●ぽんぽこ15-41 完全防備
マントヒヒが撃破されるほんのすこし前のこと。
緑色の妖精犬、クー・シーがゴリラによって追い詰められていた。
ラブラドールレトリバーがスキルで変貌した姿。ウシほどの体格をした巨大なイヌの後ろには、業火の園が広がっている。正面には屈強なゴリラ。ゴリラの両手には分厚い刃の大太刀が、それぞれに握られている。
どっしりと足を開いて、重心を低く。腕の筋肉がこぶのように盛りあがり、いつでも武器をふりおろせる構え。ゆらめく焔を映した白刃が、血に濡れたように輝いて、ぎらぎらとイヌの瞳を苛んだ
すでに刃が届く間合い。両者が一歩踏みだせば、吐いた息が混ざりあうだろう。右に逃げれば右の刃が落とされて、左に逃げれば左の刃が落とされる。ギロチンの如き刃を受ければ命はない。体力も、命力も、一瞬のうちに消し飛んでしまう。
ゴリラが足の指を使いながら、すり足でもってにじり寄る。脅威は大太刀だけではない。それを軽々と扱える筋力そのものが脅威。すさまじい顎の力にも要注意。
立ちはだかる壁のようなサルの圧力に押されて、妖精犬は後退。尻尾に火がつきそうになる。このまま焔に追いやられるか、左右に走って断頭台の露と消えるか。いずれも望む結末ではない。
正面へ。緑色の四肢をバネのように使って、ゴリラの胸へと一気にとびこんでいった。
斜め上の角度から襲いかかってくるイヌに対して、ゴリラは刃を向ける。二本の大太刀が、カニのはさみのように閉じていく。確実に喉を捉えて、首を狩ろうという鋭い攻撃。
が、大太刀はいずれもからぶって、イヌの頭上を通り過ぎた。
イヌが突然縮んだのだ。
その毛衣は緑色ではない。黒褐色。スキルを解除して、元のラブラドールレトリバーの肉体に戻っていた。
クー・シーの図体はウシほど。ラブラドールレトリバーは大型犬とはいえ、その半分以下。ネコがネズミなったようなもの。スキル前後の対格差を利用して、イヌは刃を素通りした。
着地したイヌは身を伏せて、ゴリラの足の横を駆け抜けようとした。ゴリラは体をねじりながら、イヌに向かって倒れこむ。そのまま肘鉄。イヌは背中にダメージを受けながらも、全力で離脱。
ゴリラは横に転がって、シルバーバックの毛衣を土で汚しながら、すぐさま起きあがり、相手を追った。
逃げるイヌ。追うサル。
山の斜面に灰と煙とが巻きあがる。ゴリラの走る速度は大型犬の平均値と同等、もしくは上回る。装備品を一旦解除して、大太刀をしまうと、火をもおそれない勇猛たる疾走を見せつけてきた。
ラブラドールレトリバーは再度クー・シーのスキルを発動。肉体を強化し、逃げ切りをはかる。足音のない、滑るような妖精犬の走り。しかし、重たいゴリラの肘鉄により、打撲の状態異常を負ってしまっている。速度があがりきらない。
火を避けながら、藪をかき分け、がむしゃらに逃げる。敵はつかず離れずついてくる。熱い。体温調整がうまくいかない。舌を垂らして放熱しようとするが、火災の熱気が体の内からも身を焦がそうとしているみたいだった。
チワワの遠吠えが聞こえてきた。情報を読み取る。空を飛ぶ敵を倒したらしい。しばらくして紀州犬の遠吠え。自分を探している。息を切らしながら遠吠えを返して、吠えながら移動し続ける。
仲間の声の方角へ向かいながら、追いつかれないように足場の悪い場所を選ぶ。岩が重なる地形へ。めくれ上がった丘へ。崖の縁を駆けあがり、さらに逃げる。
サルよりも、イヌのほうが山道を踏破する力が高いと考えての行動だった。
だが、クー・シーは知らなかった。
相手にしているこのゴリラは、ゴリラはゴリラでもマウンテンゴリラ。ゴリラというのはニシゴリラとヒガシゴリラに分類される。それぞれ二種ずつ、合計四種。ニシゴリラに属するのがニシローランドゴリラ、学名ゴリラゴリラゴリラ。それからクロスリバーゴリラ、学名ゴリラゴリラディエリ。ヒガシゴリラに属するのがヒガシローランドゴリラ、学名ゴリラゴリラグラウエリ。そしてマウンテンゴリラ、学名ゴリラゴリラベリンゲイ。こうゴリラゴリラと連呼されるのは、元々ゴリラは一種類だと考えられていたから。そのときの学名はゴリラゴリラ。別の種がいることが分かると、ゴリラゴリラという学名の後ろに言葉を付け足して分類されるようになったのだ。
そんな四種のなかでもっともおおきく、もっとも力強いのがマウンテンゴリラ。霊長類最強の体。他のゴリラよりも体毛がふっさりと長く、腕は太く短め。その生息地は山地。山道の移動はお手の物。
崖の上で、ついにクー・シーはゴリラに追いつかれる。崖を背に反転。牙で切り抜けようとするが、敵の手にはまたもや大太刀。攻撃のリーチ差は歴然。
同じ轍は踏まないとばかりに、ゴリラはまずクー・シーの足の切断を狙う。低い角度での斬撃。そこへ、横やり。まさしく槍のようなものがゴリラを横から襲う。ユニコーンの角。大太刀の腹で受けて、ゴリラは角の切っ先をそらす。反対側の後ろから紀州犬の奇襲。岩の陰からとびだし、ゴリラのかかとに噛みつこうとした。
二本の大太刀の一本をユニコーン、もう一本を紀州犬に向ける。手首をひねって打ちおろされた刃が、紀州犬の首を切断。かと思いきや、これは犬神のスキルの効果。頭を分離。敵に牙を突き立てる。
呪いの状態異常を付与、できなかった。硬い。金属繊維で編まれた分厚い布を噛んだかのよう。実際、その通りらしかった。サルが服を着ている。武器と同じく、防具を取り出し、装備したのだ。全身を隙間なく、灰色の防護服に包まれている。
宇宙服みたいな防護服に、二刀の大太刀。文化的なのか野蛮なのか判断に苦しむ恰好。もはや動物なのかすら怪しい。
ユニコーンの一本角が両断された。すぐにシマウマは二角獣バイコーンの肉体に切り替えたが、ゴリラの怪力でふりまわされた大太刀にはかなわない。片角を折られ、残った角で敵の肩を突いたものの、防護服を貫けない。
紀州犬が頭を飛ばす。不透明なフルフェイスのヘルメットの表面にへばりつく。ゴリラは大太刀の柄でもって、視界を塞ぐイヌの頭をたたこうとする。その瞬間、背後から衝撃を受けた。
音のない足さばきでまわりこんでいたクー・シーの突進。押されたゴリラの正面には崖。下までの距離は、キリンの背丈以上。一面に広がる真っ赤な焔が、亡者の手招きのようにゆれている。
足を踏み外す。ゴリラの巨体が重力にひっぱられる。崖の縁でふり返り、大太刀を投げ捨て、手を伸ばした。だが、その胸に、クー・シーがダメ押しの体当たり。ゴリラは落下。崖下の火災に呑まれる。
一緒に落っこちそうになったクー・シーの尻尾を、シマウマが咥えてひっぱる。
「スキル解いて! スキル!」
言われて、ラブラドールレトリバーの肉体に戻る。体をちいさく、体重を軽く。ひっぱりあげられる。
「危なかったあ」
息をつくシマウマを、紀州犬がせっつく。
「逃げるぞっ! 早くっ!」
急ぐ紀州犬の尻尾に、ラブラドールレトリバーとシマウマが続いた。
「なにから逃げるんだい?」と、シマウマが尋ねると、
「呑気すぎるぞ。あのでっかいサルは死んでない。あいつが着てた防護服は宇宙作業員なんかが着るやつだ。ニュースで見たことがある。衝撃には強いし、断熱性能もばっちりだ」
「でもいくらなんでも……」
シマウマが崖をふり返ろうとすると、ゴリラの怒りの咆哮が轟いてきた。首をすくめて、蹄を急がせる。
「あれは動物じゃない」
と、ラブラドールレトリバー。
「ヒグマは装備品を能力低下なしに使えるスキルを持ってるけど、使えるといっても防具がせいぜい。武器は無理。手のつくりからして使えないんだ。でも、サルは違う。道具を使える手をはじめから持ってる。人間みたいな。気味が悪い。このピュシスに、人間が入りこんできたみたいだ。あんなもの倒せるのか……?」
紀州犬は考える。ヒグマの鬼熊のスキル。ウマグマのイエティのスキル。ホルスタインのゲリュオンの牛のスキル。いずれも装備品をデメリットなしに使えるが、たしかに防具ばかりだった。道具を使うサル。服を着たサル。ラブラドールレトリバーが言う通り、どこか不気味な存在。
けれど、それが集まったのが現実世界、機械惑星でもある。道具を使うなど当たり前、服を着るのも当たり前。この世界においては非常識なことも、向こうでは常識。逆もしかり。
こちらの感性に染まると、人間というのが化け物じみて思えてくる。そんな思考に、ラブラドールレトリバーは傾いてしまっているらしい。紀州犬もわずかだが、ひっぱられはじめている。
頭をふってふり払う。
「俺たちは人間だ。人間は人間を倒せる。そうだろ? 協力してサルを倒そう」
「どうかな」
ラブラドールレトリバーは認めない。けれど、声に諦観の響きはなく、
「人間は最終的に自然に負ける。きっとそうなる。そうであるべきなんだ」
その瞳には、焔の輝きが、暗く、深く、映りこんでいた。