鬱陶しいラーテルがいなくなり、目に入ったのは運び屋の姿。宇宙服のような防護服に、手にしているのは銃。ゴリラと鉢合わせていないカホクザンショウがその服とサルとを結びつけることはなかったが、銃とサルとは即座に結びついて、衝動を破裂させた。
ふたりの半人が一斉に襲いかかってくる事態に、運び屋はたじろぐ。助けにきたのをすこし後悔。
迫るのは、鋭いウシの角と、強靭な樹木の腕。
銃口が迷子になる。どちらの攻撃も、力強さに差異はない。この電磁防護服は、ひと通りの衝撃、刺突、斬撃などに耐えれるようにはなっているが、それがあってなお、仲間は半人の集団に押しつぶされ、殺されている。油断はならない。
樹皮に変化した肌に針が刺さるかは不明。ホルスタインをまずはなんとかしようと考える。
引き金を引こうとした、そのとき、運び屋の目の前に、また別の半人たちが躍りでた。
「サンショウ!」
濃紫の花を髪に咲かせた少女が激しく叫ぶと、カホクザンショウの半人は、これまでの無軌道な暴れっぷりが嘘のように体を硬直させた。
そして、ホルスタインにはマリモみたいな頭の男が立ちはだかる。男は背中を向け、おぶっている綿だらけの女を盾に。女の長い髪には膨大な量の白い綿が稔り、分厚く重なり、さながら泡立てた巨大スポンジみたいになっている。
突進の勢いを完全に吸収し、綿のなかにホルスタインがうもれた。
「わたしをなんだと思ってるの!」
盾にされた綿の女が怒りながら、マリモみたいな男の首を後ろから締めあげる。
「別に問題ないだろ? ちゃんと計算してる」
「気持ちの問題! 丁重に扱いなさいよ!」
言い合いの横で、眠っているラーテルを抱きあげたメョコが、ホルスタインの元へと急いで連れていった。必死の説明。
「この息子さん?は寝てるだけ! 寝てるだけです! あれは麻酔銃ですから!」
息子の体を奪い取るみたいに抱いたホルスタインは、寝顔を覗き込み、たしかにメョコの言う通りだと知って、深く長い息を吐いた。息と一緒にいろいろなものが抜け落ちてしまったようにへたりこんで、運び屋の丸いヘルメットを見上げる。
「どなたかは存じませんが、早とちりしたみたいです……、すみません……」
やっとおとなしくなってくれた息子を布袋に包み直し、愛おしげに胸に抱いた。
カホクザンショウの半人のそばに、同じく植物の半人三名が集まる。
「あなた。ひどい見た目ね。カホクザンショウ」
歯に衣着せぬ濃紫の花の少女の物言いに、少年は改めて自分の姿を見下ろして、
「……ほんとだな」
力が抜けて道に座りこむ。尻をどすんとぶつけると、樹木が軋んだ音がした。
「私がだれだか分かる?」いたずらっぽく濃紫の花の少女が聞く。
「マンドラゴラだろ」即答。
「僕らはどう?」
マリモみたいな頭の男が、自分と、自分が背負っている綿だらけの女を指差す。
「シロバナワタと……」
綿だらけの女は一目瞭然。植物羊バロメッツの主。けれど、男が何者かはしばし悩む。マリモの植物族なんて知らない。答えは二択。
「ロシアアザミ?」タンブルウィードと呼ばれる丸い球状になる草。
「おしい!」
「じゃあヤドリギか」他の樹木に寄生して、球状に茂る。
「そうそう」
ヤドリギの半人は頷いて、一旦、シロバナワタを地面におろすと、カホクザンショウの容態を確認しはじめた。
「左の手足が折れてるな。しかも体中穴だらけ。この穴……」
ふり向いて、ウシの角を見つめる。
「ホルスタインにやられたのか?」
「ホルスタイン?」カホクザンショウは首を傾げる。
「あのヒト、どう見てもホルスタインじゃないの?」
シロバナワタに言われると、
「……ああ、たしかに……、あのヒト、サルじゃなくて、ウシじゃないか……」
茫然とする。
傷ついた腕にそっと触れたマンドラゴラが、
「痛くない?」
「ぜんぜん……」
首を横にふったが、本当は痛かった。
マンドラゴラがサルに燃やされてから続いていた悪夢が消え去った。幻影のサルの呪縛が解かれた。仮想と現実のあいだに渡された橋が、仮想でも現実でもないところに居場所を作ってくれた。
「なにがあったの?」
「おれが悪いんだ……、ちょっとイラついてて……」
「そうなんだ。めずらしいね」
マンドラゴラは言いながら、植物の半人たちを見回して、
「でも、すごい偶然。こんなにみんなと会えるだなんて」
声をはずませる。すると、ヤドリギが指をふって否定。
「別に偶然じゃない。みんな同じようなタイミングで消滅して目覚めた。で、状況を確認しに外にでた。同じ時刻に外を出歩けば、出会う確率は高くなる。必然だ」
「あなたはロマンがないのねえ」
地面におろされ、うずくまっているシロバナワタが、ヤドリギの足をつねる。
「事実だろ?」ヤドリギは平気な顔で「カホクザンショウもそう思わないか?」
手を差し伸べ、助け起こす。
「おれには……奇跡としか思えない」
「ほらね」マンドラゴラがつやめいた緑の葉をゆらす。
「多数決じゃ事実は変わらない」
ヤドリギが主張すると、シロバナワタがふんわりと綿毛を散らした。
「でも意識は変わる。わたしたちの心が向く方角は一緒になる。要するに、うれしいことが起きたから、みんなで喜びましょう、ってこと」
「それはそうだ」今度は同意して「消滅したときには、つまらないことになったと思ったが、現実のほうがなかなか面白いことになってる」
自身の体の変質具合を興味深げに眺めるヤドリギを、マンドラゴラが小突く。
「面白がってる場合じゃないでしょ。運び屋さんの話を聞いてたの?」
マンドラゴラ、シロバナワタ、ヤドリギの半人たちは、すこし前、いまいる通りをひとつ曲がったところで、運び屋に声をかけられた。そこで情報交換をしているうちに、カホクザンショウの話題になり、すぐにこちらへとやってきたというわけであった。
「群れっていいな……」
カホクザンショウがしみじみとつぶやいたので、植物の半人たちがどっと笑う。
「動物みたいなことを言うのね」と、マンドラゴラ。
「だって」カホクザンショウは口をすぼませて「こわかったんだ……」
震える少年を慰めるように、四種の葉っぱや木の実や花が円陣を組んで、まるでひとつの植物かのように、全員で身を寄せ合った。