●ぽんぽこ15-12 夢から覚めるとき
「紀州犬。合成獣を使う」
キツネが鋭く言う。紀州犬は状況が分からないままに、とにかく指示に従った。タヌキも身構える。三頭が合体して、狐狗狸さんの姿に。
そして、貘に憑依し、操ろうとしたのだが、変身が完了した瞬間には、すでに銃口の如き長鼻の先っぽが向けられていた。まるで掃除機で吸い取られるみたいに、変貌した肉体がひっぺがされる。スキルの残滓が靄となり、くるんと丸められると貘の口に放りこまれた。
強制的なスキル解除。三頭は元のキツネ、紀州犬、タヌキの肉体に戻される。
「スキルを無効化するスキル?」
紀州犬が目を丸くする。
「なんでここにマレーバクが……」
疑問をこぼしかけたのを、タヌキはぐっと吞みこむと、
「助けてくれるの? 冥界を消してくれる? できる?」
「もちろんですとも。造作もないことです」
無条件に信頼感を覚えてしまいそうな落ち着いた調子。
「ならやってくれ」紀州犬が叫ぶ。
「ええ。ええ」
緩慢に頷いて、長鼻がついと持ちあげられた。
「けれど、条件があります」
「条件?」
キツネが心底嫌そうにひげをとんがらせる。
「簡単なことですよ。あなた方はこの試合が終わったあと、ブチハイエナでなく、私の配下になってください」
「どういう意味?」タヌキが聞くと、
「言葉通り。彼女を裏切れと言っているんですよ」
「そんなことは……、できないよ」
丸っこい体がしぼむ。ブチハイエナは、ライオンに化けていたタヌキをずっと支えてくれていた大切な仲間。
「ハイイロオオカミを助けてくれるのなら、俺はこの群れを離れてもいい。新しい群れでも作りたいのか?」
勢いこむ紀州犬を、キツネがとめる。
「こいつに従うべきじゃない」
「でも、いまは他に頼れるものがないだろ」
「そうですよキツネ」貘が長い鼻を向けて「過去は忘れましょう。過去よりも、未来よりも、重要なのは現在です。未来のないあなたなんかは特に、現在のこそがすべてのはずでしょう?」
「どういう意味だ?」
つんと鼻がとんがって、三角形のキツネの顔がしかめられる。
「あなたは彼女に、ブチハイエナに、あまり協力的ではないようですね」
「それがどうした。そもそも協力関係じゃない」つっぱねる。
「なら、私についても問題はないわけでしょう?」
「大問題だ」
「あなたには未来がない」
「だから、それはどういう意味なんだ!」思わず吠えるみたいな声になる。
「知っていますよ。彼女に軽く聞きました。あなた、体のいくつかの部位が人工のものになっているそうですね。ライオンに噛まれて、手術したのだとか……」
くすくすと貘は笑って、
「そんな体で半人になると、死にますよ。変質する体と、人工の部位とのあいだで断絶が起きる。そのことを考えたことはありますか」
ふっつりと黙りこんだキツネから視線を外し、貘はタヌキと紀州犬に質問する。
「おふたりはピュシスが好きですか?」
「もちろんだ」紀州犬。「だからこそ、ハイイロオオカミに消滅してほしくない。もっと、一緒に遊びたいんだ」
タヌキは暗い顔をしたキツネを気にしつつ、貘にちいさく肯定の頷きを返す。
「それは機械惑星よりもですか?」
重ねられたこの問いには、ふたりとも返答ができなかった。
「ふむ。甲乙つけがたいといったところでしょうかね」
「こんな会話になんの意味があるんだ。はやくみんなを助けてくれよ!」
やきもきしている紀州犬が急かすのをよそに、貘はキツネに話しかける。
「キツネ。彼女が第三衛星の代理人だというのはご存じでしたか?」
「……いいや。そんな話は初耳だ」
キツネの瞳の奥に困惑の色が宿る。
「第一衛星は代理人が殺されて、別の者に白羽の矢を立てたらしい」
言いながらギンドロを見やった貘は居住まいを正して、キツネの前に腰をおろした。そうして、おおいかぶさるみたいにして巨体をかがませる。
「あなたが私に協力したくなるように。教えて差しあげましょう。ブチハイエナ、彼女は第三衛星の代理人。すべてのヒトの意識を機械の体に閉じこめようとしている。そして、私は第二衛星の代理人。ヒトの意識を解放し、このピュシスに根付かせるのが目的。そうなれば、あなたの機械惑星での体の問題など些事に過ぎなくなる」
「……そうか。分かったぞ」キツネが声をあげる。「人格移植型のオートマタのことを言ってるんだな。機械衛星が三つとも関わっているのか……、第一衛星はピュシスを焼き捨てようとしている。第二衛星は仮想と現実との反転を望み、第三衛星はヒトの体を素材に自然を再生させ、人格データを本体として機械の体に移し替えるつもり……、ということなのか?」
「ご明察」
「ならピュシスを作ったのは第二衛星じゃなく、やっぱり第三衛星……」
「二つともですよ。それから惑星コンピューター」
「惑星コンピューターが?」
「ええ。あなたとはトラの群れでお付き合いがあったぐらいですが、それでも熱烈な自然主義者だと理解しています。機械の体にご興味が?」
「ないよ……、でも、結局のところ、第二衛星と第三衛星がやろうとしていることに、たいした差異はないじゃないか。いずれもヒトの在り方そのものを変えようとしている」
「そうですね。だから、これまでは私と彼女は協力できていた。この群れに秘密裡に籍を置かせていただいてもいた。しかしながら、それぞれが望む結末におおきな隔たりがあるのも事実。第二衛星はヒトに肉という枷を捨てさせようとしているのです。自由を与えようとしている。対して、第三衛星はあくまで機械惑星こそがヒトのあるべき場所だという凝り固まった考えに縛られている。低俗な物質主義者なわけだ。お互いの主張は相容れない。ならば、争うしかなくなる。いま、それが開幕された、というわけです。決めてください。私につくか。彼女につくか」
睨みあう貘とキツネ。
半人のことすら知らないタヌキと紀州犬は会話の内容を理解できていたわけではなかったが、それでもなにか現実に関するおそろしい事実が告げられているということは感じ取っていた。言葉を挟むことはできず、耳と尻尾を立てて、ふたりを見つめる。
そのあいだにも、エリュシオンの大穴の底からかすかに聞こえていたハイイロオオカミたちの鳴き声は、徐々に力を失っていた。燃え盛る業火の音がすべてをかき消してしまう。紀州犬は気がはやる。燃えるオオカミの毛衣が炭と変わる様を幻視する。もう、そうなっているかもしれない。
我慢できなくなって、声をあげようとしたその寸前、キツネが観念したというように目を閉じ、首をふった。
「……分かったよ。協力する」
「たしかに、お約束しましたよ」
念が押される。ゆっくりとキツネの鼻先が下げられる。
「安心してください。後悔はさせません。……タヌキ、紀州犬。おふたりもよろしいですね」
「俺ははじめから、ハイイロオオカミが助かるならなんでもするつもりだ」
「ぼくは……、キツネについていくよ」
「では」
貘はほほえんで、トラのような足を踏みだした。エリュシオンの縁に立つと、長鼻をもたげ、高く掲げる。
ズズズッと激しい吸いこみ。楽園は嵐に見舞われたかのように横に歪んでひっぱられる。それから瞬く間に冥界は消え去り、貘がすべてを喰らい尽くした。
周囲の風景が元通りになる。月も復活しており、太陽が動きはじめた。
ゴールのそばに茫然と佇むギンドロの植物族。投げだされている焼け焦げたハイイロオオカミ。貘はその肉体に付与されていた強化すら吸い取っており、双頭ではなく頭はひとつ。近くにはマーゲイとチワワが転がっている。
貘が悠々とゴールへの道を歩む。
「そろそろサルの準備が完了します」
「……サル?」
キツネが首を傾げると、貘はウシみたいな尻尾を力強くふって、
「ヒトの祖ですよ。このピュシスで、ヒトは再びヒトとなり、文明を築くのです」
霞んだ光柱の根本、ゴール地点が踏まれる。すると、長かった決勝戦が終了し、渓谷の縄張りにいた全員が、中立地帯へと転送された。