▽こんこん15-5 公園で目覚めた双子
ピュシスからログアウトして、機械惑星へと意識を戻したプパタン。
その視界いっぱいに齧歯類の顔があった。
眠たげに細められた目。黒豆みたいな鼻。ぴょんぴょん跳ねるヒゲ。にょっきりとした立派な前歯。それらを包む明褐色の毛衣。
背景でゆらめいているのは焔。
まだピュシスにいる。と、思った。
バグでログアウトが失敗、位置情報が狂い、別の場所に転送された?
火災は森や山を燃やすだけでは飽き足らず、各所で発生しているらしい。
間近にいる齧歯類は、知り合いに違いなかった。同じサバンナの縄張りの一員。
「どうしたの? ビスカッチャちゃん」
ゲーム内だと思っているので、林檎の仮面をかぶって話しかけると、
「うおぉぉおぉ!」
ビスカッチャの半人が歓喜とも驚愕とも分からぬ雄叫びと共にとびのいた。
灰色の地面にしなだれかかると、レースのスカートがふんわりと広がる。
すさまじい反応にびっくりしたプパタンは、倒れたビスカッチャに手を伸ばしかけて、自分に手があるという事実に重ねてびっくりした。
服を着たビスカッチャ。さっきは近すぎて気がつかなかったが、まごうことなき人間。
お尻の下に硬いベンチの感触があった。灰色の空気のにおい。ここは機械惑星の公園。
頭のなかでパズルのピースが組みあがり、現実を形作る。
ログアウトは失敗なんてしていない。
ここはピュシスじゃない。
現実世界だ。
けれど、その事実に反して、周囲には現実離れしたものが大量に蔓延っていた。
ビスカッチャのような女性をはじめとした、動物と人間の特徴を併せ持つ生き物たち。四方八方から聞こえるサイレンの唸り。積み木のように崩壊している街と、見え隠れする焔。
三人掛けのベンチの隣に目を向けると、頭から角を生やした両腕がない男が座っていた。
視線に気づいたカヅッチが、顎を引いて軽く会釈。
「どうも」
ぐらりとゆれた体をクユユが支える。トムソンガゼルと、チーターの半人。
「…ぅも」
首をひっこめ、消え入りそうな声で返事。夢のなかにいるみたいだった。言葉が通じるということに、安堵とも畏怖とも言えない感情が湧きあがる。
肩が凝っているみたいに首が重い。長時間ログインしていたからだろうか。
苦労して反対側に首を曲げると、そちらには双子の弟、ネポネが座っていた。
見慣れた姿がそこにあるはずだった。けれど、違った。ログインする前とはかけ離れた姿になっている。今度は、はっきり畏怖だと分かる感情が胸を襲う。
細い枝が密集した髪の毛。それを彩る葉っぱや、ちいさな果実。ネポネは茫然とした表情で、心あらずというふうに空を見上げている。
プパタンは、ネポネとつないだままの自分の手に視線を落とした。からまりあった指をそっとほどいて、目の前にかざす。木肌の風合いの指の節から枝が伸びて、ちいさな白い花が開いている。
分からなくなった。
これは本当に現実世界? やっぱり仮想世界?
おもむろに、指を頬へと運ぶ。
ほのかにざらついたやわらかい皮膚を、つまんで、思いっ切りねじってみた。
痛い。
痛みの感覚が脳に伝達された。
つまり、ピュシスではない。ゲーム内の偽装感覚では痛覚は除外されている。
間違いなく機械惑星。夢でもない。
仮想大会でも開催中なのだろうか、と、ふと考えたが、それにしてはあまりにも迫真で、本物じみている。熟練者同士での優勝決定戦だとしても、観客も審判もいないのはおかしい。
遠いビルが倒壊して、地鳴りと轟音の輪唱が響いた。建物のあちこちではためく赤い旗は、躍る火だ。上向きの滝になった煙たちが、空をゴールに追いかけっこ。ドーム天井に捕まって、雲の如くにたまっている。
コツ、コツ、コツと灰色の地面をたたく蹄の音。
螺旋状の角を生やした男が、ベンチの前、プパタンとネポネのあいだぐらいに立つと、しゃがんでふたりの顔を覗いた。よれよれのコートが地面に波を作って、角のあいだのドリルみたいに巻かれた髪の先端が、プパタンとネポネに交互に向けられる。
自分の顔を指差して、
「ふたりとも、俺のこと覚えてる? どう? 前にもここで会ったけど」
プパタンが首を傾げていると、寝ぼけ眼を瞬かせていたネポネが、
「探偵さんでしたっけ」
答えに満足したらしく、探偵は嬉しそうに頷いて、
「そう、正解。ネポネくん。君のファンだよ」
ブラックバックの半人、ノニノエノは、以前、ロロシーを捜して聞き込みをしていたときに、この公園で双子と出会った。
どこから説明すべきかと、角の先端をはじいていると、もうひとり、鱗まみれの少年が近づいてきて、双子に声をかけた。
「よう。ネポネ。プパタン」
ふり仰いだノニノエノが、
「おや? 友達?」
「まあね。同級生」と、鱗まみれの少年。
なら、任せたほうがいいかもしれない、とノニノエノは、いまだに地面でわなないているビスカッチャを起こしに向かった。
ネポネはつやめいた鱗の一枚一枚を眺めながら、
「ルルィか? どうしたの、その顔」
「お互い様。人のことは言えないだろ。鏡があったら見せてやりたいけど、ちょうど鏡代わりのプパタンがいるから、それで自分の姿を確認してくれ」
硬そうなとがり顎が隣を示す。
ネポネとプパタンの視線がかち合った。
二卵性双生児だが、しばしば一卵性と間違えられるぐらいには似ている。細い枝のような髪。こまかな葉っぱ。ちいさな果実。青くて未熟だが林檎の果実らしい。
おもむろに、ネポネは自分の頭に触れてみる。感触からして、同じようになっているらしい。ちいさな果実をひっぱると、ぽろりと取れた。かさぶたがはがれたときに似た、むず痒いような、すっきりするような、そんな感覚。
手のひらに乗ったマンチニールの毒の実をしげしげと眺める。手と腕が植物の木肌じみていた。握ったり開いたりを繰り返すが、動作に問題はない。ただ、立ち上がろうとしても、できなかった。足が根っこになっている。ケーブルの外側をひっぺがして、剥き出しになった銅線をほどいたみたいだ。根っこは靴を押しのけて、灰色の地面に溢れ、へばりついている。
鱗顔の同級生は、鋭い爪の親指で、頬まで裂けた口と牙とを指差して、
「おれはイリエワニ。そっちは?」
ネポネは答えず、公園に集合している異様な者たちを見まわした。
あまりにも日常とは乖離した光景。
ボロの布にくるまった女の子の首元や腕にはムササビのような飛膜。布の後ろからはみだした太い棒のような尻尾。
そんな女の子を肩車して遊んであげている筋肉質な女。こちらにも尻尾。おおきな尻尾で体を支えながら幅跳び。まるでカンガルーみたいな跳躍力。
所在なさげに杖にもたれかかっている男の子。襟元に覗く、つやのないオレンジ色。ピュシスで見た色。ピトフーイの羽衣。
イノシシみたいな牙を生やした四角い顔の男が、あざやかな青で顔を染めた男と話し込んでいる。ヒクイドリを彷彿とさせる青。小汚い格好の大男が会話に加わろうとしているが、なんだか歓迎されていなさそうだ。大男の頭にはヘラジカらしき形状の角。
プパタンを挟んだベンチの向かい側。苦しげな表情で座っている腕のない男。頭には曲線を描く角。アンテロープの一種だと分かる。その瞳は一心に街の様子を目に焼き付けていた。隣で肩を支えている女の腕にはヒョウ柄の毛衣。と、よく見るとヒョウ柄ではない。黒い斑点。ということは、チーター柄。
齧歯類の女が螺旋角の探偵になにかわめいている。姉はビスカッチャと呼んでいた。
ここまでは、人間と、動物の、両方の面影がある者たち。
それだけでも十分に驚嘆に値するのだが、最後のひとり、一頭は、それらと一線を画していた。
探偵のそばに肩をおおきくゆらしながら歩いてきて、鼻先を突きだした爬虫類。
完全に、ヒトではない姿。
二本の足の鋭く分厚いシックルクローが、威圧的に地面をノック。見上げるほどの巨体。なぜだかジャケットを羽織っている。冗談みたいな姿。このなかで、あれだけは絶対に人間ではない。
唖然としているネポネの視線をルルィがたどって、
「ああ。あのヒト……、ヒト? まあいいか。恐竜なんだって。ヴェロキラプトルって聞いたことある?」
「……ない」
「だよな。おれもはじめて聞いた。いろんな動物がいるもんだなあ。おれが爬虫類では一番の図体だと思ってたけど、上には上がいるらしい。恐竜のなかでもラプトルは、そんなにおおきなほうじゃないんだって」
感慨深げに頷くルルィ。
ぼんやりとしていたネポネが、遅れて質問に答えた。
「ぼくはマンチニール。……はじめまして、かな」
「そうかもな。向こうではなんだかんだ会ってないし」
はにかんで「どうもはじめまして」と、ルルィが手を差し出した。
応じようとしたネポネの前に、杖が横切る。
いつの間にか、ピトフーイらしき男の子がルルィのそばに立っていた。ふたりが握手するのを杖で阻んで、
「触ったら危ないよお兄ちゃん。そのヒト、毒樹なんでしょ」
警戒の眼差し。けれど、ルルィは構わず、むしろ積極的になって、
「大丈夫だよ。ほら」
ぐっ、と握手して、ぶんぶんとふると、ぱっ、と離した。
「毒があるって言っても、常に垂れ流してるわけじゃないだろ。そんなことしてたら、毒が足りなくなるだろうし、エネルギーの無駄使いだ」
平気な顔をしてみせて、
「弟のトセェッドだ」
双子に紹介する。プパタンは恥ずかしそうにして、ベンチに埋まるのではないかというぐらいに身を縮めた。
ネポネはトセェッドのオレンジの羽毛を見つめて、
「君とははじめましてじゃないね。毒鳥さん」
「その節はどうも……」
顔を伏せると、トセェッドは気まずそうに病衣の裾を伸ばし、兄には触れないように、その棘ばったおおきな背中に身を隠した。