●ぽんぽこ15-32 恐怖のありか
林檎、マンチニール、ハンノキの植物族がいる山の奥まった場所。枝にとまっているのは、タヌキが化けたクロハゲワシ。根本あたりには首のない紀州犬の胴体。切り離された頭は、懸命にサルたちと戦っている。
ニホンザルとアカゲザルが、スキルを使って変貌した猿神とカク猿。いずれもゴリラみたいな巨体の持ち主。
二頭の大猿は林檎たちがいる方角へ向かっている。イヌの頭がまとわりついて、牙で妨害しようとするが、足を止めさせることはできない。さらにはサル以外にも迫る脅威。火災が刻一刻と忍び寄っている。
ハンノキの梢に火が燃え移った。クロハゲワシが慌てて燃えている葉をくちばしで取り除いて延焼を防ぐ。紀州犬は頭とは別に胴体を器用に動かして、前足で掘った土を焔に浴びせて消し止めた。けれど、そうする端から、風に吹かれてきた燃える木切れや、葉っぱなんかが、続々と押し寄せてきてキリがない。
鳥とイヌが奮闘するなか、植物族たちができることはなく、それぞれにもどかしい思いを抱えている。いずれもスキルを持っているが、いまの状況では使えないものばかり。
林檎のスキル、黄金の果実はすさまじい強化効果で仲間を支援できるが、一度使用してからのリキャストタイムがゲーム内での丸一日。渓谷の縄張りの試合で使ったのは、太陽が沈んだ後だった。いまは、太陽が昇りはじめてしばらくという頃。まだまだ再使用可能にはならない。
マンチニールのスキル、不和の林檎は誘因効果を持つ。枝から落とした金色の林檎に、敵も味方も無差別に引き寄せられる。活用するには、他の強力な攻撃役か、ギンドロのエリュシオンのようなスキルとのコンボが必須。もしいま使っても、クロハゲワシ、紀州犬、二頭のサルが一ヶ所に集まり、鳥とイヌとが大猿に蹂躙されるだけになる。
ハンノキのスキル、アールキングも敵味方無差別の効果。周囲のものたちすべてを恐怖の幻覚に引きずりこみ、怯えるほどにダメージを与える。仲間たちはすでに火災に怯えている。発動すれば、味方の体力をおおきく削ってしまうだろう。それに、NPCであるらしいサルたちに効果が及ぼせるのかも未知数。
ついには猿神、カク猿と接敵。大猿たちが跳梁跋扈し、好き放題に暴れまわる。林檎とハンノキの植物族の肉体によじ登ると、枝を折り、葉を噛み千切った。マンチニールが毒樹であることは把握しているらしく、そちらには決して近づかず。燃えるのを待っている。
イヌの胴体は樹上に登れないが、頭は梢を縦横無尽に飛んで、猿神を追い払うべく、牙を剥いて、吠えたてた。けれども、敵は意にも介さない。イヌを無視して破壊行為に没頭している。ならばと背中にまわって噛みつこうとするが、太い腕をふりまわされるだけで手出しができなくなってしまう。頭だけのイヌと大猿では体格差がありすぎる。
紀州犬は歯噛みする。
「俺が犬神じゃなく、早太郎か悉平太郎だったら……」
サルの怪物を退治する霊犬。けれども、紀州犬が持つのは呪われたイヌのスキルのみ。林檎の果実を貪り食うサルを前に、無力感が募っていく。
一方、ハンノキの梢では、居座るカク猿とクロハゲワシが相対していた。
「はやくなんとかしてくださいっ!」
ハンノキの植物族がクロハゲワシに懇願する。
「でも……」
腰が引ける。なにせ中身はタヌキ。大柄で筋肉質なカク猿との能力差は歴然。
それに、銃声を聞いて以来、タヌキの心はすっかり萎縮してしまっていた。
嫌な記憶がほじくり返される。古い傷にたまった思い出の膿がどろりと溢れる。無数の銃弾から、自分をかばって死ぬ父。撃たれるたびに、震え、力が失われ、血が、命と一緒にこぼれ落ちていく。
鮮明なフラッシュバックに心が奪われ、魂が躓いてしまう。
カク猿の背景にある業火のゆらめきが、まどろみを呼び起こした。
意識がぼうっとして、精神と肉体が乖離。操作がおぼつかない。自分が、クロハゲワシなのか、タヌキなのか、メョコなのか、それとも他の何者なのか、見失う。
身じろぎひとつしなくなった頼りないクロハゲワシに、業を煮やしたハンノキの植物族が叫んだ。
「もう我慢できない!」
アールキングのスキルが発動される。その瞬間、恐怖の幻覚が急速に膨張して、タヌキをすっぽりと呑みこんだ。
タヌキは見た。そして、感じた。
生まれ、育った、これまでの歩みのすべて。
それが、タヌキにとっての恐怖。
ありとあらゆるものが、恐怖の根源であった。
生きるということそれ自体が、恐怖に満ち満ちている。
一寸先は闇。禍福は糾える縄の如し。
幸福は、次なる恐怖と落胆、絶望への布石。
過去に追い立てられ、今を受け入れられず、未来から逃げた。
どこにだって居場所がなかった。
どこにだって恐怖があった。
気づけばタヌキは機械惑星にいた。動物の姿のままで。
人々が行き交う雑踏。人混み。
だれひとりとして、タヌキを気にする者はいない。
タヌキは道路に横たわった。
そのまま、ぴたりと動きを止める。
狸寝入り。
生きるのがこわければ、死ぬしかない。
けれど、死ぬのもこわかった。
だから死んだふりをする。
生きていない者になる。
たくさんの足が鼻先をかすめて、横切っていった。
急ぐ足、ゆっくりな足、オートマタの足もある。
話し声。だれかの落とし物。拾いあげられ、立ち去っていく。
地の底から唸り声のような震動が伝わってくる。けれども、それは、地面が震えているのではなく、自分の体が震えているのかもしれない。
ほんのすこし、明かりが翳る。第一衛星が沈み、第二衛星が昇る。第二衛星が沈むと、また第一衛星が昇ってくる。永久に続く追いかけっこ。
タヌキは死に続ける。恐怖から逃げ続ける。狸寝入りを続ける。
まぶたの裏側にまで、恐怖がしみこんでくる。
死の孤島に横たわるタヌキを、生の海が取り囲んでいる。
波は寄せては引いて、タヌキの毛衣をずぶ濡れにして、攫おうとする。タヌキが泳ぐのを拒否し続けていると、波は淀んで、海が枯れはじめた。孤島が広々と存在感を増していく。
タヌキは、死に、身を預ける。
生に、置き去りにされた自分。
けれど、死は、いつでも、いつまでも、そばで待ち続けてくれた。
なんだか、死がとてつもなくやさしいものに感じられた。
どんな道の先にも存在し、絶対に迎え入れてくれる。
それを思えば、ほんのちょっぴり心強くなる。
タヌキはむくりと体を起こした。
死にながら歩きだす。
死んだまま周りを見渡す。
目がくらむような街の光景。ずっと目を閉じていたからだろうか。薄暗いばかりの機会惑星が、こんなにもまぶしいなんて。
数えきれないぐらいの人間がいた。
みんな生きていて、生きるために、どこかへと向かっている。
――だれかについていってみようか。
雑踏を探すと、知り合いの顔を見つけた。
ロロシー。行方不明になっている親友。リヒュもいる。頼りになる友人。けれど最近はすっかり疎遠。顔を見て、懐かしさを覚える。
ふたりはまったく逆方向へと歩いていく。
どちらについていこうか。
左右を見比べて、考える。
そうしているうちにも、どんどん離れていってしまう。
タヌキは慌ててロロシーの背を追いかけた。
ロロシーは生きているヒト。いつだって生きていた。正直で、まっすぐなヒト。そんな命に憧れる。自分も、そうなってみたいと思う。
けれど、不意に立ち止まる。ふり返って、寂しげな背中を見つめる。
リヒュは、ロロシーとは正反対だ。いつだって死んでいた。自分と同じだったから、嘘つきリヒュのことはなんだって分かった。一緒にいると心地いい。けれど、ダメな心地よさ。自分を肯定したいがために、相手を利用しているだけ。リヒュのためになにかしてあげたいと思うのは、結局のところ、自己愛に基づいた、利己的な欲望にすぎないのだろうか。
リヒュが向かう道の先には、やさしい死が待っているのだろうと思った。
ロロシーは死から遠ざかり、リヒュは死を目指す。やっぱりふたりは正反対。
リヒュを追いかける。足元に駆け寄る。服の裾に噛みついて、ひっぱった。
歩みは変わらず、止まらない。
化ける。
シシバナヘビ。
足にからみつくが、危うく踏まれそうになった。
オポッサム。
足から肩へと駆けのぼって、耳をくすぐってやる。笑うどころか、ふり向きもしない。
コマドリ。
顔の前を飛びまわって、翼を広げ、これでもかと邪魔をする。
でも、リヒュの視線はこちらを通り抜けて、どこか遠くを見ているばかり。
化ける。化ける。次々に。道を変えさせようとするが、ことごとく失敗。
まだ化けられる。
いくらでも化けてやる。
ライオン。
機械惑星の街に咆哮を轟かせる。
たてがみを振り乱し、大口を開け、リヒュの首を咥えこんだ。幼獣を運ぶみたいに、そっとやさしく。そうすると、やっと、強情な足が止まって、ふり返った顔と目があった。
その瞳は暗く沈み、内側から死に蝕まれている。
これは、死体だ。
タヌキの心に、かつてない恐怖が湧きあがった。