●ぽんぽこ15-25 空に伸ばされた手
リカオンを先頭にして、ブチハイエナ、シマウマ、チワワが山頂を目指し、火災に見舞われている山の林を駆け抜けていた。見上げる梢に煌めくのは、粉雪のような焔の輝き。その向こう側で空をゆくのはフラミンゴ、ミナミジサイチョウ、ニシツノメドリ。三羽はいずれも、リコリスの植物族の球根をくちばしに咥えている。
群れ戦のシステム下においては、植物族は他プレイヤーに運搬してもらうことができないように制限されている。もし、鳥や獣に運ばれた種や球根があれば、それは根を張れず、芽が出せない。あくまで自分自身の力で茂り、移動しなければならないというのがルール。しかし、試合の外であれば話は別。かつて、オアシスでおこなわれたピュシス会議では、ギンドロたちが、フクロウの群れに渓谷からオアシスまで種を運搬してもらっている。
この一団の目的は、山頂にリコリスを植えること。そして、リュコリアスのスキルを使って海水を生成してもらい、火を携えたサルたちが引き起こした山火事を一気に鎮めることであった。
中腹を越え、なだらかな勾配をおおうシダ植物を踏みしめて駆ける。サルたちに悟られないよう、やや大回りするようなルートで隠れながら慎重に進む。ブチ模様のブチハイエナやリカオン、縞模様のシマウマは毛衣が迷彩の役割をしてくれる。チワワはちいさすぎて目立たない。ニシツノメドリも同じく小振り。フラミンゴやミナミジサイチョウはそれなりに大柄だが、紅色の翼は炎にまぎれて、漆黒の翼は煙にまぎれる。
とにもかくにも位置が重要だった。流した海水が、まんべんなく広がって、山の裾野にまで届かなくてはならない。さらには、山のこちら側と、先に燃えている向こう側の斜面の両面に行き渡る必要もある。
そんな場所を探して、フラミンゴが山頂付近に目を向けていると、まばらに燃える樹々の梢の隙間から、にゅっ、と茶色い棒のようなものが伸びてきた。
樹木の枝が突然に伸びたのかと思ったが、どうやら違うみたいだ。意思を感じる動き。まっすぐに、鳥たちの元へとやってくる。まるで斉天大聖、孫悟空が使うという如意棒のよう。
三羽はそれぞれ三方に散って、棒を避けようとした。すると、棒の切っ先は二手に分かれ、鳥を追いはじめたではないか。よくよく見ると、それはまさに二つの手であった。毛にまみれたサルの手。テナガザルの腕。
ぐにゃりぐにゃりと曲がりくねって、のたうち、鳥たちの飛行を追随してくる。
テナガザル、という名前であるからには、手が長いのは当然。しかし、長いと言っても限度がある。生物としてあるまじき伸縮自在すぎる腕。アニメニシキヘビやオオアナコンダの体長すらも凌駕して、雲にも届かんという長さ。
考えるまでもなくスキルによるもの。猿猴のスキル。
猿猴というのは単にテナガザルや、マカク属のサルたちを指す言葉でもあるが、同じく猿猴と呼ばれる妖怪がいる。河童の一種で、伸縮自在の腕を持つ。
山肌から立ち昇る煙を利用して不意を突いてきた長い長いサルの腕にニシツノメドリが捕らえられてしまった。もう一方の手でジサイチョウの首が、がっしりと掴まれてしまう。手掴みで獲った鳥たちを、腕を縮めて引き寄せる。鳥たちを待っているのは、高い樹上の枝に腰をおろした猿猴の牙。
頭から齧られたニシツノメドリの横で、ジサイチョウが真っ黒な大くちばしをふりまわす。鋭い先端が頬をかすめた猿猴は、齧っていた海鳥を、樹下で燃える藪に投げ捨てると、黒い鳥の真っ赤なのど袋を両手で握りこんだ。
握る。捻る。サル以外の動物には到底できないであろう動作でもって、ジサイチョウは締められる。動きを止めた鳥の体は、無造作に火へと焚べられる。
空に残った最後の一羽、フラミンゴをも長い手にかけようと、サルが天を仰いだそのとき、腰かけている枝がおおきく跳ねた。
くり返し枝が跳ねて、そのたびに轟音が響く。ブチハイエナが変貌したジェヴォーダンの獣が幹に体当たりをしているのだ。硬い剛毛に包まれた闇色の獣の巨体と怪力。攻撃を受け続けた幹はたまりかねたように悲鳴をあげて、ゆっくりと倒れていく。
幹がへし折れる甲高い音が、火がはぜる音と混ざりあう。
完全に倒木する前に、猿猴は別の樹に脱出。長い腕で枝を掴んで体をふると、ブラキエーション、つまり雲梯のような移動によって手を伸ばす。軽々と樹上を移動して、安全な枝に腰を落ち着けると、樹下の様子を見下ろした。
山はまだ火に耐えている。渓谷よりもずっと低い緑の密度が、大火災から山を守ることになっているのだ。樹々のあいだにはそれなりの間隔があり、土が露出する場所も多いので、山肌を獣たちが動く余裕は十分にあった。
けれども、火が広がりにくいというだけで、消えているわけではない。生き生きと躍っている。焦げた野を着実に広げて、煙を生み出し続けている。
リカオンが駆け抜けていく。その前方に落ちる鳥の影。フラミンゴが山頂へ向けて羽ばたいている。
鳥にはもう手が届かないと見るや、サルは突然歌いだした。
猿猴のスキルを使っているテナガザル。テナガザルというのは歌を歌うサル。歌はオスとメスがデュエットをして絆を深めたり、縄張りの主張するのに使われる。
燃える山中に高らかに響き渡る歌。ほう、ほう、と伸びやかに、ほほう、ほっ、ほほう、と節を織り交ぜながら叫ぶ。それに呼応するように、どこかから別のサルの鳴き声が聞こえてきた。
サルを呼び寄せている。それに気がついたブチハイエナが、闇色の獣の肉体で、再び幹へと突撃していく。
おおきく樹がゆれる。
猿猴はすぐに振り子運動に入って、隣の樹木にとび移る。
だが、伸ばした手の先にあった樹木は、ユニコーンの一本角によって破壊されてしまった。
腕が伸ばされる。猿猴のスキルの効果で、長く、長く。遠くの枝に掴まろうとする。キリンの首ほどの距離にある枝に触れて、握りこもうとした瞬間、手のひらにあった感触が消えた。枝そのものが消えたのだ。
サルは目を疑う。まぼろしだったのだろうかという顔。しかし、枝はたしかにあった。たしかに掴んだ。
体が落下していく。藁にもすがる手つきで、がむしゃらに腕が伸ばされる。そうしているあいだにも、迫る地上で待ち受けるウマ。純白の一角獣ユニコーン。角を掲げて、サルの体を貫こうしている。
ウマの背中には、ちいさなイエイヌ、チワワがいた。ウマのたてがみを手綱代わりに咥えている。まぶたと眼球のない神ショロトルの顔。そのスキルを使い、チワワは樹木の枝々を二股にして増やしていた。そして、猿猴が掴もうとした瞬間にスキルを解き、元の一本に戻すことで枝を消したのだ。
猿猴は必死で手を伸ばす。枝がダメなら幹にしがみつく。幹は一本、偽物ではない。両手で挟んで、抱き着くように体を引き寄せた。
すんでのところで角を回避。かと思えば、ジェヴォーダンの獣がユニコーンの背を踏み台に跳躍。空中で猿猴の体を牙でとらえた。
強力な顎でサルを締めつけながら地面に着地。しぶといサルはなおも抵抗。幹から離した腕を伸ばして、闇色の獣の背後にまわりこませる。
「なにか後ろを狙っているようです!」
チワワの言葉に、闇色の獣は旋回。まわりこんでくる腕から逃れる。すると、腕はさらにまわりこんでくる。腕と尻尾の追いかけっこ。猿猴の腕は永久に伸び続ける。
猿猴が狙っているのは尻子玉。猿猴とは河童の一種。尻から生き胆を抜くとされる。もし生き胆を抜かれれば、腑抜けになって活力を失う。または死に至る。
激しい回転にバイコーンやチワワは手出しができない。
そのうちに、ジェヴォーダンの獣の大柄な肉体が長大なサルの腕のとぐろに閉じこめられ、包帯でぐるぐる巻き、もしくは毛糸玉のようになってしまった。
ウマとイヌとが固唾を呑んで見守るなか、毛糸玉の動きが止まる。グラフィックがほろほろとほどけて、焔のなかに消えていった。河童サルに尻子玉を抜かれる前に、闇色の獣の牙が敵の体力を完全に削り切ったのだ。
ブチハイエナがふうと息をついているところに、ユニコーンの肉体になっていたシマウマが駆け寄る。
「リカオンとフラミンゴを追わなきゃね」
すぐに蹄を山頂へ。三頭が移動しようとしたそのとき、見上げた坂の藪のなかから、サルの増援があらわれた。
テナガザルの歌に呼ばれてやってきたアヌビスヒヒ。
面長で精悍な顔つき。出っ張ったマズルはイヌのよう。くすんだ黄緑、オリーブ色の毛衣。
そんな姿が、ふいに輝きを帯びはじめる。
毛衣が見る間に黄金に。頬がこけて鼻先がとがった。胴が伸びて四肢が細く。尻尾はふっさりとして太い。
シマウマの背中で、チワワが顔を歪める。
それはまるでオオカミ。黄金のオオカミであった。
アフリカンゴールデンウルフという種。別名キンイロオオカミ。
アヌビスヒヒが、アヌビス神のスキルを使って変貌した姿であった。