●ぽんぽこ15-44 猛者たちの語らい
広々とした草原。明るい陽射しの元、ヒグマとオオアナコンダが取っ組み合う。
長大な体の包囲網を狭めながら、オオアナコンダが牙を剥く。ヒグマの足がとられ、胴にまで這いあがられた。大蛇の頭に反撃のクマパンチ。さらに鱗にがぶりと噛みつく。大蛇は攻撃を受けながらも、巨獣の体をまるまる包んで締めあげた。
オオアナコンダの体長はヒグマの約四倍。だが、体重となると、ヒグマのほうが二倍近く重い。
群れ戦の試合中ではないので、いずれの攻撃もダメージゼロ。
膠着状態のまま決着がつかない。
クマヘビ団子。どうにもならない状況。ふたりとも笑いだしてしまって、ゆっくりと、肉体をひき剥がした。
ケンカ、というより、これではじゃれあい。
草の上に寝っ転がって日向ぼっこ。オオアナコンダが口の端で笑う。
「な? 群れ戦外での力比べって言ったら基本的に押し合いだけど、ヘビに押し合いはできないんだよ。締めるだけ。だから戦闘好きの俺に野良は向いてない気がする。まあ、方法によっては勝敗を決めれなくはないよ。アミメニシキヘビなんかにロープ役をしてもらって、両端をひっぱり合うとか……」
「それは嫌だな」と、ヒグマ。「そこまでくると、動物じゃなく、人間でやればいいだろ」
「うーん。言いたいことは分かるけど」
「分かるか?」
顔をあげたヒグマが、耳を立たせる。大蛇はこくんと頷いて、
「分かる。ゲームのシステムっていうルールに、さらにルールをつけ足すのは人間的すぎるって感じだろ。このゲーム自体は自然だけど、ヒトが考えたものは不自然だからな」
「そう!」ヒグマは我が意を得たりというように腹を打って「縛るんじゃなくて、開放されたいんだよ。動物になってまで、人間みたいなことはしたくない。ここでの戦いはスポーツじゃない。命のやり取りだ」
熱弁に対して、オオアナコンダの態度は冷ややか。冷血動物らしい穏やかさで、疑問をこぼす。
「しかし、動物と人間ってそこまで違うかねえ? 動物がなにを考えて生きてたかなんて、データに残ってないわけだろ。植物と動物の違いだったら一発だけど、動物と人間っていうと、どこで線引きすりゃいいんだか」
「動くか動かないかだ」と、ヒグマが身を起こして、ぐっ、と四肢を伸ばす。
「それは動物と植物の違いだろ」
「植物は元から動かないだろ。動かないものとして存在してるんだ。おれが言っているのは目指す方向の話だ……」
それからヒグマが語ったのは、進化の在り方について。
動物は生存のために、動く必要がある。獲物を追うために動き、天敵から逃げるために動く。適した気候を探して動く。極寒を避け、灼熱を避け、雨を避け、もしくは求める。または、餌を得るために動く。ヌーなんかは食料の草を求めて、大地を駆け抜け、川を越え、丘を越え、生まれてから死ぬまで、生涯のあいだに、地球一周以上の距離を自らの足で大移動していたのだという。
一方、人間は動かないように進化し続けた。自らは動かず、世界を動かす。快適な環境を求めて移動するのではなく、巣である家を、部屋を、快適な環境に作り変えた。流通の発達や、自動化によって出歩く必要も減った。コンピューターを駆使して、他者とつながり、ひとところで世界が完結できるようになった。
現実のヒグマは自宅と職場の往復以外はほとんど移動しない。せいぜい、食物店に立ち寄るぐらい。運動不足。だが、困らない。それは特別なことではなく、ごく一般的な、機械惑星の住民の生活。
そんな状況を危惧してか、スポーツ事業に力を入れている団体もあるが、スポーツはやるものではなく、観戦するものという意識が根強い。体力維持に関しては、専用器具なんかを使うだけで済ます者がほとんど。
「……人間というのは、動物ではない不動物なんだ。もしくは静かなる物、静物、かな」
話し終わったヒグマに、オオアナコンダは眠たげに顎を土にこすりつけながら、
「そんな話をしてる自分がいま置物なわけだろ。現実だと身動きせずに冠でゲームをしてるだけなんだから。それを考えると、ちょっと滑稽じゃないか?」
「辛辣だな。否定はできないが」
ヒグマは鼻をとがらせながら、熱が入りすぎたのを自覚して、ちょっぴり恥ずかしそうに目を伏せた。そうして、しみじみと、
「動物はいい。おれは人間なんかやめて、動物になりたい。みんな動物になればいいんだ」
「でも、動物は、自然は滅びたんだろ。地球と一緒に。人間は生き残った。動物になるっていうのは、滅びるってことなんじゃないのか」
「それでいいんだ。人間は滅んだっていい。十分長生きしたし、大往生だ。いや、もう滅んでる。ピュシスにいると思うんだ。自然のない現実は、なんて味気ないんだろうって。すべてが暗い灰色で、精彩に欠けていて、淀んでいて、あの星で暮らしている全員が死んでるんだよ。おれはログインするたびに生き返ってるんだ」
「ヒグマはさ。動物にこだわってる割に、なんか動物らしくないんだよな。心臓が動いてる限りは生きてる、脳みそが動いている限りは生きてる。そのぐらい単純でいい気がするけど」
言われたヒグマは考えこむ。すぐに考えるのをやめようとしたが、思考が追いかけてきた。人間の性分。動く前に、考えてしまう。溜息をついて、
「変なことを話して悪かったな……」
言いながら顔をあげて、ポカンと口を開けた。視線の先には山。オオアナコンダもふり向く。
「霧?」と、ヒグマ。
いつの間にか、山が分厚い靄をまとっている。
「雲が落っこちてきたみたいだな。それに、なんか赤いけど」オオアナコンダ。
ヒグマも樹々が赤く染まっているのを確認して、
「いきなり紅葉したのか? さっきおれがいたときは緑だった気がするが」
「こんなに一斉に……?」
大蛇は首を傾げ、「そうだ」と、ヒグマの気を晴らせそうなことを思い出した。
「熱帯雨林の縄張りには一斉開花ってやつがあるんだぜ。熱帯雨林はな、ずっとおんなじなんだ。普通の自然は暑くなったり、寒くなったり、乾いたり、潤ったり、変化、季節があるもんだけど、それが一切ない。ずっと暑くて、潤ってる。植物って、きっかけがあって花を開くだろ。そのきっかけっていうのは、大体季節が目安になってる。でも熱帯雨林には季節がない。だから植物同士の空気の読み合いが発生するんだ。ひとつが開花すると、他も一斉に開花する。一緒に開花しないと受粉ができないからな。それから、別の種類の植物も便乗して開花する。そうやって、たくさんの花に自分をまぎれさせるんだ。ひとりだけ花を咲かせてたら、獣が寄ってきて全部食べられちゃうから、それを避けるためだ。みんなで咲けばこわくないってわけ。壮大できれいなんだぜ。見にこいよ。野良だったら、そのときだけうちの縄張りに入れてやるからさ。俺は副長に復帰する予定だから、群れ員を増やす権限もあるし……、って俺の話、聞いてるか」
ずっとしゃべっていたオオアナコンダをよそに、ヒグマは山に意識を集中させていた。
「煙だ……!」
「煙?」大蛇も目を凝らして、舌で空気の香りを確かめる。「あー……? もしかして……、燃えてるのか? なんで?」
「知るか」
「まだ、みんなあそこにいるのかな。助けにいくか? いって助けになるかは分からないけど」
大蛇が地を這う。きた道を戻っていく。ヒグマはこないのかと頭を向けると、首を咥えあげられた。
「その速度だと間に合わないだろ」
ヒグマがオオアナコンダをひきずりながら草原を駆ける。火は山のてっぺんから広がり、中腹を越え、裾野を目指している。
クマという生き物は群れない。しかし、イヌたちと長くいて、感化されたのかもしれない。業火の気配が強まってくると、仲間を心配する気持ちが、ヒグマの心にじくじくと湧きあがってきた。