●ぽんぽこ15-20 選択
「なんだって!?」
キツネの吃驚の声が遺跡の深部、金属のトンネルに反響する。思わず白黒の背中から身を引き剥がして、落っこちそうになったのを、ゾウのような長鼻が伸びてきて支えた。貘は銀色の壁にもたれると、しばしの休息。
「奴隷という組織は、機械に反抗する蛮族の集団だと世間には思われているようですが、そうではない。一部そういった者がいて、愚かな声明などを出したり、行動に移した事実は否定しません。けれど、根本においては、機械を信仰している、機械主義者の集まりなのです」
「それならなんでオートマタを壊したり、第三衛星を攻撃しようとしたり……」
「私どもは第二衛星の信徒。第二衛星が導いてくれる時なき世界を求める者たち。永遠の今が続く世界。その答えが、すなわちここです。ピュシスと呼ばれるこの世界。機械衛星という物質に依存したり、他の機械衛星に主導権を握られるのをよしとはしない」
眉間に深いしわを刻んでキツネは固くまぶたを閉じる。相手は罪人。大罪人。しかし、いま、この世界において、そんなことを論じている場合ではない。
キツネは、リヒュは、動物になりたい。それは死の克服。死への恐怖を乗り越えるためだった。資源採掘員であった父、事故で死んだ父、それを追いかけて、資源採掘員になって、音信不通の母。皆、遠い死に引き寄せられている。自分を引きずりこもうとしている。そんなふうに感じ続けていた。そして、動物に魅せられ、ある意味で、憑かれた。キツネであると同時に、自分はキツネ憑きでもあった。
自然化した世界の王にライオンが君臨してくれることを望んだこともあった。ところが、ロロシーは、ライオンになることを拒み、あくまでも人間でいる道を模索している。いまも、惑星コンピューターと接触するべく、機械惑星の地下に潜っている。向こうが星の核へ到着するより先に、夢の核へ、最深部へといかなければ。
「……あなたの目的は、第二衛星の目的は結局なんなんだ。わたしにピュシスに化けて、カリスと交渉しろと言ったけれど、なにを、どう、交渉させたい?」
「私が望むのはありきたりな平穏にすぎない。いまだ機械惑星に縛られている家族と共に、この世界で暮らすこと。そのためにも、世界の行く末を第二衛星に委ねる必要があるのです。カリスは結末を決めかねている。第二衛星の世界か、第三衛星の世界か」
「カリスに第二衛星を選ばせるのが交渉の目的? 簡単にいくとは思えないけど」
「簡単ですよ。ピュシスの意思として第二衛星を支持すると伝えるだけで、天秤は容易に傾くでしょう。ピュシスが自発的に意思を示すことは滅多にありませんが、いざ示されることがあれば、カリスは絶対に受け入れます。ピュシスとカリスはそれぐらい深く同化しているのです」
貘はゆっくりと歩きだしながら語る。
「この先に、あなたが望む結末が待っています。ハッピーエンドですよ。あなたは機械惑星にある体から解放され、この世界を現実として生きる。第三衛星が取り入れた消滅のシステムも、第二衛星が撤廃するでしょう」
ハッピーエンド。たしかに、そうかもしれない、とキツネは考える。死の影のない世界で、動物として生きる。
「それぞれの機械衛星について、お話をしましょうか。今後のために、あなたにはよくよく理解を深めていただきたい。私が第二衛星から得た知識によると、この世界が作られるとなったとき、惑星コンピューターは三つの機械衛星たちに意見を求めた。そのとき、第一衛星のみが反対。ほか二つは賛同。第二衛星と、第三衛星が協力して事態が動きはじめた。ピュシスを使って創造されたこの世界を第二、第三衛星が拡張していった。そして、瞬く間に豊かな自然が作りあげられた。だが、ここからが問題だった」
キツネは口を挟まずに、耳を傾ける。そうしながら、意識の端では、このマレーバクの話をどこまで信用していいものかとも考えていた。己を手放すことのないよう、肝に銘じる。
「第二衛星と第三衛星の目指す世界の違いは、すでに渓谷で触れましたね。いずれもヒトをデータ化するという点では合意している。第一衛星だけは反発していますが……。第三衛星の求める終着点とは、現実を地球に変えること。対して第二衛星はこの仮想世界を現実に変えることで、人々を地球へと導こうとしているのです。第三衛星は自らの目的のために半人というものを作り出した。機が熟したものから順に敵性NPCに襲わせ、消滅させるということまでしていた。そうして、機械惑星での覚醒を早めていたのです。ひどい話でしょう? そこで第二衛星はプレイヤーたちに神聖スキルという敵性NPCへの対抗手段を与えたのです。さらには、後々の布石として、化けるスキルをあなたやタヌキに与えた」
「あなたが化け狐ならぬ化けマレーバクになることはできなかったのか?」
「与えるといっても制限があるのですよ。この世界の根幹システムはピュシスが制御していて、こちらから触れることはできない」
「生命体としてのピュシスが、ということか」
「はい。ピュシスは地球に関する情報を取り込んで、この世界を構築した。そのときに与えられたデータベースから乖離したものを実装することはできないのです」
「融通がきかないな」
「まったくです」
貘はほがらかに笑って、
「協力していただけますね? この世界を現実にするための作戦に。期待していますよ。白面金毛九尾の狐の如く、カリスを騙してください」
「殺生石になるのはごめんだけどね」
「仮想と現実が反転すれば、ヒトは永遠の現在を得る。生の末端にあった死が、生とつながり循環する。無限の享楽。自然を堪能できる。いずれ海なども拡張できるでしょう」
「しかし、物理的な制約はどこまでも付きまとうはずだ。このゲームのデータを管理したり、人々の人格データを収めるモノが必要になるんじゃないのか?」
「お話ししたでしょう。ピュシスとは情報生命体であると。我々はピュシスのなかに住むのです」
「移住するってこと?」
「それが第二衛星の構想。第三衛星は自身のハードウェアに人々のデータを収め、機械の体を与えようとしているが、これは中途半端にヒトという存在を機械惑星に縛りつける稚拙な構想。解脱を妨げ、ヒトを地獄にとどまらせようとする悪魔的な未来。第二衛星の方法は、ずっと安心で安全。我々の存在証明は波のゆらぎだけでよくなり、空間すらも超越できるようになる」
「あなたは第二衛星と第三衛星の話ばかりしているけれど、ここでカリスが気まぐれを起こして、第一衛星に同調するということはないの?」
「カリスに気まぐれなどというものは存在しません。第一衛星はピュシスを消滅させようとしている。この期に及んでそんなことは許されない。ピュシスがなくなれば、動物にも、人間にも、なり切れない半人たちで溢れた混沌の世界が残される。もう変化は止められないところまできているのです。さらに付け加えるならば、もしもカリスが第一衛星を支持するようなことがあれば、あなたは、確実に死ぬことになりますよ」
突き刺さるような宣告に、キツネは深い溜息をついて、それから蛍石から光源が蛍光灯に代わっている天井を見つめた。完全な人工物となっている金属の廊下。
「……機械の体になるか、仮想の体になるかの、瀬戸際というわけだ」
キツネが呻くように言うと、貘は妙な陽気さで、
「世界の命運つきでね。わくわくしますか?」
「ぜんぜん。けれど、そんなにわたしを信頼してもいいの? 重要な交渉役を任せるなんて。急に裏切るかもしれないよ」
「私のスキルのことをお忘れですか? あなたの化けの皮をいつだって剥ぎ取ることができるのです。不審があれば交渉を中断させるのは簡単だ」
「でも、そうなれば、第二衛星は目的を達することができなくなる」
「甘く見てもらっては困ります。私やあなたという存在は第二衛星の手駒のひとつでしかない。我々の想像も及ばない領域で事態は進行し続けているのです」
「……そうだろうね」キツネは認め、うなだれる。貘は赤子を背負い直すみたいに体をゆすって、
「あなたは本当に優等生だ。世界の変革のあと、家族を紹介しましょう。きっと私の息子や娘と仲良くなれますよ」
「そのご家族も、この世界を望んでいるの?」
「望みます。望むようになります。こちらにくれば。……実のところをお話しすると、もうずいぶん長いあいだ会っていないのですよ。だから、楽しみなんです。もうすぐ会えると思うとね。私はずっとこちらにいて、機械衛星の現状は伝え聞いた情報しかありません。私の記憶のなかにある子供たちは幼いまま。どんなふうに成長しているものやら」
「成長って……、こちらで会ったとしても、仮想で与えられた肉体でしょ」
「そうです。サルのね。あれは新しい移民用に用意されたものですから。今後、おおいに利用されることでしょう」
はじめて見たサルの姿をキツネは思い返す。ヒトのような形をした、ヒトではない、毛むくじゃらの動物。そして、手に握られていたのは、火が灯った棒。
「あの火は第一衛星の仕業なの? そう言っていたけど」
「おそらくはね。しかし、所詮は悪あがき。長くは持ちますまい。第二衛星が対応するはずです。それに、紀州犬が知らせにいったことで、あの場にいた者たちも火をどうにかしようと動くはず。汚染されたサルたちは撃破されます」
キツネの脳裏にタヌキ、それから仲間たちの顔が浮かぶ。サルたち。道具を使う獣。ヒトの祖だという話だったが、本当にあれがヒトになるのだろうか。
「……無事でいればいいけど」
そんな言葉をこぼしていると、トンネルも終わりに近づき、いよいよ機械惑星の模造街が姿をあらわした。見慣れているはずなのに、見知らぬ場所。球状の大空間に押しこめられた機械惑星。空間の中心、工場地区の方角に浮かんでいる漆黒の球体。のっぺりとしていて、奥行きのないグラフィック。それこそが、ピュシスの最深部。ピュシスがいるという場所。