▽こんこん15-6 約束の履行
「ほらあ! 言ったでしょ!」
まくしたてながらコートをひっぱってくるビスカッチャに、ノニノエノは辟易しながら「はいはい。そうだね」と、適当な相槌を打つ。
そうしているとビスカッチャは、ブラックバックの螺旋角を掴んで、耳に口を寄せてきた。ネズミひげがちくちくとほっぺたに突き刺さってきてこそばゆい。
「ネ。大正解だったでしょ。あちらが林檎ちゃんだって」
「角を持つなよ! 危ないから!」
抗議の声は右から左。崩壊する機械惑星には場違いな夢見る瞳で、歌でも歌いだしそうな調子。
ファン心理はノニノエノも理解できる。自分はネポネの作曲した音楽のファン。前に会ったときには、サインをねだるぐらいに高揚した。しかし、それにしても、ピュシスの林檎のファンだというビスカッチャの興奮ぶりは、少々常軌を逸していると感じるぐらいに熱狂的。
陶酔のなかにあるビスカッチャの手から、なんとか螺旋角を離させる。後ろにすっころびそうになったが、ヴェロキラプトルが首で支えてくれた。
「おっと。ありがとう」
しわくちゃになったコートを伸ばしていると、ぷう、とラプトルの鼻息が吹きつけられる。ドライヤーみたいな熱風。恐竜は爬虫類みたいだから、変温動物なのだろうか。しかし、その割には活発に動く。恒温動物なのかもしれない。分からないが、どちらにせよ、火災の熱気でだいぶん体温が上がっているらしい。
イヌみたいに舌を垂らしたラプトルを見て、
「……もしかして、腹が減ってる?」
一応確認すると、首が横にふられた。
ほっと安心。ラプトルが餌を食べる姿はちょっぴりショッキング。ここにいる皆にはあまり見せたくない。しかし、飼育室から持ち出した肉パックが底をついてしまったら……、と、ノニノエノは想像して、ぶるりと身震い。
いざというときには、屍肉を食ってもらうしかない。一緒に飼育室から逃げて、銃弾に倒れたブルーバックの半人の死体はまだ残っているだろうか。その他にもいっぱい、そこらじゅうでだれかが死んでいる。
自然界では屍肉を漁るのは珍しいことじゃない。肉パックでもいいんだったら、いまさら新鮮肉がいいなんて文句は言わないだろう。
ノニノエノは思考を巡らせながら、自分自身の変化を薄気味悪く感じていた。以前の自分だったら、命を食事と割り切ることをこうも簡単に受け入れられていただろうか。これは動物的な考えだろうか。それとも、行き過ぎたリアリズムに毒された冷徹な人間の考えだろうか。
心の変容から目を逸らす。
問題を先送りにする。
別の懸念で頭のなかを埋め尽くす。
ライフラインをどうやって確保すべきか。
それを支えていた社会はどうなるのか。
いま、この惑星の人間と半人の割合はどのぐらいなのだろう。
両者の価値観におおきな隔たりがあるのは明白。半人同士のあいだでも、肉食、草食、植物ではまた違ってくるだろうし、そのなかでもさらに細々とした主義の差があるはず。今現在、他者を襲っているのは過激派といったところ。
それらが衝突するようなことがあれば、機械惑星の存続自体が危うい。
どうすれば、きたるべき摩擦を避けられるのか。
避けられないのなら、生き残るためにどうすればいいのか。
できるだけ早めに有利な陣営を見極めて、味方についておきたいが……。
と、ノニノエノは、ビスカッチャの丸っこい後ろ姿を見て嘆息。ベンチで縮こまっているプパタンに、捕食者さながらににじり寄っている。
「あいつは気楽でいいなあ……、好きなことに全力で……、あのぐらいのほうが、よかったりするのかもなあ……」
ベンチの足元に座り込んだビスカッチャが、媚びるような上目づかいで、うつむいているプパタンの顔を覗き込んだ。地面に這いつくばって、ちょこまかと首をゆする動作は齧歯類そのまま。
甲高い声をうわずらせて、
「あ、あのう……、そのう……、林檎ちゃん、さん、ですよね……」
プパタンは激しい羞恥心に襲われた。仮想世界と現実世界とで乖離していたはずの己の在り様が重なる事態に頭が追いついていない。両手で顔をおおってうなだれる。髪にぶらさがった未熟な果実から、甘酸っぱい林檎の香りがほんのりと漂ってきた。ゲーム内の植物族の感覚だとまったく意識していなかったが、いまは気になってしょうがない。自分の体臭が周りに発散されているみたいですごくいやだ。
ビスカッチャが大慌てでハンカチを取り出す。献上するみたいに掲げて、
「どうしたの? 泣かないで……」
泣いてはいない。勘違い。むしろ、ビスカッチャが涙ぐみはじめたので、プパタンはこわばった顔をあげて、首をふった。眠たげなビスカッチャの目尻がくにゃりと下げられて、
「泣いてないのね。ああ、よかった」
自分の涙を拭って、ハンカチをしまう。そうして、横にちらりと視線を向けた。イリエワニとマンチニールの半人が握手を交わしているところ。
羨ましげに齧歯類の出っ歯を打ち合わせて、座ったまま、おずおずと手を差し出す。
「握手とか、してもらいたいなぁ……」
図々しさと謙虚さが半分ずつといったしぐさ。遠慮がちにプパタンが応じると、機敏な獣の動きで掴まれて、ふかふかした明褐色の毛衣がぎゅうっと握りしめてきた。
そのまま離さず、身を寄せて、ビスカッチャはプパタンの膝の上にしなだれかかる。袖のフリルを広げると、甘えた声で、
「わたし、林檎ちゃんの歌が聞きたいなぁ……、生歌ぁ……」
プパタンは首を横にふったが、ビスカッチャはあきらめず、子供がぐずるみたいに、
「聞きたいなぁ……」くり返す。
「困らせるんじゃない」
見かねたノニノエノがとんできて、ビスカッチャをプパタンからひきはがした。
「なにをするのよ!?」
「ちっちゃい要求からエスカレートするのは詐欺師のやり口だ。子供相手にいけないと思うな、俺は」
苦言を呈すると、すぐにカウンター。
「ねじれ頭は黙ってなさいよ。この、悪魔の一番弟子。鍛冶屋に負けて、林檎ちゃんの樹の上から降りれなくなればいいんだわ」
「い、意味が分からん……」
罵倒だかなんなんだかすぐに判断できない。困惑のあまり言葉を見失う。黙らされてしまった形のノニノエノは、こういう効果を狙ってやっているなら意外と切れ者なのかもしれないと、ビスカッチャの横顔を見た。
ゲーム内で見たビスカッチャとそっくり同じ目元。とろんとしていて、おとなしげ。とはいえ性格は正反対。褐色の毛衣が髪を染めて、額から顔全体を包みこもうとしている。この公園ではじめて会ったときよりも半人化が進んでいる。
ノニノエノは自分の顔を触る。うっすらとした毛衣の感触。早朝に剃ったひげが伸びてきているというわけではなさそうだ。毛色は鏡を見るまでもなくブラックバックと同じ黒。手をかざす。爪が肥大化したような蹄が指先全体を侵食しはじめていた。親指が短くなって、消えてしまいそうだ。偶蹄目の二本の指、つまり蹄は人間で言う中指と薬指にあたるらしい。それ以外が失われていく兆し。
動物的なものを得て、動物になるのか、人間的なものを失い、動物になるのか。どうにもいまのところ後者の感覚のほうが強い。
深刻になっているノニノエノのことなどそっちのけで、ビスカッチャは邪魔者が黙ってくれたのをいいことに、プパタンに猛アタックをしかけていた。
「ネッ? ネッ? おねがいよ。歌が聞きたいなぁ。ねじれ頭が言っていたことは気にしちゃだめよ。あの人、頭のなかまでねじくれているのね。わたしが詐欺師だなんて。赤ずきんのオオカミじゃないんだから。わたしはオオカミとは違う。ビスカッチャよ。……そうだ」
と、湿った音で手を打って、
「お返しに、わたしも林檎ちゃんのおねがいを聞く。交換ならいいでしょ」
一人合点で決めてしまって、何度も頷く。
「なにかない? おねがいは?」
圧力に押されてプパタンは身を引いたが、ベンチの背もたれに阻まれてしまい、それ以上はさがれない。隣ではトムソンガゼルの半人のカヅッチが、ふたりのやり取りに、押し殺した笑い声をこぼしている。チーターの半人のクユユが、カヅッチとビスカッチャとを見比べた。
プパタンの頭に浮かんだ、おねがい、は、ひとつだけだった。
ピュシスからログアウトする前に、マンチニール、ネポネと約束していたこと。
ログアウトしてはじめに見つけたヒトと、
「……友達になってくれる?」
「エッ……!?」
固く前歯を合わせたビスカッチャは、歯の隙間から息を呑んで、
「ダッ、ダメよ。ダメです。いけません」
身を引いて、スカートのドレープを公園の地面に波立たせる。
「どうして……?」
断られた動揺を隠せずにプパタンが尋ねると、ビスカッチャはいじいじと灰色の地面をつっつきながら、
「ファンとしての節度っていうか、線引きっていうか……」
しどろもどろの弁明がなされているところに、またひとり、公園の集団に新しい半人が加わった。
注意深く異形の集団を観察していたのだが、そのなかにプパタンを見つけて、小走りに駆けてくる。
「……よう」
「あっ……、こんにちは。ギーミーミ」
友人の名前を呼んで、ほんの少し、プパタンが表情を明るくした。
ギーミーミの顔は鼻づらが伸びて、純白の毛衣に包まれている。頭の変異の進行が早くて、手足はそれほどでもないので、まるでかぶりものをしているみたいだ。
イヌっぽい、半人だった。