●ぽんぽこ15-21 迫る火の手
山肌を駆けのぼる紀州犬が、太い樹の幹をまわりこみ、岩の段差をとびこえようとしたそのとき、山頂のほうからやってきた大柄な獣と正面衝突してしまった。
身を起こして相手を見ると、ぶつかったのは褐色の毛衣に黒いブチ模様。隆起した力強い肩と、モヒカンみたいなたてがみ。笑っているかのように舌を垂らしたブチハイエナ。
――ブチハイエナには十分に注意なさい。
マレーバクの言葉が脳裏に蘇って、紀州犬は思わず息を呑む。
「どうしたんです。そんなに急いで?」
怪訝な瞳に、迫る危険を思い出して、疑惑をふり払うと、
「……サル! サルがくるんだ! 火を持ったサルが!」
「サル……?」
たてがみをそびやかしたブチハイエナが、岩の上で背を反らせると、山の麓を覗きこむ。ブチ模様が、ほんのりと横に伸ばされる。おおきな丸耳がアンテナ装置のように動いて、黒ずんだ鼻先がにおいを嗅ぎまわった。
朝の陽射しが、山肌をおおう痩せた樹々や、群生するシダ植物を強烈に照らしだし、細かな葉っぱに乱反射している。まるで燃えているかのような光の奔流。目を細めていると、すぐに見開いた。燃えているよう、などではなく、燃えている。
裾野のほうからじっくりと、あぶるように、火災がこちらへと迫っていた。
風に乗った焦げたにおい。黒と灰が入り混じった煙が渦を巻く。
坂の下から、丸っこい体を跳ねさせて、よほど慌てているらしく、化けていないすっぴんのままのタヌキもやってきた。
「サルゥ! 火ィ!」呂律も怪しい。
「落ち着いてください」
岩の上までのぼってきて、息を切らせているタヌキの背中に、ブチハイエナが前足を乗せる。そして、わずかに爪を立てると、鋭く質問。
「キツネは?」
「それなら、サルを見張ってるって」と、タヌキ。
「……そうですか?」
疑う調子で林に視線を走らせる。小麦色の毛衣はどこにも見あたらない。
「早く知らせないと!」
叫びながら猛然と紀州犬が山頂を目指す。山の向こう側の斜面には、多くのプレイヤーたちが集まっている。ライオンの群れ、そしてギンドロの群れのメンバー。戦を終えたばかりで気が緩んでいるところに、火が押し寄せてきたら、渓谷の縄張りで発生した大火災のような悲劇がまたくり返されることになりかねない。
ブチハイエナが見下ろす先、遠くで燃える木立の陰からサルが顔を覗かせた。おおきなゴリラから、ちいさなメガネザルまで、種類も数もかなりのもの。ヒトのような手には松明。もしくは足、口、尻尾で持っているものもいた。山を燃やしながら、火をおそれることもなく草を踏みしめやってくる。樹上では腕の長いサルたちが、焔に侵食された梢を平然と渡り、枝を伝って進んでいる。
タヌキはクロハゲワシに化けて、仲間の元に飛び立とうとしている。それを、ブチハイエナが呼び止めた。
「サルについては誰に聞きました?」
「えっ?」
中途半端に広がった状態で褐色の大翼が動きをとめて、くちばしがひっこむ。サルについて教えてくれたのはマレーバク。だが、正直に話してもいいことなのか分からない。事態が混沌としすぎていて、タヌキの頭の処理限界を超えていた。
「どうしてサルという言葉を知っているのです。やってくる見慣れない獣が、サルだと分かったのはなぜです」
「それは……、聞いたから」
「誰に」
厳しく問い詰められる。ブチハイエナはサルについて知っているのだとタヌキは思った。動物に相当詳しいキツネや紀州犬も知らなかったサルの情報。データベースにあった断片から復元されたばかりらしい。マレーバクは胡散臭いが、それと同じか、近い立場にブチハイエナはいる。
話せない。
話せば、いまマレーバクと一緒にいるキツネの立場も危うくなるかもしれない。
「それよりも、急がなきゃ……」
ごまかすみたいに飛び去る。薄い煙を翼がはねのけ、本物のハゲワシに比べるとちょっぴり不格好な飛翔で、空を渡っていく。
猛禽類にしては頼りない羽ばたきを見送ったブチハイエナは嘆息。進軍してくるサルたちの様子を改めてじっくりと眺める。そうしながら、とある予感に苛まれていた。
――マレーバクが裏切った?
そんな気がしてならない。
ここまで走ってくる途中、ハイイロオオカミに会った。オオアナコンダやマンチニールの話では分からなかった試合の決着について聞くと、返ってきたのは、なんとも不明瞭な答え。エリュシオンのスキルに囚われて、意識が朦朧とするまで戦っていたところ、気がついたら終わっていた、らしい。ハイイロオオカミと一緒にいたギンドロにも尋ねたが、しろどもどろ。茫然自失状態だったなか、突然スキルが消失した。
まっとうに考えるなら、当初の作戦通り、キツネとタヌキがライオンの頭、ワシの体の合成獣アンズーになって天命の書板の効力でスキルを封じた、ということになる。
しかし、解せないのは、そのふたり、ライオンとクロハゲワシに合流していたらしいハイイロオオカミがわざわざエリュシオンに足を踏み入れたということ。ギンドロが近くにいたので詳しくは聞けなかったが、ふたりはアンズーのスキル、もしくは天命の書板を使えない状態にあったのではないだろうか。スキルが消失したのは別の原因。とすれば、思い当たるのはたったひとつ。マレーバクの貘のスキル。
すべては仮説。
だが、濃く漂ってくる裏切りの香り。
マレーバクはブチハイエナに協力を約束していた。
オアシスでの会議が終わったあと。偶然に言葉を交わす機会があった。それまでふたりはまともに話をしたことはなかった。ライオンの群れとトラの群れ。あまり良好な関係ではない群れの副長同士。
一対一で相対したとき、ブチハイエナは気がついた。
このマレーバクを、知っている。ずっと昔から、知っている。表情の癖。ちょっとしたしぐさ。言い回し。パズルのピースが組みあがるみたいにして、ひとりの人物が心に浮かぶ。
後日、改めてブチハイエナはマレーバクと接触した。そして、お互いに既知の仲であることを把握。協力を要請すると、快諾。第三衛星の構想に、マレーバクは賛同してくれた。
けれど、いま思えば、空々しい態度だった気がしてならない。
昔から、仮面をかぶるのが得意なヒトだった。
マレーバクが、第三衛星以外の機械衛星とつながっている、もしくは別の思惑の元で動いているということは、ないだろうか。キツネも関係者?
だとすれば、こちらを出し抜いて、遺跡に向かった可能性がある。マレーバクの所在を確かめたい。が、いまはそれどころではない。
「第三衛星……」
指示を仰ごうとするが、第三衛星はなにも教えてくれない。機械惑星の空の暗がりで姿を隠しているときと同じく、沈黙を貫いている。応答の必要がないぐらい、ブチハイエナが末端の存在であるのか、それができないぐらい、いまの第三衛星が逼迫した状態にあるのか。どちらともいえない。
火を携えたサルを無視して遺跡に向かうべきか。
いや、それはできない。
おそらく火は第一衛星の仕業。プレイヤーをこの世界から締め出そうとしているのだ。
まだ早い。この世界を焼け野原にするのは、まだ早い。
もっともっとプレイヤーを熟成させて、現実に、機械惑星に送り出さなければならないのに、見境なく燃やされてはたまらない。
それに、マレーバクが遺跡に向かっているとして、追うとしても手勢がいる。
遺跡でなさねばならないことがある。
最深部にいるピュシスを捕まえなければ。
手勢を従え、取り囲み、追いこんで、接続するのだ。ピュシスのための肉体は、すでに機械惑星に用意されているのだから。
ブチハイエナは道を引き返す。
焦りは禁物。やるべきことを積み重ねれば、道は必ず切り開かれる。
まずはサルを退ける。そして、火を消し止める。遺跡はそれから。
サルの強さは未知数。第二衛星が用意したらしいが、第一衛星の影響まで受け、どんなことをしてくるか予想できない。
「……マレーバク、か」
人格データだけになって、父が生きていると知ったら、メョコは喜ぶだろうか。それとも悲しむだろうか。そんなことを、ふと考える。現状では教えることはできないが、世界が一新されれば、再びふたりが出会うこともできるだろう。
そのときには、ぜひ会わせてあげたい、と思う。
――もし、メョコが喜んだなら……、ロロシーに打ち明けてみようか。
勇気を出して、母であると、名乗ってみてもいいかもしれない。