●ぽんぽこ15-47 動物をなめるなっ!
「私の……、望み?」
ジェヴォーダンの獣、ブチハイエナが鼻の頭に深いしわを寄せる。
防護服に身を包んだゴリラは、二本足で立ちあがって、柱のようにした大太刀にもたれかかりながら、ちいさなくしゃみをした。ヘルメットの上から鼻をかくようなしぐさ。
「そう」と、頷き「わたしはそれを止めにきたんだ」
「あなたは、なにを知っているんです?」
強い警戒心がこもった響き。闇色の獣のたてがみが逆立って、低い唸り声がこぼれる。
取り囲むプレイヤーたちは、NPCだと思っていたものが突然しゃべりはじめたという状況に困惑。硬直したり、説明を求めて周囲を見まわしたりしている。
燃え尽きた樹が軋み、崩れる音が山の上から響いてくると、太陽よりも明るい焔を隠すように、暗い煙が風に乗って流れてきた。
煙をふり払うみたいに、ゴリラはゆっくりと首を横にふって、
「知らない。分からない。君というものが理解できない。ヒトの心は複雑だ。君はどう思う? ヒトはヒトを知ることができるだろうか?」
これまで沈黙を貫いていたのとは一転。雄弁に言葉を紡ぐ。
「心はパターンです」と、闇色の獣が答える。「突き詰めれば要素に分解することができる。その方法が機械惑星では確立されている。要素を脳内活動と結びつけて観測すれば、思考の流れが解析できる。感情を数値化し、蓄積されている知識や経験をトレースすれば、理解し、知ることができます」
「そうして解析され、複製された心は、元の心と同じなのだろうか?」
ゴリラの質問に、闇色の獣はたじろいだみたいに目を見開き、息を呑んだ。
「……あなたは何者です!?」
吠えるように叫び、獰猛に疾駆。強靭な足で強く踏みこむ。分厚い爪の跡が地面に刻まれると、突風の如き急加速。一瞬でゴリラとの距離を縮めて、凶悪な牙を剥いた。
大太刀を大地に預けたまま、ゴリラは防護服におおわれた片腕を差しだすと、獣の牙を上腕で受ける。強力なブチハイエナの咬合力が、スキルによってさらに強化されている状態。防護服の表面がへこんで、牙が食いこんだ。だが、超硬度の繊維で編まれた防護服を引き裂いたり、食い千切るには、それでも足りない。
牙の先にわずかに肉の感触。ノーダメージではない。が、かすり傷程度。
ゴリラは腕を押しこむみたいに踏みだすと、空いているもう一方の腕で、闇色の獣の胸に鋭いアッパーを放った。打たれた獣の肺が圧迫され、呼吸困難に陥る。空気を求めて反射的に顎の力が緩むと、そこへすかさずフック。顔面を殴りとばされる。
折れた牙が散らばる。ジェヴォーダンの獣が、焦げた野を転がった。リカオン、クー・シー、マーゲイが駆け寄ると、闇色の獣の体をひっぱり、退避させる。
ゴリラは周囲のプレイヤーたちを見渡し、両手をおおきく広げた。宇宙服を着た人型がそんなふうにしているものだから、宇宙開発のプレゼンテーションでもはじまりそうな雰囲気。
「お集りの皆さん」のびやかに呼びかける。
「遊びは終わりです。すみやかに機械惑星へとお帰りください。これから、データの解体がはじまります。ここは危険です。穏便にログアウトしていただけるなら、手荒なことはしません。ログアウトして、もう二度とログインしないでください。この世界は焼け野原になります。そんな世界にログインしては、皆さんの精神に悪影響を及ぼす可能性があります」
「ぬけぬけと言うじゃないか」
オオアナコンダがにょろにょろと這って首をもたげた。満身創痍の肉体。一本目の大太刀を破壊したときに、体力と命力を消耗しすぎていた。
「でていけって言うなら、その前に消滅するまで戦ってやるよ。どっちにしろ同じだろ」
「違う。同じじゃない。全然違います」
ゴリラは強く否定して、
「消滅せずにいれば、人間でいられる時間が長くなる。第一衛星が模索している治療法が間に合うかもしれない……、皆さんの理解の程度にばらつきがありそうですが、そうですね……、説明している時間が惜しい。後悔するだろう、とだけ申し上げておきましょう。分かる方だけ分かればよろしい」
「ということは、あなたは第一衛星の使者……」
ブチハイエナがちいさくこぼす。
「あんたはNPCなのか? プレイヤーなのか?」
紀州犬の疑問に、ゴリラはひらひらと手をふって、
「どちらでもあります。無意味な問いを発している暇があったら決断を」
完全に包囲されていながら飄々とした態度。シロサイが角のない鼻先を掲げて、威嚇の声をあげながら、
「先に手をだしてきたのはそっちだ。いまさら話し合いの余地はない。命乞いならもっとマシな文句を使うんだな」
「命乞い? ここに乞うような命はない」
ゴリラは大太刀を地面から引き抜くと、両手で握り、正眼に構えた。戦闘態勢。
オオアナコンダがヒグマのそばに寄って、尻尾を差しだす。
「もう一回、俺を使え。武器を破壊するんだ」
「だめだ」と、ヒグマ。「同じ手が通用するとは思えん。三本目を持ってる可能性もある。インベントリにいくつ装備品をたくわえているか、こっちには分からん」
それに、そんなことをすればオオアナコンダの命力が尽きるに違いない。無駄に消滅させるようなことは避けたい。
リカオンが鼻先を落として弱り声。いままでの戦いで、ゴリラの実力は十分すぎるほどに見せつけられている。
「数の有利を使って、質量で押すかなさそうだが……」
「一斉にとびかかろう」と、マーゲイが四肢をバネのように縮めた。
「踏みつぶしてやる」
シロサイが気炎をあげると、その喉元に、大太刀の切っ先がついと向けられる。
「皆さんの頑張りに免じて、ご忠告差し上げましたが、必要なかったようですね」
じりじりとしたすり足。
「芯から獣に汚染されている。ヒトの心から外れてしまっている。ニセモノだ。獣のニセモノ。ヒトのニセモノ。中途半端な獣モドキにヒトモドキ。……わたしはニセモノを決して許しはしない」
「あなたは……」
気迫に押されるみたいにして、ブチハイエナが後ずさる。
すると、身構えるプレイヤーたちの輪のなかから、ヒグマがひとり前にでた。
「こいつは、おれにやらせろ」
四肢をどっしり地におろして、獣の吠え声。
刃の切っ先を睨みつける。
鬼熊のスキルで使える装備品はない。ショットガンで破壊されたのが、手持ちの最後だった。それに、たとえ甲冑を身にまとっていたとしても、このゴリラの太刀さばきであれば、容易に隙間を通してきそうではある。
となると、長腕を持つ悪魔のクマ、チミセットのスキル。肉体の腕が伸びれば、大太刀の刃渡りと同等の長さになり、リーチ差を埋められる。だが、それだけでは生身で刃と鍔迫り合いをするには心もとない。
残りはひとつ。
「狂戦士を使う。全員離れていろ。巻きこまれても知らんぞ。人間ぶったこのサルに、本物の動物ってやつを叩きこんでやる」
渓谷の縄張りの試合で、ハイイロオオカミや紀州犬たち相手に使ったスキル。その効果は暴走。肉体を自動操縦に切り替え、人間の感覚や反応速度を超越した、野生のクマさながらの動きが再現される。
紀州犬やタヌキはすさまじさを実際に目にしている。初耳の仲間はひとりで戦わせられないと、ヒグマと共闘しようとしたが、ふたりでそれを止める。近くにいたら無差別な攻撃を受けかねない。プレイヤー同士でダメージはなくとも、はねとばされて、焔に投げこまれてしまうかもしれない。
あの力を思い切り発揮すれば、たしかにひとりで勝てるかもしれない。邪魔にならないようにするべきだと促された仲間は、半信半疑ではありつつ、ヒグマの望み通りに距離を取った。業火の山の燃える樹々のそばを避けて、灰が積もり、炭が転がる野原へ。なにかあれば、いつでも助けられるように蹄や爪を踏みしめながら。
四足のヒグマと二足のゴリラが相対。
ゴリラは大太刀を腕の延長、体の一部であるかのように扱って、刃の切っ先までをピンと張りつめさせる。
「人間の技は手ごわいですよ。獣の技とは歴史が違う。遥か過去から、伝え、受け継がれてきたものですから」
語りかけるゴリラに、ヒグマは威圧的な唸り声を返す。
「気に食わない……、動物をなめるなっ!」
ヒグマの目の色が変わった。
野生が宿る。感情がふっと吹き消えて、底知れない激しさがこみあげてきた。
ヒトの言葉を失い、燃える山に、大地に、空に、咆哮がとどろいた。
あたりの空気が一変する。
焔から色が抜け落ちたかのような静寂。
獣とヒトの一対一の戦いが、いま、はじまろうとしていた。