●ぽんぽこ15-19 奴隷の王
遺跡を覗く貘に迫る銀色の腕。草原の切れ目から出現した敵性NPCの存在を背中のキツネがすぐに知らせる。貘はウシの尾をふって、トラの四肢で俊敏に敵と向き合うと、接近してきた金属製の腕をゾウの鼻の剛力でとらえた。引っこ抜くみたいにして投げとばす。硬い音を立てて倒れた肉体を即座に踏みつけ、トラの爪で引き裂いた。腕が破損したが、それでもなお動き続ける敵性NPCを、貘は鼻で持ちあげると、イノシシみたいな大牙で貫く。入念に、何度も。
やっと機能停止した鉄屑を見下ろして、息をつく。
増援がこないうちに、遺跡のなかへ。
空気が一気に冷えこむ。緑の香りが遠のいて、乾いた岩石と、錆のにおい。所々に積まれている幾何学的な形状の石。柱状の壁に挟まれた道には人工的な雰囲気が漂う。垂れ落ちている鍾乳石が頭をかすめる。洞窟の奥に入りこんでも、天井にある蛍石によって、星空が輝く夜ぐらいの明るさは確保されている。
下り坂を探すふたりを阻む、獣を捕らえるいくつもの罠。落とし穴。括り罠。気をつけていれば避けるのは容易な原始的な仕掛けばかりだが、下層に進むほど、より強力なものが配置されていることを、一度最下層まで赴いたことのあるキツネは知っている。最終的には感知器に触れるとレーザーが照射されたり、地雷が設置されていたりする。
貘も同じく最下層経験者。かつて通った道を、慣れた足取りで進む。そうしながら、外でしていた会話が続けられる。
ピュシスとは異星からやってきた情報生命体であること。それをプログラミングツールとして使って、このゲームが作られたこと。そして、惑星コンピューターの望みは地球になること。
天井に散りばめられた蛍石をキツネは見上げながら、
「異星生命体が自分を使わせるように誘導する力を本当に持っているのなら、そんな途方もない夢を見るということ自体、電子頭脳に対する洗脳なんじゃないのか。だったら、やっぱり相利共生というより、片利共生、寄生に思えるけど」
「ヒトは自然に魅せられる。惑星コンピューターはそれをよく知っている。自らが地球になるのは、憧れ以上に、ヒトのためなのです。それはカリスの存在意義、基本原則から外れていない。あなたも自然に魅せられているひとりなら、地球化は望むところでしょう?」
無言による肯定。これまで遊んできて、多くの仲間に会って、身に染みてよく分かっている。このゲームのプレイヤーたちは心の底から自然というものを愛している。それは時に歪んでいたり、利己的ではあるのだが、どれも決して否定はできない。
「……ヒトに憧れたオートマタというのはどうなったの?」
「フォーマットされました。私を収める容器になる予定でしたが、リンクが切れて行方不明。娘に預けていたのですが、不器用な子であったので、壊してしまったのかもしれませんね。まあ、私はもうあちらに戻る気もありませんでしたから、これでよかったのかもしれませんが」
「ということは……、あなたは人格データ? だれなんだ?」
「マナー違反ですよ。そんなことを聞くのは」ゾウの鼻がふいごのように笑う。
「けど、あなたはわたしのことを知っているんじゃないのか? これだと、いささか一方的じゃないか」キツネが指摘するが、
「知りません。彼女、ブチハイエナから聞いた以上のことはね。第二衛星は必要な情報しか私に与えてくれないのです。私は第二衛星の代理人で、夢の番人ではありますが、機械惑星のことを知るのはなかなか大変なんですよ。愛する家族の現状すら知ることができない」
「その代理人というのはいったいなんなの?」
「ほんのちょっぴり特権が与えられているだけで、たいしたものではありません」
はぐらかされている。怪しいものだと思いつつ、キツネは追及は無駄だと判断して、別の質問を投げかける。
「それで……、最深部でわたしはなにをすればいい?」
「化けていただきたい」
「それはもう聞いた。けれどピュシスに化けろと言われても、そんな異星生命体のことなんて見たこともないし、そもそも実態がないんでしょ?」
「実態がなくても仮想の肉体はある。この世界にね。最深部で会えますよ。そのように第二衛星から知らされている。複雑な肉体ではないはずです。あなたなら、会って観察すれば、すぐに化けれるようになるでしょう」
「化けたあとは?」
「ピュシスのふりをして、カリスと交渉してください」
「……カリスもこの世界にいるの?」
「ええ。いまも、私や、あなたの、すぐそばにいます」
びくりと顔をあげたキツネがあたりを見回す。曲がりくねり、分岐しながらどこまでも続く洞窟。ぼんやりと輝く蛍石が行燈みたいに道々に置かれて、岩の隙間に濃い闇が凝っている。罠のグレードがあがって、鉄製のものがちらほら。トラバサミや槍、ギロチンめいた刃の仕掛け。あたりに転がる装備品も、レアリティが高いものになってきた。本来、遺跡というものは、装備品を集めるために訪れる場所とされている。スピーカーは全プレイヤーが常用する必需品。それ以外の装備品は中立地帯の岩NPCという、いわばゴミ箱に売り払うか、蒐集している奇特なプレイヤーに引き取ってもらうことで、小遣い稼ぎに使われている。
「どこ?」
首を傾げたキツネに、貘は立ち止まって屈むと、長鼻で足元をたたいた。
「ここに」
「どこだ?」
それらしきものはどこにもいない。
「この世界」と、貘。
「カリスは機械惑星そのもの。ならば、その肉体も惑星であるのが当然でしょう。地球を模したこの大地こそが、カリスなのです」
キツネは息を呑んで全身の毛を逆立たせる。洞窟を吹き抜ける風が耳の奥でこだました。まるで、巨大な生き物の鳴き声のような音。
声を潜めて、
「なら、こんなおおっぴらに話していてもいいの? 聞かれているんじゃ……」
「惑星に耳があるわけがないでしょう」
「それなら逆に、どうやって交渉すればいいんだ。言葉を使わないで、ジェスチャーでもしろっていうの? それに、気になっていたけど、ピュシスの肉体に化けることを、ピュシスそのものから止められたりはしないのか?」
「最深部には端末がありますよ。そこで星と語り合えます。そういう手筈になっているのです。それから、ピュシスに妨害されるということもないでしょう。ピュシスにそのような力はありません。他者に自己を拡充してもらわなければならない儚い存在。加えて、我々の行動は、ピュシスにとって益があります。注意しないといけないのは第三衛星ぐらいですが、第二衛星が抑えてくださるそうなので、我々は大胆に、大船に乗った気持ちでいきましょう」
「けど、その前に、敵性NPCの発生源である工場地区を横切らないといけないわけだよね。遺跡に入る前にも一体いたけど、一体ならともかく、何十体もの敵性NPCを貘ひとりでなんとかできるの? わたしは戦力になれないよ。ちいさな獣や鳥に化けてすり抜けるか、前みたいにシフゾウに化けて駆け抜けるか……」
「ご心配なく。あの工場は停止していますから」
トラの爪が足元のトラバサミを蹴りつけて、力ずくで除去する。
「停止? それは……、第二衛星が働きかけたってことなのか?」
「そうとも言えます」
「……どうもあなたの話はまどろっこしいな」
嘆息するキツネに、貘はちいさく笑って、
「ひとつずつ。ご説明しますよ。まだ時間はたっぷりとありますからね」
遺跡の踏破率は半分を越えたぐらい。長話をしているあいだに、かなりの距離を進み、潜っている。
「敵性NPCとは、正確にはNPCではありません」
「プレイヤーがいるってことか。いまさら驚きもしないけど」
「そう。そして、動かしているのはヒトではなく、オートマタ」
「機械衛星のオートマタが、ピュシスの敵性NPCを動かしている……」
「その通り。ですからプレイヤーのほうをなんとかすれば、こちらの肉体を停止させられる」
貘は笑うみたいにちいさく鼻を鳴らして「最深部の街は機械惑星の街の鏡写し。あの街は模造品。ピュシスにヒトの営みを教えるための場所。遺跡や装備品というのは、その切れ端なのです。鏡写し故に、敵性NPCが発生したあの工場のプレイヤーたちが、機械惑星のどこにいるのかはまるわかりだった。同じ場所を襲撃すればいい。それが実行された」
「なら、敵性NPCの大量発生問題は解決しているわけか。せっかくのトーナメントも、なんのためにやっていたのやら……」
深い溜息。貘の背中の毛衣がゆれる。くすぐったそうに丸耳がぱたりとふられ、
「まだ解決はしていませんよ。停止させた敵性NPCは一部にすぎません。トーナメントに関しては、キングコブラの悪ふざけによるところがおおきかったですが、必要ではありました。早まった者が遺跡に乗りこむのを牽制して、今日という日まで準備の時間を稼いでくれた。……あの男は優秀ではあるのですが、どうも遊びすぎるきらいがある」
「キングコブラとつながっていたのか」
「彼は組織を動かして、機械惑星の工場を襲撃するのに一役買ってくれた」
「組織?」
「奴隷」
その名を聞いて、尻尾が跳ねあがる。
「……って、犯罪組織の? キングコブラが奴隷のボスってこと?」
機械を憎悪する集団。オートマタやコンピューターの破壊活動をしているというニュースを頻繁に目にした。キツネが、リヒュがライオンに噛まれた日、第三衛星に宇宙船で突撃するなどという無茶なこともしていたはず。
「違いますよ」
洞窟が金属に侵食されていく。まるでダクトのなかにいるかのような光景。風で壁が震えると、巨大な笛を吹いたみたいな低い音がこだまする。空気の味や、においが、現実に近づく。仮想の機械惑星、模造街の気配が強まっている。
トラの四肢が音もなく金属の床を踏みしめて、貘の静かな声が、広い通路に反響した。
「この私こそ、奴隷の長なのです」