●ぽんぽこ15-50 図体が足りない
「……矛盾していますよ」
悄然としたブチハイエナは、ゴリラが破裂したその場所から目を離せずにいた。
彼は復讐者だった。けれど、最後には手を伸ばし、ブチハイエナを助けた。人間らしい二律背反。齟齬。瑕疵。重篤なバグ……。
サル軍団との戦闘開始から、ピュシス内時間で、半日以上が経過しようとしていた。吊り上げられた太陽が地平線に呼び戻される。夕陽よりも赤く燃える焔。火災に呑まれたこの山は、北極点の白夜の如くに朝も夜もなく、明るいまま。
山林を草原に錯覚させるほどの超巨大サル、ハヌマンラングール。ハヌマーンのスキルを使用して、黒かった顔面が、いまは赤に変じている。伸縮自在かつ、火のダメージを受けつけない体。山にそびえる不夜城となって、斜面にどっしりと四肢をつき、背丈を超える長さの尻尾を、夕焼け空に反り返らせた。
巨大なサルの手がたたきつけられる。樹々をへし折り、岩を砕き、土と灰とを爆発させる。
プレイヤーたちは散開。ほうぼうに逃げ惑う。
ぼんやりしていたブチハイエナは、リカオンとラブラドールレトリバーにひきずられるみたいにしてサルの攻撃範囲外へ。チワワも一緒。巻きあがった煙にまぎれて身を隠す。
サルの尻尾が山肌を薙ぎ払うと、とび散った燃える木っ端が火山弾の如くに降り注ぎ、火災が加速度的に広がった。
戦闘前は長閑そのものであった中立地帯の低山が、いまは噴火寸前の火山といった様相。
火を我が物としたこのサルは、自然を燃え尽くさんとしている。
止めなくてはならない。
しかし、あまりにもおおきい。おおきすぎる。プレイヤーたちとの圧倒的な体格差。野生の世界において、図体こそが最も重要な強さの指標。ちいさな獣がおおきな獣に勝つことは、よほどの偶然がなければ不可能。超巨大サルとプレイヤーたちとの対格差はゾウとネズミ。この戦いはアフリカゾウの歩みをアフリカンピグミーマウスが止めようとしているようなもの。あまりにも絶望的。
皆、よく分かっていた。
だが、戦うのを放棄せず、立ち向かう。
戦意はまだ失われていない。
群れること。
力を合わせること。
相手のサルはたった一頭。
ここが最後の踏ん張りどころ。
強大な個を打ち倒す群れの力を、だれもが信じ、疑わなかった。
タヌキがチンパンジーに化けて、ショットガンを手に取った。
本物のチンパンジーが残した装備品。ゴリラが使用していた武器。
見様見真似でレバーを動かし、弾を装填。
超巨大サルに銃口を向けて、引き金を引く。
轟音。
衝撃。
やっぱり、反動に耐え切れず、後ろに吹っとんだ。
後転して起きあがる。発射された散弾がサルに命中。けれど、ダメージはいまひとつ。距離が遠い。弾がばらつき、威力が減衰してしまっている。
これ以上近づくと、超巨大サルの攻撃圏内。接近は難しい。
ダメージが皆無というわけではないので、ここからでも何百何千発と撃てば倒せる可能性はある。幸い、サルたちの装備品であるこの銃には、弾切れが存在しないらしい。
そのためには、発射するたびにひっくり返っていてはだめだ。
タヌキはチンパンジーの肉体を岩のくぼみに挟みこむようにして固定。腰をおろし、足をつっぱる。そうして、ショットガンを構えた。
連射に移ろうとしたタヌキだったが、そこに浴びせかけられた土砂。
一発目の銃撃から狙撃手の位置を察知した超巨大サルが、手で山の表面をすくいとり、ぶちまけたのだ。
岩や火炎が混ざった砂の津波。タヌキはコマドリに化けて離脱。間に合わない。高波に呑まれてあえなく生き埋めに。プレーリードッグに化けて熱い砂を掘り進んだ。蒸し焼きになる前になんとか脱出。
上半身だけ砂から出した状態で、積みあがった砂山をふり返る。ショットガンを掘り起こすべきだろうか。完全に埋もれてしまって、どこにあるやら分からない。
悩んでいると、柔らかい砂山のてっぺんが崩れて、プレーリードッグをもう一度生き埋めにしようと押し寄せてきた。さらには、流れに混じって勢いよく岩が転がってくるではないか。
穴から体を引っこ抜こうとするが、急ぐあまりにひっかかる。灰が混じった細やかな土砂が、アリジゴクの流砂のようになっている。もがくほどに地中へと逆戻りするプレーリードッグの体。
ようやく解決法に気がついて、シシバナヘビの肉体に化けたが、もう手遅れ。岩につぶされる、という寸前、さっ、と首を咥えあげられた。
「ヘビにしちゃ重い」
と、マーゲイ。花が咲いたような美しいヒョウ柄を跳ねさせて、火を避けながら山を駆ける。すぐ後ろには紀州犬。翼を傷めたケツァールを背負っている。
「銃声がしたけど、撃ってたのは君? タヌキ?」
マーゲイが矢継ぎ早の質問。
「……うん」
と、タヌキは変身を解いてみせる。細長いヘビから、まん丸ふくふくとしたタヌキになったので、マーゲイの口からこぼれてしまった。タヌキとマーゲイでは、マーゲイのほうが体長も体重も上なのだが、スマートなネコの肉体と比べると、タヌキのほうがふっくらおおきく見える。
タヌキは自分の足で走りだしながら、
「撃ってはみたけど、あんまりダメージを与えられてはいないみたい。銃もなくしちゃった」
落ちこんだ声。マーゲイは遅れがちなタヌキの鼻先で長い尻尾をゆらしながら、
「ガッツあるね。がんばったよ」
「けど、どうする?」
紀州犬がフクロウみたいに首をぐるんと百八十度回転させた。犬神のスキルで頭を胴からすこしだけ離している。細長い爪でイヌの背中にしがみついているケツァールも超巨大サルに目を向けて、
「とりあえず、はぐれた仲間と合流して、作戦を練らないと」
「ブチハイエナはどこかな」
燃える木立をマーゲイが探る。迫る夜にネコの瞳がぎらぎらと輝いた。
「心臓をもらわなきゃ」
同じ頃、オジロヌーが茜の空を仰いでいた。
カトブレパスのスキルで敵を石化できないかと試みていたが、超巨大サルの頭はあまりにも遠い。目を見合わせるという効果発動条件を満たすことができない。二階から目薬どころではない。相手は三十階建てのビル相当。
足元をウロチョロしていると、踏みつぶされそうになった。俊足でもって離れると、入れ違いにシロサイ。
向こう見ずな突撃をしようとしている仲間を、シマウマが前にまわりこんで止める。
「無理だ! 退避しよう!」
いまのシロサイには象徴である角がない。ゴリラの大太刀によって両断されてしまった。攻撃力は半減以下。ヌーも両角が折れており、シマウマもユニコーン、バイコーンの角を失っている。
「退避? どこまでだ。世界の果てまでか。そこまで火が追いかけてくるのを許すのか?」
足を止めたシロサイが、シマウマに詰め寄る。
「それは……」
「危ないよっ!」
ヌーの声。サルの手や尻尾が襲いくる。激しい攻撃に、結局、シロサイも一時撤退を余儀なくされてしまった。
太い四肢で苛立たしげに大地を打つ。
口惜しい。
シロサイにとって、自分よりおおきな獣というのは滅多に存在しない。キリンやゾウぐらいなもの。
それが、スキルひとつでここまでの格差。無力感すら覚える。
「足りない、図体が、でかさが……」
サイよりも、ゾウよりも、もっともっと、おおきな動物でなければ、この相手には通用しない。
己の矮小さに苦悶していると、不意に超巨大サルが起こす地響きが止んだ。
シロサイ、ヌー、シマウマがふり返る。
そこには、サルを束縛しようとする縄。
超巨大サルと、超巨大ヘビになったオオアナコンダ、ニーズヘッグとの戦いが開幕していた。
「……うらやましいやつだ」
思わずこぼす。自分もあのように戦いたい。シロサイは心の底から願ったが、もはやこの戦いは、スキルなしの肉体で、どうにかできる状況ではなくなってしまっていた。