●ぽんぽこ15-36 死者の名を知る者
ウマよりも巨大な体躯のジャイアントイランド。体格も立派だが、ジャイアントという名の由来は長大なねじれ角。その長さは大型犬である紀州犬の体長を超えるほど。
その紀州犬はイランドの足元で胴体だけになっている。頭は空の敵を追跡中。咥えているのは翡翠と紅玉色の羽衣を持つケツァール鳥。片翼を撃ち抜かれ、自力では飛べない状態。イヌの口元から垂れた優美な尾羽がたなびいて、空に翡翠の線を引く。
対するは狒々のスキルを使うマントヒヒ。自身のスキルによって巻き起こした風雲を乗りまわしながら、くちびるをめくりあげ、大笑いする奇怪な大猿。灰褐色のふっさりとした毛衣。首回りにある長毛がひるがえり、風をはらんでマントの如くに膨らんでいる。
地上から追いかけるイランドが白沢のスキルを使う。胴体の両側に三つずつ、額に第三の目、合計九つの目を持つ白い瑞獣。その効果は妖異鬼神、魔に属する相手に対しての、絶対的な有利相性。肉食、草食、植物族の三すくみよりも強力に、こちらからの攻撃のダメージを増加させ、敵からの攻撃のダメージを減少させる。さらには、妖怪などのスキルの効果を受け付けないという耐性持ち。
九つの目で看破したところによると、やはり敵は妖怪。地面に降りてきさえすれば、一撃で仕留めることができる。しかし、敵は空に居座って、角が届く距離まではやってこない。ひたすらに風を起こして、いたずらに火災を広げている。
ケツァールがスキルで強烈な風を呼び寄せて、狒々の風雲に対抗。すると、狒々は鬱陶しそうにくちびるをすぼめて、イヌの頭に向かって風をうねらせた。
突風に乗って、サルが牙を剥き、突っこんでくる。犬神のスキルで切り離されたイヌの生首の飛行速度はそよ風程度。小鳥以下。サルの勢いはその上をいく。大猿の腕が伸ばされて、イヌの頭に掴みかかろうとした。が、ケツァールの風の補助によって、すんでのところで切り返して回避。挑発的にゆらめきながら、すこしずつ地上へと降下。イヌと鳥が、サルを誘う。
誘いに乗るか、乗るまいか、サルはしばし考えるようなそぶりをしていたが、竜巻のような下降気流を起こして垂直落下。イヌの頭と鳥のコンビを追い抜いて、一足先に山肌に着地した。
すぐさま白沢が走る。燃える梢の門を潜り、消し炭になった藪を踏み越える。白い毛衣に灰と黒煙がからまって、墨がはねたかのようにまだらに染まる。
遠くで響いていた銃声が止んでいる。あちらで戦う仲間はもう勝利したのかもしれない、と考えているうちに、サルを発見。
敵は岩の上に腰かけていた。大猿の狒々のスキルは解かれて、マントヒヒそのままの姿に縮んでいる。
背中を丸めて、手に持ったものを熱心に覗きこんでいる。サルが眺めているのは書物。文明の象徴。ページをめくり、読んでいるようだ。そうして、不意に指を伸ばすと、書かれている文字にそっと触れた。
白沢の耳が、遠い銃声を捉えた。まだ戦っている。静かになっていたのは、敵を倒したのではなく、一時的な膠着状態になっていただけらしい。なら、さっさとこちらを片付け、一刻も早く助けに向かわなければ。
角をマントヒヒへ。蹄を鳴らし、巨体を躍動させる。敵は逃げようともせず、岩の上に佇んでいる。また書物を指差し、ページに触れた。あと数歩で角が届く、というところまできて、白沢の九つの目が敵の増援を捉える。
アヌビスヒヒ。それがみるみる形を変えていく。金色のオオカミ、キンイロオオカミへ。アヌビスのスキルを使って変貌した姿。
俊敏な動きで山肌を駆ける。金の帯が敷かれたかのようだった。白沢は九つの目で敵の位置を正確に把握し、角で応戦。寄せつけまいとするが、交差した一瞬に、右前足を爪でひっかかれてしまう。攻撃を受けた部分が干からびて、ミイラ化。この相手は魔に属するものではない。白沢の肉体でも効果を受けてしまう。重たい体を支えていた柱が一本失われ、体勢が崩れる。
マントヒヒがさらに書物に触れた。と、同時に樹上にオランウータンが出現。長い腕で枝にぶらさがり、猩々のスキルを使って緋色のサルに姿を変える。
白沢は見ていた。九つの目で周囲をくまなく見通していた。増援のサルたちは、たしかにいまのいままで存在していなかった。手にした書物を使ってマントヒヒが呼び出したに違いない、と直感。
書物を取り上げなければ。しかし、足がミイラ化した状態ではうまく身動きができない。
枝を渡って移動してきた猩々が、樹上から、血と酒が入り混じった悪臭を放つ液体を吐きかけてきた。しかし、猩々は妖怪。妖怪のスキルによる効果は、白沢には通用しない。白い毛衣に触れた液体は、気化したみたいにかき消えた。緋色のサルは驚いて、おびえたように梢に隠れる。
キンイロオオカミが再びやってくる。かろうじて角を向けるが、この足で回避は不可能。と、空からイヌの頭とケツァールの助太刀。ケツァルコアトルのスキルが使われると、あたりに積もった灰が風で巻きあげられる。書物が風にさらわれそうになったマントヒヒが岩の上でうずくまった。金色のオオカミは、灰まみれの灰色に染まり、吹雪のなかにいるかのように視界を塞がれる。
次の瞬間、白沢の長大な角がキンイロオオカミを貫いた。けれど、それは白沢自身、予期していなかったことであった。キンイロオオカミは灰に阻まれながらも、角の切っ先を紙一重で避けていた。しかし、にもかかわらず、角は刺さった。まるでシカの角みたいに枝分かれして、黄金の毛衣を持つオオカミの逃げ道に回り込んだのだ。
「性懲りもなく!」
吐き捨てるみたいに言ったのはチワワ。白沢の角を枝分かれさせたのは、ショロトルのスキルの効果。胴体だけの紀州犬に乗って、ここまで連れられてきていた。シマウマが駆け寄ってくると、ユニコーンの角でミイラ化した足を治療。続いてやってきたリカオンが、梢からしたたる猩々の血酒の香りに顔をしかめる。
「生き返ったのか? あんなに苦労して倒したっていうのに……」
緋色のサルの杖で折られた牙で歯噛み。すこし前まで、そのボロボロの牙でリコリスの植物族を運んでいたが、道中で見つけた小川を使って退避させた。水の流れに乗って、うまくいけば今頃は山の外に脱出できているはず。
ブチハイエナもやってくる。その口にはホース。掃除機をひきずっている。
「イランド。状況の説明を」
「その前に、紀州犬」胴体だけのイヌに話しかける。「ケツァールに言って、岩の上にいるあのサルに本を持たせないように常に風で取り巻いてくれ」
「分かった」
首なしイヌが返事をする。
「胴だけで喋られると気味が悪いですね」
背中に乗っているチワワがそんなことを言うと、
「最近はスピーカー、二つ装備がデフォさ」とのこと。
針葉樹林の縄張りのイヌ科集団で戦っていたときには、遠吠えだけで事足りたので、そもそもスピーカーをあまり使っていなかったのだが、サバンナに移ってからはスピーカーの重要さが身に染みている。
すぐに空からケツァールの起こした風が吹きおろしてきた。マントヒヒの手にした書物のページがばらばらと躍る。迷惑そうに空を仰いだマントヒヒは、狒々のスキルを発動させた。書物が消え、筋肉が膨らむ。風雲を呼び出し、風に乗ったサルが空へ。即座にケツァールが向かい風で押さえて、サルは中途半端な高度で足止めをされた。
そんな様子を九つの目が見上げて、
「ぼくの結論から言うと、さっきまで使われていたスキルはトートのものだ」
白沢が口早に説明する。
トートとは。創造神とされることもあるぐらいに、多くの信仰を集めていた神。アヌビス神と共に死者の審判を執りおこない、死者の名を記録する書記の役割を受け持つ。さらには、ヒエログリフという文字を生み出した書記の守護者。月との賭けに勝ち、時の支配権を得た知恵者。数多の呪文を熟知している魔法使い。あらゆる知識を収録したトートの書の著者。そして、医療の神でもある。
体をバラバラにされたオシリス神の体をアヌビス神がつなぎ合わせ、トート神が癒したとも、悪神セトに殺されたホルス神を復活させたともされている。
「トートというのはトキの姿をしているらしいけれど、アヌビスらしきスキルを使うサルがいたから確信した。リカオンがあの赤いサルを見て、生き返ったのか、って言ってたよね。その通りに違いないよ。きっと、手にしていた本は死者の名を記したもので、それを使って仲間を蘇生できるスキルなんだ」
サルに関する情報は機械惑星のデータベースから抜け落ちている。イランドが知らないのも無理はなかったが、トート神は、ヒヒの姿であらわされることもある。
「素晴らしい知識と推察だと思います」
ブチハイエナに褒められると、白沢は照れくさそうに鼻を鳴らしながら、
「シロサイたちが銃を持ったサルと戦ってるはずなんだけど、さっきから銃声が突然、鳴りやんだり、鳴りだしたりをくり返してる。かなり遠くまで効果が及んでいるのかもしれない」
「そっちはこのスキルの情報を知らないんだよな」と、リカオン。
「ああ。いまはシロサイと、ヌーと、タヌキが協力して……」
「ちょっと待て。タヌキ?」
リカオンが耳をそり立たせる。ブチハイエナも顔をしかめた。シマウマはなんのことやらと首を傾げる。チワワは渓谷の縄張りで会った、あの丸っこい獣の姿を思い出し、とても戦えそうにはなかったが、などと小犬である自分の肉体を棚に上げて考えた。
「本人はタヌキって名乗ってたけど。説明が難しいな……」
「いや、説明はいい。……そうか。俺はそっちに知らせにいってくる。仕留めたらなんでもいいから合図を送ってくれ」
言って、リカオンは颯爽と銃声がするほうへと走っていった。それを見た猩々が枝を渡って後を追う。シマウマがリカオンに続こうとしたが、ブチハイエナが、
「赤いサルは放っておいてかまいません」
「でも……」
「いまはこちらの対処が最優先です。すべてはそれから」
見上げた空は風と風とがぶつかりあって、嵐のような様相。
ずっと咥えていた掃除機のホースをおろして、土まみれになっている円柱型のタンク部分を前足でノック。
「あなたの出番ですよ」
すると、掃除機のなかからくぐもった声。
「ランプの魔人ってわけだ」
「魔人? せいぜいよくて悪魔じゃないですか」
「神は悪魔よりも多くの代償を要求する。それだけの力をふるうことができるんだからね。いいものが高いのは当然のことでしょ」
そんなふうに言いながらタンクからかすれた笑いがこぼれて、
「で、誰の心臓をくれる?」
「私の」
「前は怒ってたのに」
躊躇なく、掃除機に閉じこめられていたマーゲイがテスカトリポカのスキルを使う。仲間を生贄にして発動する効果。自らの肉体を煙状に変える。ユニコーンが角を突き刺して穴を開けると、そこから煙猫が噴きだした。
しばらくぶりの外。ゴリラに閉じこめられてからというもの、ずっと放置されたままだった。もうすこしで掃除機ごと包み焼きにされるところを、山頂から戻ってきたブチハイエナたちに拾われたというわけだった。
「あれ、生きてるの?」
煙猫が足元を見下ろして驚く。心臓を奪ったはずの相手が平然と立っている。
「スキルを使うまで待ってくだされば、私も怒りません」
ブチハイエナはマラウイ・テラー・ビーストのスキルを使っていた。蘇りの効果を持つ恐怖の怪物。
「ふうん。そういうスキルがあるのかあ。それって、なーんか。生贄としてはズルいっていうか……、あんまりうれしくないっていうか……」
「そんなことはいいですから、あれの撃破を。もしくはここまで、ひきずりおろしてきてください」
鼻先で空の狒々が示される。
「はいはい」
まだ朝の陽射しが照りつける山に夜風が吹く。火災の黒煙にまじりながら、煙猫は風に乗って、イヌ、鳥、サルが戦っている場所へと舞いあがっていった。