●ぽんぽこ6-2 満漢全席
リカオンが赤土の岩山を駆け登る。見上げると星がチラチラと瞬き、夜空が異形の影を象っていた。待ち構える貘はリカオンが今まで見たことがないような動物。インドサイが神聖スキルで姿を変えた通天犀と同じく、複数の動物の特徴を備えた合成獣。白黒模様こそマレーバクそのままだが、鼻はより長くなり、双牙が尖り、蹄の代わりに爪が生え、四肢はがっしりとしている。体長はリカオンの倍以上、熊と同等。
「私と事を構えるおつもりですか」
「まだ構えてないつもりだったのか!」
貘の言葉をはね除けるように、リカオンが牙を剥く。貘も牙で対抗するが、その動作はのろま。明らかに戦い慣れていないことが、その動きから窺えた。マレーバクはトラの群れの参謀として裏方の頭脳労働をしていることが多く、前線に出るのは久方ぶり。神聖スキルを使って貘の姿に変じた回数も数える程しかない。
対して、たび重なる戦いで感覚が鋭敏になっているリカオンは、スローモーションにすら見える敵の攻撃を潜り抜けて、その足を狙った。貘は爪を振り上げるが、それもまた、見え見えの動作。回避は容易。
しかし、プレイヤーの実力に違いはあれど、その歴然たる対格差は脅威。それに地形の問題もあった。貘は高所に陣取っており、下から攻めようとするリカオンは勢いを削がれてしまう。貘の足元を回り込もうともするが、それは上から全て見通され、牙と爪の矛先を常に向けられてしまっている。
貘がリカオンに気を取られている隙に、アフリカゾウと戦っているライオンが再び神聖スキルを使用する気配を見せた。しかし、貘はそれを見逃さず、岩山の下へと素早く鼻を伸ばして夢を吸い取る。神聖スキルによるライオンの能力強化がキャンセルされ、ゾウに対して防戦一方を強いられるばかりだった。
リカオンは岩の下から聞こえるアフリカゾウが暴れ回る音に耳を微かに傾けながら、鼻と目は貘から逸らさないように注意する。夜が昼の熱をゆるゆると冷ましているが、それでもサバンナにこもった暑さを全て消し去るほどではない。特に今夜は、昼のうだるような暑さの残滓が色濃く残る夜だった。
長は大丈夫だろうか、とリカオンは逸る気持ちを抱えながら攻めあぐねる。が、その時、空から小鳥が舞い降りた。コマドリ。リカオンはその小鳥がどこから現れたのか分からなかった、知る限りではライオン、トラのどちらの群れにもそんな鳥は所属していない。貘が小鳥の存在に気がついて、首を持ち上げ鼻を伸ばす。その瞬間コマドリは白煙の靄に姿を変え、靄の中から蛇が現れた。シシバナヘビ。大蛇のような貘の鼻に小蛇が巻き付き牙を立てる。
そうか、とリカオンはそれが何者なのか、そして、その意図を察して加勢する。先程から貘は神聖スキルを封じる際、鼻で吸い込み、引き寄せる必要があるようであった。なら、鼻を使用不能にすれば、そのスキルの発動を止めることができるかもしれない。そうすれば、ライオンが思う存分戦える。
貘の長い鼻の中程にシシバナヘビが小さな牙で齧りついていたが、鼻がぐるんと巻かれて、その鼻先がヘビに向けられた。ひゅうう、と風の音と共に、貘が深く息をする。すると、ヘビが脱皮でもするように、その表面が剥ぎ取られ、ぽん、と小さな破裂音と共に、まやかしの皮に包まれていた真実の姿が暴かれる。タヌキが纏っていたまやかしを貘は味わい、呑み込み、まん丸い胴体に突き刺そうと、イノシシのようなその双牙を振り上げた。
その瞬間、浮いた貘の喉に、リカオンが狙いを定めて飛び込んだ。凶暴に顎を開いたリカオンの牙に対して、貘は爪で応戦する。貘の前肢が阻むように、リカオンの鼻先へ持ち上げられる。リカオンは止まらず、貘の足裏に噛みついた。牙が食い込むが、貘は構わず踏み込んで、リカオンを上から押さえつける。
貘の力はリカオンの予想以上だった。強い動物の強い部分をかき集めたような形。その身体能力が優れていないわけはない。プレイヤーの実力が追いついてなかろうが、優れた凶器は使い手を選ばず、振り回されるだけでも十分な破壊力が備わっていた。
タヌキはシシバナヘビに化け直して、貘の牙の攻撃を躱していた。二本の牙の間に細長い体を忍ばせる。シシバナヘビは踏みつけられているリカオンを見て、助け出そうとにょろにょろと体を動かしたが、再び貘に夢を食べられてしまい、風船が割れるように散り散りになったグラフィックの中からタヌキの姿が出現した。
また双牙が向けられる、それを変身で躱す。すると夢が食べられて、変身が無効化されてしまう。これでは千日手。
次から次に並べられる夢、ごちそうの数々に貘はごくりと喉を鳴らす。タヌキが化ける姿によって風味が違って、非常に味わい深い。地球にあったという美食の集い。まるで満漢全席。フルコース。しかしあまり付き合ってはいられない。くり返した場合、先に神聖スキルを使用するのに必要な命力が尽きるのはタヌキの方であることを確信してはいるが、こうしている間、ライオンへの警戒を怠ることになってしまう。雑魚の一匹。速やかに排除するべき。
貘はシシバナヘビの細長い体を、自らの太い鼻で締め上げようしたが、タヌキはコマドリに化けて空中に脱した。
その攻防の足元でリカオンも戦っていた。貘の足裏に噛みついた状態で、上から踏みつけられている。岩山の下で足を踏ん張るリカオンが、岩山の上から身を乗り出した貘と、上下で押し合う体勢。押し負ければ、リカオンの顎が裂かれ、喉が踏み潰されてしまう。噛みつかれている貘の足は裂傷と骨折の状態異常でとっくに操作不可能になっているはずだが、貘はそれでも動かない棒を扱うように、足に体重をかけて、リカオンを責め立てた。
「無駄ですよ」
貘が余裕綽々で、更なる力を加える。リカオンは目を剥いて、感覚が朦朧としはじめながらも、全身全霊で抵抗する。
「面白いですね。リカオンさんの命は、私の足一本分と等価値らしい」
コマドリがどうにか救出しようと、無鉄砲な突撃を試みる気配を見せたが、その時、リカオンがスピーカーで呼びかけた。
「オポッサム! タヌキ!? どっちでもいい! でかい奴の姿にはなれないのか!」
コマドリが飛翔しながら逡巡、そして、化けたことがあるなかで最大の動物、カバに姿を変えた。白煙を立ち昇らせながら、赤色の岩場に、赤色のカバが現れる。空中から落下したカバは、見た目のわりに重量のない、ハリボテの体をすとんと岩の上に着地させた。
「目くらましですか?」
貘の視界はカバで塞がれ、その後ろ、岩の下で戦っているライオンとアフリカゾウの姿をすっかり覆い隠していた。大きな体から発せられる匂いも、ブーブーという鳴き声も、どれもが煩わしく感覚を阻害してくる。
ずおっ、と音を立てて、貘はカバを丸ごと吸い込んだ。すぽん、と被り物を剥ぎ取られてボールのように跳ねるタヌキがぽとりと落ちる。赤い岩に四肢を投げ出すタヌキに、リカオンの声が飛ぶ。
「もう一回!」
リカオンは気がついていた。貘は神聖スキルを吸い取る度にその体積が増加している。体全体が膨らんでいる。きっと限界があるに違いない。食って、食って、破裂してしまえ。
タヌキはわけも分からぬまま、ただ何かを狙っている様子のリカオンを信じて、もう一度化けた。再び現れたカバの模造品は、貘によってすぐさま除去される。
「もっとでかいのはないか!?」と、叫ぶリカオンを、貘がせせら笑う。
「妙なことを狙ってるんじゃないですか」
静かに、リカオンへ語り掛ける。
「なに?」
「私の肉体のグラフィックを気になさっているようだが、これはいわゆる見せかけの演出ですよ。エフェクトの一部にすぎません。ここは仮想世界。肉体はデータであり、中も外もありません。この肉体になにかが蓄積されていると考えるなら、それは大間違いというものですよ」
リカオンが悔しげに、押さえつけられている顎に最後の力を込める。
「くそっ」
だめなのか、とリカオンが気を落としていた時、ふたりの会話をよそにタヌキはひたすらに考え続けていた。もっと大きな、大きなもの。すぐ思いついたのは今この場にいる動物。陸上最大の動物アフリカゾウ。しかし今までゾウに化けたことはない。うまく化けれる自信はなかった。けれどタヌキはリカオンを救うことだけを考えて、迷いなくアフリカゾウに化けようとした。
巨大な白煙が巻き上がった。綿雲が空から落っこちてきたように、いくつかの岩山の切っ先を呑み込んだ。貘は今まで見たことのない規模の煙の繭を前に、眉間に皺を寄せたが、すぐさま、しゃらくさいとばかりに現れるものを吸い取るべく鼻先を向けた。
ぼん、と白煙に混じって黒煙が溢れた。白と黒の煙の渦から、ぬうっ、と生き物の一部が突き出した。その一部は蛇のようだった。別の一部は扇のようだった。更に別の一部は壁や、樹や、縄や、槍のようだった。群盲象を評すが如くに、その姿は曖昧模糊として、歪で、不気味な何かであった。どろりととろけたゾウのような何か。明らかな変身失敗。何者か分からない化け物。貘は驚きながらも、自らが発動したスキルを止められず、鼻で吸い込み、口の中に引きずり込んだ。口いっぱいに広がった夢をかみ砕き、平らげていく。まずい。なんという、まずさ。絶え間ないまずさが舌を撫で、喉奥に流れ込んでくる。
苦労しながら、全て呑み込んだ瞬間、貘は「うっ」と目を見開き、膝をついて倒れた。それを見たリカオンは、すぐさま貘の足を振り払うと、岩の上に跳び乗り、失神している貘の喉元に牙を突き立てた。
本来の姿に戻ったタヌキは、同じく本来のマレーバクに戻っている敵の元へ走る。岩をよじ登って、背伸びするように前足を上に乗せて覗き込むと、リカオンが十分にとどめを刺したことを確認して、牙を抜くところだった。体力が尽きたマレーバクの体が岩山の下にずり落ちていく。
「倒したの?」タヌキが聞く。
「ああ」
「どうして急に倒れたんだろう?」
「食中毒ってやつかな」
「なあにそれ?」
「地球で暮らしていた頃の人間の病気だ。地球の人間はなんでもかんでも食べてたらしいから。妙なものを食べては胃の調子を悪くしたらしい」
「ふうん」
タヌキが見上げて、リカオンと目が合う。リカオンのしっかりと立ち上がった尻尾に対して、タヌキの尻尾はしおしおと萎んだ。初対面だがそうではない、不思議な空気。照れくさいような、怖ろしいような、逃げればいいのか、握手でも交わすべきなのか。タヌキは一瞬硬直した後、竦んで岩の下に身を隠した。
リカオンが岩から身を乗り出した時には、既にタヌキの姿はなかった。白煙がふわりと漂い、風に乗って飛んでいく。
「水臭い奴だな」
リカオンはひとりごちて、ライオンとアフリカゾウがぶつかる頂上決戦へと鼻先を向けた。