●ぽんぽこ15-54 焔去りし後
山があった場所の麓。
草原を流れる小川のそばで、マンチニールの植物族が絶句していた。
山をまるごと破壊して、駆け抜けていったサイのような、カバのような、ゾウのような超々巨大生物。
動物たちのすさまじさに開いた口が塞がらない。口がないので、葉っぱが散った梢が代わりに、月のない夜空に穴を向けている。
火災は鎮まったが、その代償が山ひとつというのは、高いのか、安いのか、判断ができない。サルはどうやらすべて撃破したらしく、甲高い鳴き声も、銃声も、聞こえなくなっていた。
しばらくすると、トンビが戻ってきた。足元にはラブラドールレトリバー。イヌの口に咥えられたケツァール。リュウゼツランとトウモロコシの植物族も一緒だ。こちらに向けて肉体を植えて、ゆったりとした合流。
「どうなったの?」
「状況を教えて。リカオンたちは無事なの?」
林檎とリコリスの植物族が尋ねる。
空から降りてきたトンビは、小川にとびこんで水浴びしながら、
「ちょっと待てよ。こちとらデカブツの尻から脱出したばっかりなんだから……」
「尻?」と、マンチニール。
「食われたんだよ。もう。やだなあ。せっかく金ピカ林檎を届けてやったのに、こんな目に遭うとは……」
「うんち」
トウモロコシに言われて、トンビはくちばしをとがらせた。
「うるさいぞ! まさか糞をバカにしてないだろうな。ウサギなんかは腹のなかの微生物の働きで栄養たっぷりの糞を作って食べるし、コアラはパップっていう離乳食を盲腸で作って子供に与えて、主食のユーカリを消化するのに欠かせない微生物を継承させるって聞いたことがある。植物なんかはそもそも糞が……」
早口のトンビをケツァールが止める。
「まあまあまあ。バカにしてないよ。そうだろう? トウモロコシ」
「ウン」
「ならいいが……」
自分の羽衣のにおいを気にするみたいに丹念な毛づくろい。
一向に話が進まないので、リコリスが急かすと、ラブラドールレトリバーが代わりに説明をしはじめた。
シロサイが動物たちのスキルを使ったところから、最後のサルの撃破まで。
ラブラドールレトリバーは動物たちの一部となっていた。黄金の果実は一体化したプレイヤー全員に効果を及ぼしたらしく、体力全快の状態。ゴリラの大太刀に切断されたラブラドールレトリバーの左耳もいまは再生している。
サルを倒した後、動物たちの内部で短い話し合いがあり、黄金の果実の効果があるうちに、山を破壊して火災を消し止めることが決定。
その前に、融合できていないケツァールを逃がさなければということで、ラブラドールレトリバーだけが分離。仲間の鳥を回収。黄金の果実と一緒に食べられていたトンビが動物たちの体のなかから脱出して、同じく退避。
山を吹きとばした動物たちは、そのまま遺跡へと向かった。
本来の目的、遺跡地下にある敵性NPCの発生源、機械工場を停止させるために。
「この場の戦いはこれで決着。チワワとか、ヒグマとか、オオアナコンダはついていっちゃった。リカオンがいいって言ってたから、まあいいのかな? ぼくは渓谷の縄張りに戻りたかったし、一緒にいくのは辞退したんだ」
「戻るんだったら、連れていってください。種を運んで……」
ハンノキが他の植物族たちの陰から枝を伸ばすと、イヌが首を傾げて、
「あれ? 生きてたんだ。撃たれてなかった?」
「生きてますとも。銃弾まみれで、もう限界ですけどね」
幾度も燃えながら戦っていたカホクザンショウのように、ハンノキも肉体操作を切り替えて生き延びていた。
「ハンノキが生きてるぐらいなら、ゴルもきっと生きてるな」
確信を深めて頷く。
ゴールデンレトリバーは最初に超巨大サルがあらわれたとき、ラブラドールレトリバーをかばってサルにつぶれされた。
消滅した者、していない者。混沌とした戦場。体力が尽きただけなのか、命力も尽きてしまったのか、分からないプレイヤーがほとんど。焔に呑まれた者、銃弾に撃たれた者は、ほぼ確実に消滅していそうだが、頑丈な植物族ならその限りではないらしい。
「長だって無事に生きて……」
と、リコリスが言いさしたが、それはマンチニールによって即座に否定されてしまった。
「ギンドロは消滅したよ。スミミザクラと同じでね」
「なぜそんなことが言えるの? どこかに予備の肉体を用意していたかもしれないじゃない。それで逃げれているかも」
認めようとせず、可能性を模索する意固地なリコリスに、毒樹は声を震わせて、
「……だって、ぼくが長になっちゃってるんだもの」
役職の繰り上がり。ひとつの群れには長がひとりと、副長がふたりまで設定できる。長がいなくなれば、その権限は自動的に副長に移る。ふたりいるうちの、所属日数が長いほう。
ギンドロの群れの長はギンドロの植物族。副長はスミミザクラとマンチニールだった。
マンチニールが長になっているということは、渓谷を縄張りとする群れにいま、ギンドロと、スミミザクラがいないということ。脱退ではない。自分たちが立ち上げた群れを、ふたりが捨てるわけがない。だから、消滅ということになる。
リコリスが火花みたいな赤い花をしおれさせて小川の水面を覗きこんだ。ハンノキは、そうだろうとは思っていたが、事実として突きつけられると、やはりショックを受けていた。ケツァールやリュウゼツラン、それからトウモロコシも、それぞれに喪失感を受け止める。重く、暗い雰囲気。
マンチニールだって悲しい。ギンドロ、スミミザクラ、それ以外にも、多くの仲間を失った。
「ぼくは長ってガラじゃないからさ。リコリスが長になってよ」
「えっ。いやよ」
「じゃあトウモロコシでもいいよ。このなかだと一番の古参でしょ」
これを聞いたリコリスは態度をひるがえす。
「ちょっと待って、そんなことになるぐらいなら私がやる」
「よかった。お願い」
まずは副長に任命されて、それから長権限が譲渡される。
「なんだか、乗せられた気がするけど……」
不満そうにするリコリス。寡黙なトウモロコシは、なりゆきに身を任せている。
場が落ち着いてきたところで、水浴びを終えたトンビが翼を広げた。
「おれさまはもういくぞ。オアシスとか、所長に状況を知らせにいかなきゃならないんでな」
「所長ってだあれ?」
と、リュウゼツランが花茎をゆらす。その足元のケツァールが、
「そういえばトンビってどこの群れに所属しているんだ? 今度、お礼にいくよ」
「アンゴラウサギの群れ」
「聞いてことないな」
「よくある零細群れのひとつだから知らなくても無理はないよ。ただし、おれさまたちは鳶目兎耳。噂集めの速さだけは他に負けない自信がある。なんか知りたかったらきな。縄張りはメンドクサイところにあるから、おれさまがオアシスにいるときにでも言ってくれたらいい。大抵いるから」
「分かった。じゃあ」
「ああ。また」
飛び去っていく。
それをみんなで見送って、残ったのは林檎以外は渓谷の縄張りの群れ員ばかり。マンチニール、リコリス、トウモロコシ、ハンノキ、リュゼツラン、ケツァール、ラブラドールレトリバー。
植物族たちと、飛べないケツァールを縄張りに帰還させるべく、ラブラドールレトリバーが大荷物を抱えこむ。縄張りに戻りさえすれば、ケツァールの翼も元通りに再生するはず。
口をおおきく開いて、トウモロコシ一本、リコリスの球根ひとつ、ハンノキの松ぼっくりを咥える。背中にはケツァール。そのくちばしに挟まれたリュウゼツランの種子。
ここまでで手一杯。
マンチニールは置いてきぼり。そもそも、猛毒の果実を運ぶのは非常に手間がかかる。林檎などの果実が敵味方の区別なく食べたものを回復させるみたいに、猛毒の果実は敵味方の区別なく、毒に侵す。
「あとで迎えにくる」と、ケツァール。
「別にいいよ。自力でゆっくり戻るから。気にしないで」
「そうか? 林檎ちゃんはどうする? トンビに頼めばよかったな」
「あたしも自力でなんとかするから大丈夫。でも、とりあえず今日はログアウトしようかな。マンチニールと一緒に」
「ぼくも?」
「そうよ」
「そうなの?」と、リコリス。
「そうらしい」溜息まじりのマンチニール。「いっていいよ。またね」
ラブラドールレトリバーが渓谷の縄張りに向けて出発。
しばらくのあいだ、植物族のプレイヤーたちでおしゃべりをしていたが、縄張りに到着した種が芽生えると、向こうの肉体に操作を切り替えて去っていった。
小川が流れる草原の、林檎とマンチニール。
さっそく林檎が、
「さあ。ログアウトして走るよ」
「こんなことがあったばかりなのに、まだ有効なんだそれ……」
「もちろん」
渓谷の縄張りでの約束。現実で一緒にランニングをする。マンチニールには意味不明だったが、双子の姉にとってはよほど重要なことらしい。
「でも、それならぼくとの約束も守りなよ」
「なんだっけ?」
「とぼけるなよ」怒ってはいないが、とんがった声。「一番最初に見つけたヒトと友達になるって」
「あっ」ちいさくこぼして「あー、うん。覚えてたよ。ちょっぴり忘れてただけ」
「一瞬で矛盾しないでよ……」
疲れが滲む。ログアウトするのは賛成だった。思いっきり伸びをしたい気持ち。植物の肉体ではそれもできない。枝を伸ばすのと、腕を伸ばすのとでは、人間であるプレイヤーの心にとっての影響はやはり違うものがある。
いまなら走るのに付き合ったっていい。むしろ軽く運動がしたくなってきた。どうせ姉はすぐにバテてしまうだろうが、言い出しっぺであるからには、無理をしてでも走ってもらおう。
「いっせーのーで、で、ログアウトするよ」と、林檎。
「必要ないよそんなの。適当でいい」
「あたし本当にログアウトするんだから、そっちもログアウトしてね」
「分かったってば」
「本当に本当だよ。いまログアウトするんだからね」
「しつこいなあ」
ふたりのグラフィックは同時に薄まりはじめると、まったくの同時刻に仮想世界から消えた。
現実世界、機械惑星へ。
それがいま、どのようになっているのかも知らず。
休息とは無縁の、激動のなかへと、双子は身を投じるのであった。