●ぽんぽこ15-37 道具を使う者、使わざる者
復活をくり返すチンパンジーとボノボのふたり組と戦闘中のシロサイ、オジロヌー、タヌキ、それからカホクザンショウ。蘇生スキルの存在を知らせるために走るリカオン。それを追う猩々。狒々のスキルで空を飛び、トートのスキルで仲間を生き返らせるマントヒヒを仕留めるべく動いているジャイアントイランド、紀州犬、ケツァール、ブチハイエナにシマウマ、チワワ、そしてマーゲイ。
そんな仲間たちとは別の場所にて、ラブラドールレトリバーが、ゴリラとの一騎打ちの戦いをくり広げていた。
全身が緑色の妖精犬、クー・シーの肉体。
普段なら自然のなかで迷彩になる毛衣も、山火事に見舞われている山林では、身を隠す役には立たない。
黒々とした炭の木立。その向こうに立つのはゴリラ。銀色混じりの毛衣は、シルバーバックと呼ばれ、成熟したゴリラの証。手に持っているのは、丸太の如き太さの松明。火が灯った棍棒。力強くふられると、周囲の藪が払いのけられ、火の粉が樹々に燃え移る。
妖精犬が音もなく、滑るように山肌を駆ける。その体格はウシと同等。元のラブラドールレトリバーの肉体の数倍。大柄なゴリラをも凌駕している。
小細工は不要とばかりに、正面から挑みかかると、ゴリラは棍棒で牽制。道具で延長された腕は、二倍にも三倍にもなっている。ヒグマが悪魔のクマ、チミセットのスキルを使っているときでも、ここまで腕は長くない。
まんまと押し返されたクー・シーは、植物の密度が高いほうへと、まわりこむようにしながら移動。できるだけ樹々の間隔が狭い場所を戦場として選ぶ。火が燃え広がりやすい危険地帯だが、ここなら棍棒が幹にひっかかるので、十分にはふりまわせないはず。
目論見通り、ゴリラの動きが鈍くなる。棍棒のスイングがコンパクトにならざるをえない。窮屈な動作を余儀なくされるゴリラの懐に、小回りを利かせた妖精犬が隙を見てとびこんでいく。
狙いは棍棒を持つゴリラの腕。食いつこうとするも、これは失敗。腕をひっこめられて、棍棒の柄を盾にされる。木製の棒に牙を立てたイヌの首を、ゴリラのおおきな手のひらが掴んだ。喉輪を決められ、イヌがのけぞる。捕らえたイヌの肩口に齧りつこうとゴリラが威圧的に牙を剥いた。
見るからに強靭な顎に畏怖を覚える。妖精犬は前足を全力で暴れさせ、ゴリラの手から逃れようとする。しかし、その握力は強力無比。喉にがっちりと食いこんで離れない。それもそのはず、ゴリラの握力は動物界で最も強い。人間の成人男性の平均値の約十倍。これは林檎の果実を握りつぶすのに必要な握力の六倍もの数値。
加えて、クー・シーがゴリラの顎を脅威と判断したのも正しい。ゴリラの咬合力というのは、ライオンやトラ以上の咬合力のブチハイエナ、それよりも強い咬合力を持つクマの最大種、ホッキョクグマ、そんな二種をも超えているのだ。ゴリラは基本的に草食だが、その顎の力でもって、硬い木の実や植物の根っこを食べることができる。哺乳類のなかでゴリラよりも噛む力が強い動物はジャガーやカバなど、ほんの一部しか存在しない。
窮地において妖精犬は四肢で踏ん張って、なりふり構わず首で暴れる。前足が偶然にもゴリラの鼻づらを打って、相手が怯んだ隙に、地面から根菜でも引っこ抜くみたいにして脱出することができた。
距離をとって咳きこむ。その拍子に火災の煙を吸ってしまい、さらに咳きこむ。喉に負ったダメージがおおきい。牙で噛まれるより先に、首の骨を折られていてもおかしくはなかった。
体格だけで見れば、スキルで強化されているクー・シーが勝る。能力的にも見劣りはしないはず。が、やはり、道具が厄介。
腕の延長。攻撃力の増強。防御にも使える。
元々の目的に立ち返る。あわよくば倒そうとしていたが、いますべきなのは、銃を持ったサルを仲間が倒すまでの時間稼ぎ。向こうの戦闘の邪魔をさせないこと。
銃声はまだ聞こえる。鳴ったり、鳴らなかったりをくり返しているが、とにかくまだ戦闘中のようだ。あちらの決着がつくまで、サルを足止めすることが自分の役割。
けれど、ふと考える。決着と言っても、シロサイたちが負ける可能性もある。どうにも、いまひとつ、サバンナの連中の実力を信用しきれていない。
ラブラドールレトリバーからすれば、紀州犬以外はほとんど知らないプレイヤーばかり。サバンナのライオンの群れとは何度か群れ戦をしたが、なんだか人間くさいやつらが多くて言葉をかわしたりすることはなかった。渓谷のギンドロの群れのケツァールは、いまは同じ所属ではあるが、鳥のくせして植物くさくて、こちらも積極的に交流はしていない。
イヌはイヌで寄り集まるのが一番。特にゴールデンレトリバーとは大の仲良し。そんなゴールデンレトリバーは、自分をかばって死んでしまった。体の大きさを自在に変化させる超巨大サルのこぶしにつぶされたのだ。消滅したのか、していないのかは不明。この戦闘は混乱を極めていて、だれがどういう状態なのか、めちゃくちゃになっている。火や銃弾以外の攻撃で体力が尽きたのなら、本拠地にデスワープするだけで済んでいるかもしれないが、それをたしかめるには、本拠地にまで戻らなければならない。この山は、渓谷の縄張りと、サバンナの縄張りのほぼ中間地点に位置しており、どちらからも微妙に遠い。すぐにというわけにはいかない。
なんだか中途半端な気持ちになってくる。
自然を燃やされることに対する怒りは皆と同じように持ち合わせている。サルを野放しにすれば、多くのプレイヤーが消滅することになるというのも分かる。そのプレイヤーのなかには、イヌだっているだろう。倒せるのなら、ここで倒しておくべきなのは間違いない。
だが、それを上回って、ゴールデンレトリバーの安否を確認するために、渓谷の縄張りに戻りたいという気持ちが湧きあがってきている。
――いざとなったら、尻尾を巻いて逃げるべきだ。
肝に銘じる。
けど、まだ、戦える。やられっぱなしなのは気に入らない。もしゴールデンレトリバーが消滅をまぬがれ、まだピュシスにいるのだとしたら、土産話のひとつぐらいは持って帰りたいものだ。敵を倒して、仇を討ったという誇らしい報告を。
ゴリラは燃え尽きて脆くなった樹々を棍棒で粉砕して、狭苦しい山林のフィールドを整えようとしていたが、途中で面倒になったのか、間合いをはかっている妖精犬に向かって、火の灯った太い棒を投げ捨てた。
横っ飛びで避ける。背後でくすぶっていた高草の野原が燃えあがった。
ナックルウォークの四足歩行でゴリラがイヌに向かってくる。その速度はアフリカゾウと同等といったところ。人間よりもずっと速い。
後門の焔。前門のゴリラ。
クー・シーが考える。
いますぐに後退すれば、完全に燃え広がるより先に野原を駆け抜けることができるかもしれない。しかし、敵はわざわざ道具を手放してくれた。素手のサル相手なら、勝てるのではないだろうか。
足を前へ。待ち構える。と、敵が眼前までやってきたとき、クー・シーは自分の考えが甘かったことを知る。
両手を挙げたゴリラが棍棒とは別の装備品を取り出した。プレイヤーがやるのと同じように、このゲームでは異質なぐらいに無味乾燥としたシステム的な処理で、虚空から出現。ぎらつく刃。ウシやウマであっても両断できそうなほど分厚く、長大な刃渡り。それも二本。
右手と左手それぞれでがっしと二刀の柄を握りこむ。ぶんとふられた大太刀が、風ごと焔を切り裂いた。
素手なら勝てると思っていたのが、一転。急転直下に気分が反転する。自分が一体なにと戦っているのか、曖昧になってきた。サルと戦っているのか、道具と戦っているのか、これじゃあまったく分かりやしない。
背後はもはや通ることができないぐらいに炎上してしまっている。一瞬の気の迷いが、とんだピンチを招いてしまった。
緑色の妖精犬が右に逃げようとすると、鼻先に刃がふりおろされた。すぐにとびのく。今度は左、そちらにも刃。通してもらえない。かすった左耳が斬られてしまう。
ゴリラは慌てない。妖精犬の出方を窺っている。
後門の焔。前門のゴリラ。右と左に落ちるギロチン。
「くそっ!」
耳を斬られたときに体力だけでなく、命力にもダメージを受けた。これもまた、火や、銃と同じ属性の攻撃らしい。斬り殺されれば、消滅する。
自分にも道具が、武器が使えれば。そんな考えが頭をよぎる。
道具を使う者、使わざる者の差が如実にあらわれている。
例えゾウであっても、マンモスであっても、道具を使うサルには苦戦を強いられるに違いない。
ピュシスをプレイするようになって、イヌの肉体を使ううちに、現実の人間の体など、鼻と耳が詰まっているようで、動作も鈍く、イヌに比べればずいぶんと劣ると思っていた。しかし、この瞬間において、道具を使える器用な手を持っているのが、どれだけ優れた特性なのか、存分に思い知らされることになっていた。