●ぽんぽこ15-17 霊長類のご一行
渓谷の縄張りの群れ戦に参加していたプレイヤーたちが転送された先。まばらな樹々が生える中立地帯の低山。皆が集まっている斜面とは山頂を挟んだ反対側で、マレーバクを先頭に、キツネ、タヌキ、紀州犬が遺跡へ向かって歩を進めていた。
群生するシダ植物やコケ類を踏み、転ばないように注意しながら坂をおりていた紀州犬は、遠ざかっていく山頂をふり返って、
「せめてひと言ぐらい、声をかけておかないか?」
山の向こう側にいる仲間たちが気になる様子。これは抜け駆け、もしくは、勇み足。ハイイロオオカミを助けてもらう代わりに、ブチハイエナを裏切ることを勢いのままに了承したものの、マレーバクの意図はいまだによく分かっていない。
黒い顔と四肢、胴体は白という、白い胴巻きでも着ているような模様のマレーバクは足を止めることもなく、
「不要ですよ。彼らは邪魔なだけ。重要なのは、私が、私たちが、最深部に到達すること。そうすれば、すべてのものは収まるべきところに収まり、問題はきれいさっぱり解消されます。敵性NPCの大量発生も、それ以外のことも」
「けど……」
紀州犬が渋ると、マレーバクは肩越しに、ゾウよりはずっと短く、ブタよりはずっと長い鼻を向けて、
「いまはあまり時間がないのでね、道中歩きながらご説明してさしあげましょう。私の話を聞けば、きっと納得していただけるはず。……ただし」鼻をぷいとそらして「どうしても、とおっしゃられるのなら、あなただけは戻っても構いませんよ」
「俺だけ? そんなことはできない。タヌキとキツネが心配だ」
「実を言いますと。あなたは別に必要ないんですよ。紀州犬」
あっけらかんと言われて、黒々とした瞳がきょとんと瞬く。
「は?」
「戻る場合は、私たちのことは他言無用にお願いします。それぐらいのお約束は守ってくださるでしょう? あなたの望み通り、私はハイイロオオカミを火から救いだしたのだから。それから、ご忠告しておきますが、ブチハイエナには十分に注意なさい。もしも私の行動を話せば、あなたが心配しているタヌキやキツネが危険な目に遭うことになります」
タヌキはもの言いたげにキツネの横顔を見たが、小麦色の獣はとがった鼻先で草をかきわけて、黙々と斜面をくだっている。小走りで追いついてきた純白のイヌはくるんと丸まっていた尻尾を伸ばして、警戒するみたいに牙をわずかに口の端から覗かせた。
「ブチハイエナが悪いやつだとは思えない。俺には、お前についていくほうがよっぽど危険に思えるよ。ふたりになにをさせるつもりなんだ」
化け狸、化け狐という正体を知ったのはつい最近。けれど、化けているふたりとはずっと昔から知り合いだった。オポッサム、オオカワウソ、それからライオン。放ってはおけない。
「取って食うというわけではありません」
「当たり前だ!」
「心配はありがたいけど、平気だ。紀州犬」
キツネが言って、斜面を滑りおりていく。中腹を越えると風がやや強くなってきた。雲が流され、太陽が露わになると、強い陽射しが梢を貫いて山肌にまで届いてくる。光をまとって黄金色に輝く小麦色の毛衣の後ろを、濃褐色の暗い毛衣のタヌキが影のようについていく。けれども、キツネの真似をして斜面を滑りおりようとして、どんくさく足を踏み外してしまった。転がってきたタヌキを、キツネが驚いて助け起こしていると、先を歩くマレーバクが不意に立ち止まって感嘆の声。
「おお。ご覧ください」
キツネとタヌキ、それから紀州犬も、バクの長い鼻先で示された場所へ目を向ける。山の麓のあたり。そこには、いままで見たことのない獣の集団が押し寄せていた。
「サルたちですよ」
梢の薄布の向こう側。逆光のなかで影だけが浮かびあがっている。影の形にヒトの面影。鬼熊のスキルを使ったヒグマや、イエティのスキルを使ったウマグマにも類似している。けれども、輪郭に目を凝らすと、それはヒトならざるもの。毛むくじゃら。腰を落として上体をのっそりと前に傾けた姿勢。
見え隠れしているサルの姿をとらえようと、黒く隈取られた目を細めているタヌキが疑問をこぼす。
「あれがヒトの祖? いろんな種類がいるみたいだけれど、全部がそうなの?」
「さあ。どうでしょう」曖昧に答えて、マレーバクは鼻を傾げる。「データベースにあった情報の残骸を組み立てて、復元されたばかりですから、たしかなことはこれから究明されるでしょう」
光にぼやけるサルの一団に視線を投げかけていると、強い風が雲を運んできて、太陽をすっぽりと翳らせた。サルたちの姿が鮮明になる。ヒトにかなり近いものから、かけ離れたものまで、霊長類の博覧会の如くに、膨大な数のサル。
それを見て、
「えっ?」
と、素っ頓狂な声をあげたのは、キツネでも、タヌキでも、紀州犬でもなく、マレーバクであった。吐かれた息が、勢いよく吸われると、
「……なんということだ」
怒りが滲む響き。白黒の体が震えて、蹄が大地を削り取る。
イヌ科の獣たちの不安げな眼差しの先で、暗雲にも似た霊長類の塊が、山肌を塗りつぶすみたいにして迫ってくる。
先頭に立つのはチンパンジー。ヒトに酷似した体つき。顔は肌色で、それ以外は黒い長毛におおわれている。
隣には一歩下がってボノボ。チンパンジーと似ているが、露出している顔の肌は黒っぽく、全体的にほっそりとしていて四肢が長い。器用な直立二足歩行。
後ろには巨大なゴリラ。筋骨隆々。黒っぽい毛衣に、シルバーバックと呼ばれる成熟の証の銀の毛が混じる。握りこんだ前肢をついて、ナックルウォークでの四足歩行。
樹上にオランウータン。ふっさりとした明るい色の毛衣。顔にはフランジというでっぱりがあって、仮面をかぶっているようでもある。広げればヒトの大人の身長を超えるぐらいの長さの腕をぶらんぶらんと力強くふって、枝から枝へと移動していく。
同じく樹上にテナガザル。こちらはオランウータンの半分ぐらいの体格。同じように長い手を使って、梢を伝っている。
大行列はまだまだ続く。
オナガザル科のヒヒ属、アヌビスヒヒ、マントヒヒ、マンドリル属のマンドリルとドリル、マカク属のニホンザル、シシオザル、カニクイザル、アカゲザル、クロザル、ボンネットモンキー、ムーアモンキー、テングザル属のテングザル。
狭鼻猿類だけでなく、広鼻猿類のフサオマキザル、リスザル、ヨザル、マーモセットにクモザル、ホエザルもいる。さらに真猿類ではないメガネザル。ここまでの直鼻猿類とは別のグループのサルである曲鼻猿類のワオキツネザル、インドリ、ガラゴ、スローロリス、アイアイなど。
とにもかくにも、ものすごい数のサル。大小様々、色とりどり、霊長類のご一行のおなりとばかりに列をなす。
しかもそれらは手に、もしくは足を手のように使って、手足がふさがっているものは口に咥えて、道具を携えていた。
文明の幕開けを予感させる道具。
松明。
燃え盛る火が灯った棒。
大柄なサルは鬼の棍棒の如く、小柄なサルはペンほどの切れ端。
火炎と共に行進するサル。ブンとふられた松明からとび散った火の粉が、樹木や藪を着火させる。焔は風に運ばれて、地獄のようであった渓谷の光景を再現しようとしていた。
「第一衛星め……、こざかしいことを……」
マレーバクが呻いて、歯噛みする。紀州犬は赤に染まりゆく山肌におそれをなしたように後ずさって、反転。
「みんなに知らせないと!」
猛然と四肢を動かし、斜面を駆けのぼっていく。
「タヌキ」と、キツネが呼びかける。
「紀州犬を手伝ってやってくれ。手分けしてみんなに危険を知らせてまわるんだ」
「えっ? キツネは?」
「わたしはマレーバクと一緒にやつらを見張っている。急いで!」
「分かった!」
ずんぐりむっくりした丸い獣が跳ねるみたいにしてイヌの後を追う。見送るキツネに、マレーバクはなにも言わない。ふたりの姿が緑に隠れて完全に見えなくなると、キツネは横道の藪に入りこみ、尻尾でマレーバクを促した。
「いこう」
「あなたは察しがよくて、本当に助かりますよ」
マレーバクはほほえむと、霊長類たちに見つからないように、そろそろと茂みに身を潜める。
火のついた山を遠回りで脱出したふたりが向かうのは遺跡。サバンナのそばにある、地下へと続く洞窟の入り口。その最奥、世界の核を目指して、白黒の毛衣と、小麦色の毛衣を並べて、自然のなかをひた走っていく。