●ぽんぽこ15-22 サル山騒動
大狼フェンリルの肉体で疾駆していたハイイロオオカミが、漆黒の毛衣に包まれたジェヴォーダンの獣の肉体で急ぐブチハイエナとすれ違った。
触れ合った巨獣のあいだにつむじ風が巻き起こる。樹に体当たりするみたいにして無理やり止まったフェンリルが、
「サルとかいうのがきてるんだって? 紀州犬に聞いたぞ」
「そうです。かなりの数ですよ」
「それはPCか? それともNPC?」
矢継ぎ早の質問。
前者なら対応が難しくなる。というのも、群れ戦外では仕様上、プレイヤー同士で攻撃しあってもダメージが発生しない。後者であるなら、敵性NPCのように撃破が可能。松明を取りあげるよりもよっぽど手早く問題が片付く。
「おそらくはNPCのはず」
と、闇色の獣の返答を聞いて、
「ならよし」
フェンリルが性急に駆けだす。
「突っこみ過ぎないように。未知の敵です」
「分かってる」
大狼の四肢が大地を蹴りつけると、豪快に藪をとびこえた。
まずは偵察を、と考えてはいるが、火の手が広がらないうちに数を減らしたくもある。
それに、このあとには大事な予定が控えている。それを押しての戦闘。ギンドロと機械惑星で会わなくては。半人のことや、ピュシスのことを、会って、たしかめなければ。これからの自分の運命を左右するかもしれない、重要な確認。
けど、ここまで身近に迫っている仲間たちの危機を放っておくこともできない。紀州犬から火と聞いたギンドロからも、他の植物族たちを守ってほしいと頼まれている。渓谷であったような惨事が二度と起こらないように、と。
先にログアウトをしておけとギンドロには言ったが、強情にも突っぱねられた。
エリュシオンのスキルは使えない。皆が集まっている状態で領域を広げると、仲間たちも巻きこんでしまう。それに、敵がスキルではなく、道具で火を使うというのなら、冥界送りによるスキル封じはなんの意味も持たない。松明によって、死後の楽園の花園が燃やし尽くされるだけだ。
それが分かっていてなお、ギンドロは見届けるつもりらしい。そうやって火に抗おうとする姿勢自体が、なんらかの贖罪なのかもしれない。止めることはできなかった。
「……ほんとにヒトに似てるんだな」
麓を見下ろせる場所に立って、フェンリルがこぼす。チンパンジー、ボノボは特にヒトの面影が顕著。
「気持ちの悪い連中だ」
というのが率直な感想。このピュシスで、ヒトから乖離した獣になった。だが、あれらは獣でありながら、ヒトになろうとしている。そんな感じがする。獣としての在り方がどこか違う。
うがった見方かもしれない。けれど、フェンリルは想像する。あれらが松明のような道具を手に、この自然の世界で暴れまわったら、敵性NPCを上回る脅威となるだろう。
「なんだあのクマみたいなやつは」
フェンリルの視線の先にはゴリラ。すさまじく屈強な体。体長はヒトの大人と同等か、それ以上。見て取れる筋肉はヒトを遥かに凌駕している。
オランウータンやチンパンジーも、なかなかの体格。
しかし、それ以外の多くは大型犬ほどのサイズ。チワワぐらいちいさなやつもいる。数は多いが、対処可能に思える相手。松明という武器はあれども、そこに灯る火には、ケルベロスが吐いてきた焔のような勢いはない。緑が赤に塗り替えられる速度は緩慢。松明は、見ようによってはただの棒でしかない。
戦闘を考えた場合、面倒なのは、樹上を軽快に移動しているやつら。いま集まっているプレイヤーたちはイヌをはじめとして木登りが不得手なものが大半。これに関しては、草食動物で植物オブジェクトを刈って、地上にひきずりおろすのがよさそうだ。ついでに延焼の予防にもなる。
と、そんなことを考えていると、先行してきたガラゴが梢から跳躍してきた。小枝のような松明を口に咥えていることから、サルの仲間だと分かったが、ヒトというよりリスに似ている霊長類。体格はウサギほど。目が大きく、ふっさりとした灰褐色の毛衣に、長い尻尾を持っている。
ガラゴは火の灯った小枝を空中で手に持ち替える。細長い指は先が平たくなっており、ヒトのようにものが握れる。サボテンの棘のような切っ先。ちいさな火種。フェンリルは足元に茂っていたコケ類をまき散らしながら身をひるがえすと、横から顎で殴りつけるみたいにして、ガラゴの体を牙で捕らえた。
小猿の体に牙が刺さる。肉がえぐられ、体力が尽きると、ガラゴのグラフィックは散り散りになって大気のなかへと消えていった。
倒せる。ということは、ブチハイエナが言っていた通り、サルたちはNPC。
仲間たちに情報を持ち帰ろうと、フェンリルは山頂の方角へ鼻先を向ける。
そのときであった。
炸裂音。
そばにあった幹が紫煙をあげていた。
息を呑んでふり返る。視界に入ったのは林の向こうのチンパンジーとボノボ。二足歩行をするサルたち。その手に松明はない。代わりに、握られている別の道具。
獣の命を奪うことに特化した道具。猟銃。
背を向けて、走りだす。追いかけるようにして、銃弾がとんできた。
藪や樹々を盾にして、蛇行しながら一目散に、わき目もふらずに駆け抜ける。
弾が毛衣をかすめると、体力と共に命力が削られた。これは火と同じ、もしくは敵性NPCと同じ属性の攻撃。
「これだから飛び道具は嫌いなんだよ!」
フェンリルは悪態をつきながら、山の向こうに届くように、高らかで伸びやかな遠吠えを響かせた。
その頃、タヌキの化けたクロハゲワシが、マーゲイたちにサルの襲来を告げようとしていた。ブチハイエナはリカオンたち、紀州犬はチワワたちの元へと知らせに走っている。
細い枝に鉤爪を絡ませ、見上げた仲間たちの顔に向けて慌てた声。
「火を持った獣が大量にやってくる! 山の向こう側からだ!」
シロサイの背中に乗っているマーゲイとミナミジサイチョウが顔を見合わせる。集まっているライオンの群れの仲間たちは困惑と驚愕のあいだで心をゆらして、不安に瞳を染めあげた。内容を受け止めるのに、ほんのすこし時間がかかる。
そんななか、マーゲイはクロハゲワシのいる樹木の幹にとび移ると、ネコ科随一の木登り術でもって、するすると隣にまでやってきた。たたまれている濃褐色の翼に抱き着いて、禿げあがった頭に顔を寄せると、耳元で囁くみたいにして、
「……君は本物?」
「えっ!?」
クロハゲワシは驚きのあまり足を滑らせ、下にいたダチョウに受け止められる。
「軽いね」
と、樹上のマーゲイ。ダチョウが首を傾げる。タヌキの体重は本物のクロハゲワシの半分ほど。クロハゲワシは望遠鏡のレンズみたいに輝くマーゲイの瞳から逃れようと翼をひとふり。その拍子に地面に落下。落ち葉を払って、声を張りあげる。
「サルがきてるんだ!」
「サルってなんだい?」
ダチョウは、くちばしを足元のクロハゲワシに、それからジャイアントイランドに向けた。博識を自称するイランドだが、サルという言葉は初耳。答えられずに唸り声。
「ヒトに似てる動物だ」クロハゲワシが口早に説明する。「細身のクマみたいなやつだとか、太ったリスっぽいやつがいた。火のついた棒を持っていて、山を燃やしながらやってきている」
「かちかち山ってわけだ」
枝から落っこちてきたマーゲイの言葉に、クロハゲワシが鋭い視線。
「……悪いタヌキじゃない」
絞りだすみたいに言うと、うなだれて黙りこくる。
「また火か」
シロサイが復活した大角を掲げて、山頂へと向けた。
「サルっていうのがどこのどいつか知らないが、全員踏みつぶしてやる」
「おれもいくぞ」ペッカリー。
「私も」オジロヌーも戦う構え。
ひりついた雰囲気のなか、トーナメントに参加していたわけではないオアシスからの使者、自由気ままなトンビがクロハゲワシのそばの地面に舞い降りてきた。
「なーんか、よく分かってないんだけど、どっかの群れがきたの? モヤシがなんだって? ヒってなんだ?」
気が抜けるような呑気さ。フラミンゴとヘビクイワシがくちばしで輪の外にひっぱっていくと、トンビに渓谷の縄張りであった陰惨な火災のことを聞かせた。
「そりゃ大変だ」
事態の深刻さを理解して、トンビが飛びあがった瞬間。
「敵がくるぞっ!」
遠吠えと共に山頂からとびだしてきたフェンリルの声。
見上げた山稜は、まるで日の出の如くに赤光をまとっていた。樹々を舐めあげる焔を背景に姿をあらわしたサル。炎を背負い、火を手に掲げる。
開戦の合図は一発の銃弾。それに貫かれたフェンリルの、悲痛な叫びであった。