●ぽんぽこ15-48 生きるために、殺すために
狂戦士の効果によって、ヒグマの肉体操作が自動操縦に委ねられた。
このスキルを使うたびに、ヒグマの心には深い敗北感が刻まれる。自分自身が、本物の、野生のヒグマのように肉体を操作できるのなら、こんなものは不要なのだから。
いわば補助輪。使用に際し、恥ずかしさすらある。だが、それでも、ゴリラを倒すために、いまは使わざるをえない。
ゴリラの強さは計り知れない。しかし、その強さは動物としてではなく、ヒトとしての強さ。
道具を使うサル。使う道具の強さが、そのままゴリラの強さになっている。
全身をくまなく包む防護服は、防御力、耐性共に強力。
手にしている大太刀は、高攻撃力かつ、リーチが長い。
もしも、生身の状態でヒグマとゴリラが戦えば、ヒグマの勝ちはゆるがない。
ヒグマの体格はゴリラの五割増し。体重は三倍近くにもなる。
能力差は歴然。ふたりの強さのあいだには深い溝がある。だが、装備品がその溝を埋める。さらには、技によって、埋めるどころかとび越える勢い。ゴリラはこれまで、ヒトが使う武術のような動きを見せている。動物の身でありながら、ヒトの技が使えているのは、ヒトと似た体格を持ち、二足歩行ができるサルの肉体だからこそ可能なこと。
もはや、このゴリラのことを、ヒグマは動物だとは思っていない。ヒトだ。そして、自分は動物。動物がヒトに負けるなど、ヒグマは信じない。信じたくない。動物として戦い、ヒトに打ち勝つ。
それでなにかが得られるわけじゃない。
けれど、この自然に満ちた世界にとって、重要な意味を持つ一戦である気がしてならなかった。
ゆらり、と体が勝手に動きだす。
軽快に、緩慢に、大胆に、用心深く。
仲間たちが、距離を取りながら、燃える山の焔に照らされたふたりの戦いを見守っている。
左右にステップを踏みながら、ヒグマはすこしずつ大太刀の間合いへと接近。ゴリラは正面に向けた刀身をわずかに上げた正眼の構え。それを、ゆっくりと持ちあげて、上段の構えへと移行する。緩急のある動作で大太刀の間合いに触れては離れるヒグマ。ゴリラはすり足で前へ。宇宙服の如き防護服で着ぶくれしているが、動きに淀みはなく、清流のように澄み切っている。
素早い足さばきで間合いを詰めたゴリラは、おおきく踏みこみ、気合の声と共に大太刀を真向斬りにふりおろした。刃が火炎に閃いて、風ごと煙が切り裂かれる。
刃の切っ先がヒグマの額に届こうとしている。ヒグマは上体ごと首をひっこめ、紙一重の回避。だが、ゴリラにとって、これは想定内。手首を返しながら肩をひねりこんで、土がつく直前の大太刀の向きを反転。地面すれすれから斬り上げた。重たい大太刀をこのように扱うには尋常ならざる腕力が必要だが、ゴリラの剛腕であれば、わけないこと。
燕返しという技。刀の軌道を急激に変えることで、相手の死角から刃が襲いかかる。
ただし、それはヒトがヒトに対して使う技。ヒトであれば足元は死角だが、四つん這いの姿勢のヒグマにとっては違う。刃よりもさらに低く伏せることで、攻撃から逃れる。
まるっこい耳をかすめ、天を目指して通り過ぎる大太刀。それを追いかけるように、ヒグマは身を起こし、峰に自ら肩をぶつけにいった。
乱暴に刃が跳ねあげられる。ゴリラの両腕が大太刀にひっぱられて上へ。脇がガラ空き、胸が無防備に。ヒグマは即座に大地を蹴って突進。タックルを決めて、ゴリラを押し倒した。
防護服の上からたたきつけるような激しいクマパンチ。執拗に頭部を狙う。嵐のような暴力。シロサイの角によって刻まれたフルフェイスヘルメットのひびが、不透明な表面全体へと広がっていく。けれど、硬い。たわむようにひしゃげて、へこみはするが砕けない。
ゴリラはひび割れによって視界を不明瞭にされながらも、腕を曲げて大太刀をひき寄せた。武器の重みを利用した、断頭台の如き勢いの刃。ゴリラの腹にのしかかっているヒグマの首へ死が迫る。
攻撃に夢中かと思われたヒグマ。が、即座に身をひるがえして刃をかわした。
ゴリラは刃を抱きとめるみたいにして止めると、背中をぐっと反らして跳ね起きる。ヘルメットはぐちゃぐちゃ。ガラスの破片を張り合わせたみたいに焔の光を乱反射している。それでも、一応見えているらしく、壊れた顔面で、ヒグマをじっと見据えた。
出方を探るようなヒグマの足取り。ゴリラの周囲をうろつく。ゴリラはすり足でもって方向を変えながら、大太刀の切っ先でヒグマを捉え続ける。
当事者でありながら、傍観者であるヒグマのプレイヤーは、この肉体はここまで戦えるのだという感嘆と、その領域に自分が到達していない落胆を感じていた。
自分は肉体に秘められた真の力をまるで引き出せてはいない。それが、悔しい。自ら操作していたら、はじめに放たれた、打ちおろしからの斬り上げを避けられたかどうかも怪しい。
心を肉体と重ねようとしても、常に肉体が先にいく。心が置いてきぼりになる。それでも、追いかける。学ぶ。こんなふうなお手本を間近で示してもらえるスキルを持っていることを、幸運に思う。
ヒグマが踏みこむ。ゴリラが払う。
息をつかせぬ攻防に、見守るプレイヤーたちは、業火のことすらしばし忘れた。チャンスがあれば手助けしようと考えていた者もいたが、そんな隙はどこにも存在しなかった。
壮絶なやり取り。
一進一退。
お互いに決定打を得られない。
周囲から見るふたりの戦いは対照的だった。
回避に徹しながら、細かな攻撃で相手の体力を奪おうとするヒグマ。暴走状態だが、行動の主軸となっているのは生存本能。極限まで高められた獣の感覚で、いち早く危機を察知し、驚異的な反射神経によって、刃を受けることがない。
対して、ゴリラは一撃必殺の攻撃をくりだし続けている。ダメージを受けるのを顧みず、相手を厳しく攻め立てる。ヒトの技による効率化された動き。防護服の防御力に頼って、回避は最小限。無理な攻めに、一切の躊躇がない。
ダメージを受けず、ダメージを与えているのはヒグマ。だが、優勢とはとても言えない。一度でも刃が当たれば、すぐにでもひっくり返る。
生きるために、殺すために。
生と死を見つめる者たちのぶつかり合い。
命を守り、摘み取る戦い。
野原の灰に埋もれるタヌキがぽつりとこぼした。
「どうして、ふたりは戦ってるんだろう?」
隣にいたリカオンは「そんなの……」と、答えようとして、言葉に詰まる。白黒黄色の粗いブチ模様が、焦げ色と灰に染まって、別の獣のように見える。
もう一頭のブチ模様。ブチハイエナが同じく灰にまみれながら、だれに向けたわけでもない、タヌキの問いに答えた。
「単に、勝つためですよ」
その声は、いつもと調子が違っている。うわずっていて、どこか自信なさげで、おびえているような響き。
タヌキが見上げたブチハイエナの横顔は、銅像みたいに張りつめていて、激しい感情にさらされながらも、虚脱しているふうであった。
一心にゴリラを見つめるブチハイエナのくすんだ瞳。
「だいじょうぶ?」
気遣うタヌキのちいさな声は、おおきな丸耳に届く前に、焔がはぜる音に撃ち落されて、行き場をなくして灰にまぎれた。