●ぽんぽこ15-10 私は植物
「ねえハイイロオオカミ。あなたはタケニグサなんてどうかしら。狼草って呼ばれているのよ。面白い葉っぱの形でね。ヤツデの葉っぱは分かる? テングノハウチワ。あれの周りをまるく齧ったみたいな感じ。私みたいに葉っぱの裏が白っぽくって、ちいさな白い花を咲かせるの。それともベラドンナがいいかな。ナス科のオオカミナスビよ。黒くてつややかな実を稔らせて、全身に毒があるの。オオカミみたいに獰猛な毒。ルピナスも捨てがたいな。とっても長い花穂が伸びて、鮮烈な色のお花を穂のように咲かせる。ルピナスっていう名前はね。オオカミを意味するループスって言葉からきているのよ。知っていたかしら。チワワはエノコログサがいいかな。犬っころ草とか、犬の尾の草なんて呼ばれている草。でも猫じゃらしって呼ばれることのほうが多かったみたい。不思議だね。イヌがネコをじゃらすなんて、変な感じ。あなたたちイヌとネコとしてはどうなのかしら? ……マーゲイは、おっきなおめめが特徴的だからネコノメソウかな。実が縦に割れて、まるでネコの瞳みたいになる植物。それか、カタバミのほうがいいかな。別名ネコアシ。ネコアシっていうと、ゲンノショウコなんかもそう言われたりするね。人気だ。ネコの足。肉球かな? カタバミの葉っぱはね、三つのハートをくっつけたみたいな形。クローバー、シロツメクサと似てるけど、あっちはほぼまん丸だから間違えないようにね。カタバミの花言葉は輝く心。素敵でしょ……」
動物たちが植物になった姿を想像しながら、好き放題に語り続けるギンドロの声をよそに、ハイイロオオカミたちはそれどこではなかった。テュポーンが吐く炎が竜巻となって襲ってきたのだ。双頭の口にマーゲイとチワワを咥えたハイイロオオカミは、思わず身を伏せる。チワワがショロトルのスキルを使って、周辺すべてのヘビを二股にして膨れあがらせ、自分たちを守るシェルターを形成した。
しかし、双頭のヘビたちはあくまでも敵。テュポーンの肩に生えるという無数のヘビ。二つになった頭で噛みついてくる。冥界に足を踏み入れて、すでに体力ゼロの面々に牙は効かないが、倍になった頭で拘束されて、火に捧げられてはたまらない。
ハイイロオオカミは逃げ惑う。火が延々と追いかけてくる。逃げ場のない奈落、タルタロス。怪物中の怪物であるテュポーンの肩の上。
巨大かつ強大すぎるテュポーンの肩に果てはない。それ以外の部位は闇のなか。炎を吐いている口も見えやしなかった。ヘビの野。ヘビの海。しかも、このヘビを倒すこともできない。頭を向けてくる数匹をマーゲイが手や首を伸ばし、ひっかいたり噛みついたりして追い払うが、まるでけろりとして、いくらでも立ち向かってくる。そもそも、燃え盛る火ですら平気なヘビたちに、獣の牙や爪が通用するはずもない。
タルタロスの底でハイイロオオカミが声を張りあげる。
「俺は植物じゃない! 植物にはならない!」
「どうして?」心底不思議という態度のギンドロ。「一緒に植物になりましょう。燃えて、灰になって、大地に還りましょう。そうしたら、芽吹いて、花を咲かせることもできる」
「彼女は狂っていらっしゃるので?」
チワワが隣の口に咥えられているマーゲイと目を見あわせる。
「頭のなかまで植物になってるだけでしょ」
「それを狂っているというのでは?」
「どうかな」マーゲイはすこし顔を曇らせて「ぼくだってすくなからず獣に侵食されてる。最近感じるんだ。日々のなかで、自分のなかの獣を……」
「自分のなかの……」チワワは黙りこむ。
足元でヘビが暴れる。ハイイロオオカミは鱗をまとった長い胴に足をとられて転ばされてしまう。がばりと起きあがったところに焔。チワワがスキルでカバーするが、毛衣が焦がされ、体力ゼロの死体の肉体が火葬されるところだった。ヘビの海に潜りこむべく爪先に力をこめたが踏みとどまる。奈落の天井へと鼻先を向ける。
ギンドロとウルフハウンドが重なる。とめなければならない。今度こそ。罪に手を染める前に。仮想世界であっても、仮想には仮想の罪がある。越えてはならない一線がある。
火をふりかざしたプレイヤーの末路はもう見たくない。まだ自分たちは燃やし尽くされていない。ギンドロの火は、まだだれも焼いてはいない。
「ギンドロ! 聞け! ……プレイヤーを消滅させるのは最低の行為だ。俺はついさっき、ウルフハウンドを消滅させた。それに加担した。森を焼くウルフハウンドを放っておくことなどできなかった。あいつは、ケルベロスは、この世界にいてはならない存在だった……、ギンドロ! お前はそうなるな! まだ間に合う! スキルを解け!」
焔のように熱い説得にも、ギンドロは冷たく、
「獣の理など私には関係がない」
「獣だと?」息を呑んで、灰色の尻尾をとがらせる。「俺は人として、人間の理の話をしているんだ! 俺は人間だ。獣じゃない。ついでに植物でもない。獣のように一瞬一瞬に全力で命を懸けることはできないし、植物のように悠久の時を過ごすこともできない。けれど、人であればこそ、俺は人間だから、いろんなやつとつながることができる。そうだろ?」
咥えているマーゲイやチワワに視線を落とす。ふたりの頷きを励ましに、ハイイロオオカミは言葉を紡ぐ。
「このピュシスにはものすごい種類の動物や、植物が存在している。本物の地球には遠く及ばないだろうが、それでも驚くべき数だ。そんなやつらが集まって、いろんな動物、植物が混然一体として群れを形成している。それができているのは、俺たちプレイヤーが人間だからだ。本物の動物や植物じゃないからだ」
ハイイロオオカミは熱風に目や肺が焼かれそうになりながらも語り続ける。
「俺はちょっと後悔しているよ。針葉樹林の縄張りを追いだされて、サバンナに所属するようになってからな。イヌ科ばかりで固まっていたのはもったいなかった。似たもの同士でうまく連係ができるとうれしいし、楽しいが、そうでないもの同士で生まれる新しいなにかがあったはずだ。その機会をずっと逃していたんだとな。その点では群れ員には申し訳なかったと思っている……」
耳を立てたチワワがワンと吠える。
「自然っていうのは素晴らしいが、その真っ只中で本物の動物や、植物でいるのは孤独だ。自然っていうのは孤独なんだ。つながっているようで確固たる壁がある。殺しあいなんだ。生きるか死ぬか。それが自然。自然の在り方を否定したいんじゃない。けど、俺たちはそうじゃないだろ。だから……、他者を火で拒絶なんかするなよ。ギンドロ……」
エリュシオンから片銀の葉のひとひらが落ちて、炎によって灰になった。
「……私はすでに孤独」ギンドロがぽつりと言う。「私は孤独。自分のせいで孤独になった。それを……、受け入れるために、植物になりたいのかもしれない……」
「お前も俺と同じだ! イヌ科の仲間たちとつるんでいた俺と! お前は植物族ばかりのなかにいてつながりが見えなくなっているだけだ! もっと広く手を伸ばしてみろ! そうすれば孤独ではなくなる!」
包みこもうとするみたいなハイイロオオカミの叫びに、ギンドロは震える。
「あなたってまぶしい……、あのひとを思い出す……、もう会えない、合わす顔がないあのひと……、あのひとも太陽みたいだった……、空を見上げれば、いつだって目が合って、目がつぶされてしまいそうな……」
泣きだしそうな調子だったのが、不意に鋭くなって、
「やっぱりあなたは燃やさなきゃ! そうでなければ、燃やされるのは私……!」
「火すら分け合えるのが人間なんだ!」
ハイイロオオカミは焦げた毛衣をふり乱して咆哮する。
「俺をこわがるな! お前はまだ引き返せるところにいる!」
激しく梢がざわめく。枯れる直前のように葉や花が散っていく。
「だめ……、私は取り返しのつかないことをしたのよ! おばあちゃんを……、なんで、私はいつもこうなんだろう……、失ってから気がつく……、私は! 重い罪を背負ってしまっているのよ! 引き返して、罰と向き合うことが、怖い……」
「お前は結局どっちなんだ! 植物だって言う割には、罪だの罰だのは気にするのか!? 罪を背負うっていうなら、お前はどうしようもなく人間だ! 神々ですら植物を罰したりはしない!」
「そう……、そうね……、植物を罰したりはしない。けれどハデスに恋をしたメンテーはミントに変えられて踏みつけられた。ギンドロに変えられたレウケーもハデスに恋をしていた。叶わぬ恋をした罰だったのかもしれない。植物は罰そのもの。罰の象徴なのよ」
「悲観的になるな! 植物は罰でなく許しだ! 救いなんだ! 伝承を持ち出すのなら、ミルラだって、ヒュアキントスだって……、レウケーも同じだ! 罰はむしろ獣だ! アクタイオン、カリスト、獣は死の象徴、植物こそが命の象徴だろ!」
また炎に呑まれそうになって、ハイイロオオカミはヘビの海に待避。顔だけを海面に浮かべる。そんな鼻先にギンドロの声が落っこちてきた。
「冥界で咲くギンドロは永遠。永遠には死も生もない。私は永遠になりたい。人の命は短すぎる。獣の命はもっと短い。流れゆく無情な時が、すべてを灰へと変えてしまう。時に勝てるのは植物だけ。枯れては咲いて、くり返し、くり返す。生も死もなく輪廻するのよ。また……、花の時期がやってくる……、私にも……、懐かしい、楽しかった、出会いが、巡ってくるんだ……、回帰への兆し……、ビゲドに会った……、また、あのひとにも……」
「お前……、ビゲドの知り合いか? お前は誰なんだ……?」
「私はギンドロ。ここは冥界。すべての死者を呑みこんで、たくわえる、富める者の支配地。いずれ、きっと、機械惑星がそうなる」
その声には確信が満ち満ちていた。
「冥界より、現世で生きることをまず考えろ!」
「自然は孤独。あなたはそう言った。きっと、地球は孤独でなくなるために捨てられた。私も、そうする。機械惑星での開花を、私は望む」
「植物であろうとするのが、お前を孤独にしてるんだ! 人間として生きろ!」
「私は植物」
言い張るギンドロに、ハイイロオオカミは双頭の瞳を固く閉ざす。
「なぜ分からないんだ……」
絶望をはらんだ吐息。それをふっと吹き散らして、マーゲイが、
「死者には死者の理屈がある。体力ゼロのぼくらより、彼女のほうがよっぽど死んでるってだけの話。ハイイロオオカミも落ち着きなよ。いろんな話がごっちゃになってる。いざというときは、消滅するだけさ。ね? チワワ」
隣の口に咥えられている小犬へと目を向ける。
「致し方ないのかもしれませんね。ピュシスにはずいぶん楽しませてもらいましたが、そろそろ遊びは終わり……」
「……それならそれでいい」
ハイイロオオカミがぎゅっと顔をあげる。
「だとしても、俺は、彼女をとめてやりたいんだ」