●ぽんぽこ15-34 偽りの希望
サルたちに追い立てられ、燃える山の斜面を駆けおりてきたシロサイが、歓喜を隠し切れない声を響かせた。
「長!」
広々とした灰色の背で、翼を傷めたケツァールがはずむ。火災を通り抜けるうちに大量の灰をかぶり、翡翠や紅玉の如き美しい羽衣の輝きも、いまは曇ってしまっている。
ジャイアントイランド、オジロヌー、ラブラドールレトリバーも、焔のなかにあって強い存在感を放つライオンのたてがみの元へと次々に集まってきた。
斜面の上から接近してくるサル軍団。すらりと長い銃身の狩猟用ライフル銃を手にしたチンパンジーとボノボ。棍棒の如き松明で火を拡散するゴリラ。狒々のスキルを使い、風雲を呼び、空を飛びまわるマントヒヒ。
ケツァールがケツァルコアトルのスキルを使い、突風を呼び寄せる。火吹き棒で空気を送りこまれたかのように、ぼっ、と火炎が成長して、プレイヤーたちとサルたちとのあいだに燃え盛る炎の壁を形成。そのまま左右に広がった火災に視界すらも遮られ、サルは迂回を余儀なくされる。猛火により発生した上昇気流で吹きあがった風に、狒々があおられ、体勢を崩し、どこかの梢に不時着した。
ライオンに化けたタヌキが、仲間たちの視線を受け止めきれずに目を伏せる。隣にいた紀州犬が、山の奥まった場所を鼻先で示した。そちらには、林檎、マンチニール、ハンノキの植物族が密集している。
「とりあえず、みんな急いでこっちへ。林檎ちゃんの果実で回復するんだ」
ほんのすこし稼いだ時間で、獣たちは速やかに行動。サル対策が早急に話し合われる。勝利に向けて練られる作戦。燃え盛る山で、強力な武器やスキルを携えたサル相手の熾烈な戦い。しかし、皆の瞳には希望が宿っている。なにせ、この上なく力強い味方、獣の王、ライオンがいるのだから。負けるはずがないという確信が、勇気を奮い立たせ、心の泉から活力を滾々と湧きださせた。
林檎、マンチニール、ハンノキの植物族に三方を取り囲まれた岩混じりの起伏で円陣を組み、動物たちが鼻先を突きつけあう。
しゃくり、と林檎の果実を齧りながら、ラブラドールレトリバーが、
「ライオンの瞬発力と攻撃力だったら、銃を持ってる二匹のサルを倒せるでしょ」
「無茶を言うな」と、紀州犬。
「ぼくはひとりでやってくれと言っているわけじゃないよ。連携すれば、可能だろうってこと」
「おれが盾になる」シロサイが角ばった肩をそびやかして、「おれの後ろに隠れてサルに近づき、一気に仕留めるんだ。長になら命を預けられる」
「私がカトブレパスのスキルで片方を止めるよ。そうしたら、銃撃を一体分に絞ることができる。一体ずつ倒して、戦況を打開しよう」
片角の折れたヌーが瞳を光らせる。横でイランドが長大なねじれ角を掲げ、狒々がいた方向へと視線を投げかけた。
「空飛ぶサルはこちらで受け持とう。奴はどうやら妖怪のようだ。白沢のスキルを使えば有利に立ち回れる。空中にいられると触れるのが困難だが、寄せ付けないぐらいは、やってみせる」
「敵は風を操る。対抗するには俺の力が必要だろ? 同行するよ。この翼では飛べないが、風を呼ぶことはまだできる」
ケツァールがシロサイの背中の上でよたよたと身を起こした。猟銃によって撃ち抜かれた片翼を労わるみたいに、乱れた羽衣を黄色いくちばしでつくろう。
「なら一番でっかいサルは、ぼくが抑えるよ」
ラブラドールレトリバーがゴリラの相手に立候補。クー・シーのスキルを使って巨大な妖精犬になれば、体格としては互角以上。銃撃の横やりがない一対一なら勝つことすらできるかもしれない。
とんとん拍子で話し合いが進むなか、紀州犬が鋭い声を差しこんだ。
「ちょっと待て。みんな、一番肝心なライオンの意見を聞くべきじゃないのか。本当に、あのサル相手に戦えるのか俺は疑問だ。ライオンだって万全じゃない。そうだよな? 無理かもしれない。別の作戦を考えたほうが……」
すると、押し黙っていたライオンが、ちいさく唸った。
「俺様は……」俯きかけた顔が、まっすぐに持ちあがる。「やろう」
「おいっ!」紀州犬はかじりつくみたいに身を寄せて、ライオンの耳にささやく。
「……どうやってやるつもりなんだよ。できるわけないだろ……」
タヌキなんだから、という言葉を呑みこむ。
偽のライオン。その能力はタヌキのままの弱っちさ。キツネがいれば、狐狗狸さんや、グリフォン、アンズーなどの合成獣のスキルを使うこともできたが、マレーバクと共にすっかり姿をくらませてしまっている。いまの状況では、ふたりを探しに山の向こう側にいくこともできない。
紀州犬が白い尻尾を追うみたいにぐるぐると回って、どうするべきか思い悩んでいると、タヌキが、躊躇なく、変身を解いた。
ライオンの姿は白煙に消えて、靄のなかからあらわれたのは、まん丸くって、ずんぐりとした獣。ライオンの威厳はかけらもない。おどけたみたいな目の隈模様。動きは鈍そうで、まったくもって頼りない姿。
太陽が突然、豆電球に変わってしまったかのようであった。
仲間たちは驚き、目を丸くして、首をすくめる。
「ぼくはタヌキ。ライオンじゃない」
正直に告白する。
タヌキは悟った。
恐怖の幻覚のなかで、真に己が恐怖しているものの正体を知った。
たくさんの人々が、自分のなかに存在している。ロロシーやリヒュ、兄レョル、母、父、友人たち、行きつけの服屋さんの店主だとか、食物店のお婆ちゃん、学校の先生、他にも、いっぱい、いっぱい。
リヒュに死んでほしくないと思った。それ以外のだれにも。ヒトの生き死にというのは複雑だ。体の生き死にと、心の生き死にがある。体が死ぬよりも、心が死ぬほうがずっとこわい。だれかを失うたびに、心は弱り、死んでいく。内側から蝕まれ、崩壊していく。その果てに、どうなるのか、想像すると、魂が震えた。
このピュシスにも、ピュシスの生き死にがある。仲間を失いたくない。その気持ちが張り詰めて、タヌキを行動に駆り立てた。
心を失わないために、体を失うのはこわくなかった。肉体も、スキルも、そのために使う。
「盾になるのはシロサイじゃない。ぼくが、囮になる。能力は低いけど、ぼくはどんな姿にもなれる。化けられるんだ」
シロサイ、それからイランドとヌーも、この戦闘がはじまる前に聞いた話を思い出す。
「タヌキ……って、マーゲイがそんな動物のことを言ってたな」
「じゃあ、王は?」イランドが心細げにあたりを見まわす。
タヌキは申し訳なさそうに身を丸め、自分よりずっと巨大な獣たちを見上げた。
「いない。ここにライオンはいない。でも、ぼくはライオンのように勇気を持って戦うと約束する。みんなを守るために、銃弾を引き付けてみせる。その隙に、サルを倒してほしい」
「心意気は信用してもいいと思う」と、紀州犬。「こいつはこれまでオポッサムだったりしてたみたいなんだ。みんなオポッサムとは話したことがあるだろ? 悪いやつじゃない」
「俺には分からないな。得体が知れない感じがする」
サバンナの群れとは疎遠なケツァールが眉をしかめる。
「でも、いまさら時間がないよ。やってみるしかないんじゃない」
と、黙って聞いていた植物族たちのひとり、マンチニールが言うと、ラブラドールレトリバーは否定的に首をふった。
「失敗したら、撃ち殺されるんだよ。消滅することになる。見たことも聞いたこともないようなやつにいきなり命を預けろと言われても……、ねえ?」
二の足を踏むような意見に場の空気が沈みかけたとき、それを打ち破るみたいにシロサイが天高く角を掲げた。業火に焦げる青空に、狼煙みたいな煙が幾筋も吸いこまれていく。
「撃ち殺されてもそれが獣だ。獣の運命を全うしようじゃないか。死に向かって臆病に逃げまわるよりも、生きるために勇敢に戦って果てたい。ド派手なゲームエンドのほうがおれの好みだ」
「獣の誇りを胸に抱いて、ね」と、ヌーが樹々に目を向けて「植物族のみんなは、可能な限り離れていて。山の裾野のほうにはまだ火の手が届いてない。あそこまで樹列を伸ばして火災から脱出するんだ」
「植物族のバフやデバフですこしでも力になれるのなら、あたしは一緒にいたい」
戦線に残ることを望む林檎に、紀州犬が耳をとがらせる。
「いいや。ハッキリ言って邪魔だ」
「そんな言い方……」
「そろそろ敵がくる頃だ。すぐに逃げろ」
突き放して、赤い果実が稔る梢を、真っ白いイヌが見上げる、
ハンノキは従って、我先にと山から離れはじめた。松ぼっくりに似た実を地面に落とし、できるだけ火から遠い土に種を植えると、肉体を増殖させる。
マンチニールも移動を開始。
「林檎。いこう」
「……分かった」
その直後、
「きたぞっ!」
イランドが叫んだ。
一気に緊張が走る。炎の壁を大回りした地点、高い段差の上に、サルたちが姿をあらわした。
二挺の猟銃の銃口が狙いを定め、死神の眼光のように不吉に煌めく。
標的はシロサイ。
引き金に指がかかる。
炭となった草花。焦げた岩々。樹々を舐めまわす焔のゆらめき。それらを飛び越え、銃声が高らかに鳴り響こうという直前、突如サルの横合いにあった焔が膨張。火炎の塊が、サルに襲いかかった。
山にとどろいたのは、憎悪の雄叫び。
「サル! サルッ! サルゥッ!」
それは、業火と憤怒によって燃え盛るカホクザンショウ、樹木の怪物、山魈。
「一匹残らず、殺してやる……!」