●ぽんぽこ15-7 火刑場の森
ケルベロスとフェンリルの熾烈な争いの裏。渓谷に火炎が生き生きと跋扈していた頃。ギンドロの植物族は、ピュシスに戻ってきた。
ログインした地点には幸運にも炎がなかった。あったのはうず高く積まれた熱い灰だけ。ゴール周辺にまかれた灰を遠巻きにして焔が躍る。まるで灰がギンドロを守ってくれているかのようであった。
残骸に面影。炭の跡。灰のくぼみ。シロバナワタ、スナバコノキ、ジャイアントホグウィード、ギンピ・ギンピ、オオオナモミ、チヂミザサ、ヌスビトハギ……、そしてスミミザクラ。
全員、火刑に処されて、命を落とした。消滅していた。
渓谷の森そのものが、ファラリスの雄牛に平らげられ、その腹のなかにおさめられてしまったかに思えた。
「みんな……」言葉を失いかけて、すぐにふり絞って、「……だれか! だれかいませんか!」
火がはぜる音。乾いた風が業火をあおりたてる。炭化した樹々が崩れ落ちた。
植物族はいない。
ログアウトする直前に迫っていたキリンも消えている。麒麟のスキルを使って、絶対的な力をふるっていた、すべての獣を統べる者。キリンだけは、火に殺されたのではないことを、ギンドロは知っていた。ギンドロだけが知っていた。
大地がゆれているのを根が感知。
地震ではない。規則的に、四つの足が地を打つ響き。
重たい獣が躍動している。
強い風が吹いた。火が道を開ける。まるで、その獣をゴールへと導こうとするみたいに。
植物族にとって、おそるべき相手が接近している。
シロサイの突撃。
猛然と走るシロサイの両目はつぶれていた。ヤドリギの植物族のスキル、ミストルティンの矢による怪我。さらには耳介は破け、鼻先の角も折れている。あまりにも痛ましい肉体。しかし、残った額の角一本を勇ましく突きだして、まっすぐに、まっすぐにやってくる。
全身火傷だらけ。灰色だった皮膚は煤にまみれて、夜に紛れる影のように染まっている。
「止まりなさい!」
ギンドロは叫んだ。けれど、耳に届いていないのか、それとも聞く耳を持たないということなのか、シロサイは止まらない。
ゴールを守らなければ、とギンドロは思った。仲間たちは死んだ。ただ死んだだけではない。消滅した。ピュシスという世界の生と死の輪廻から外れてしまった。機械惑星へと帰ってしまった。ギンドロはひとりだった。
勝負はこの状況を忘れるためか、勝負によってこの状況を忘れたのか、どちらかは分からない。
没頭し、無意識の行動でもって、一斉に蕾を開花させる。
綿毛をまとったギンドロの種子が焦げついた夜空を舞った。火の粉に紛れて、星に代わって瞬くと、灰となって風に吹かれる。ほとんどがそうして火炎に消えていったが、一粒の種子が大地に腰をおろすと、灰に潜って根を伸ばした。
ピュシスでの植物の成長速度は現実のそれよりも遥かに早い。
即座に芽を出し、幹を伸ばす。
シロサイの進路を阻むべく、ギンドロは自らの肉体で壁を作るつもりだった。
だが、それに対してシロサイは早すぎた。いささかひたむきすぎたと言ってもいい。ゴールへの経路を一直線に走って、ギンドロがしっかりと幹を形成するよりも先に、通り抜けようとした。
交差は偶然の産物。
駆けるシロサイの腹に、急速に成長するギンドロの枝が突き刺さった。
本来であればシロサイになんの影響も及ぼさなかったであろうひと突き。どれだけ鋭くとも、分厚い皮膚を貫けるわけがない枝の一本。それが、致命の一撃となってシロサイを倒した。シロサイはあまりにも衰弱し、疲弊の頂点にあった。道中、散々火であぶられて、体力がゼロでなかったのが奇跡の状態。たとえ子ネズミに齧られただけでも死んでいただろう。それが、樹の枝だったというだけ。
うめいて倒れたシロサイに、ギンドロですら驚愕する。死体はゴールの手前、植物たちの灰のベッドに横たわった。
ギンドロの胸中に、やわらかな新芽のような感情が芽生えた。
「勝たないと……」
いま、意識は目的のためにあった。目的に根を張って、葉っぱと花でおおいつくす。炭となった植物の破片に乗って飛びまわる火炎が梢をかすめても、ギンドロはゴールのそばから動かなかった。
勝利のときを待つ。待つのは得意だった。植物なのだから。群れ戦の防衛側の勝利条件は時間いっぱいゴールを守り切ること。試合時間はピュシス内での一日。この試合の開始時刻は渓谷の崖の上に太陽が顔を見せたときだった。終了も同じ。いま、月のない夜が明けようとしている。地中に埋まっている太陽が昼の萌芽となって大輪の花を咲かし、夜を追いやろうとしている。
燃える渓谷の森の中央で、梢をそよがせる。
なぜ縄張りが燃えているのか、ギンドロは知らない。分からない。教えてくれる者はいない。寄り添っているのは焔だけ。
仲間たちのことを考える。
咲き乱れていた花々。葉のざわめき。灰のなかに消えてしまった。
みんなは機械惑星にいってしまったのだろうと思った。機械惑星はこのピュシスにとっての冥界。消滅したプレイヤーは、ピュシスへの立ち入りを拒まれ、向こう側に縛られることになる。
――でも、あっちだって悪くないよね。
いまはそう思える。自分や、ポイズンアイビーのような植物がいるのだから。きっと、みんなもあちらで花を咲かせるときがくるに違いない。懐かしい花の香りを嗅ぐこともあるだろう。それを楽しみにしよう。
――冥界……、本当の冥界はどっちなんだろう。
ふとした疑問。
死者の行きつく場所。それは仮想世界なのか。現実世界なのか。
あっちで生きられない者が、こっちにくるのか。こっちで生きられない者が、あっちへいくのか。
――私は、もう……。
いつの間にか、火災が鎮まりはじめていた。
優しい雨が葉をなでる。太陽の気配が強まってきた。けれど、のろのろとしていて、まだ寝ていたいとでもいうように、地平線の布団をかぶったまま。
「……よかった」
だれかの声に、意識を持ちあげる。
「まだ生きている植物族がいたのか」
ふっさりとした灰色の毛衣。鋭い眼差し。けれど、どこか人懐っこさもある。
ハイイロオオカミ。なぜか頭がふたつ。チワワが一緒にいるということは、ショロトルのスキルの効果のようだ。オオカミの背中にはヒョウ柄のネコ、マーゲイが乗っている。
首を伸ばしたマーゲイが、シロサイの死体を発見した。
「見てよ。シロサイだ。死んでる。ああ、よかった」
「死んでいるのなら、よくはないのでは?」
チワワが困惑して尋ねると、
「だって死体があるってことは、ただ死んでるだけってことでしょ。消滅をまぬがれたんだ」
言いながら、マーゲイはハイイロオオカミの背中からとびおりて、死体状態のシロサイに駆け寄った。いまは聞こえていないであろう耳に鼻を近づけて囁く。
「すごいね君。絶対無理だと思ったのに。おしかったみたいじゃない。こっちは元凶を倒したよ。でも、まあ、ぼくが倒したわけじゃないから、一歩足りなかった君とぼくで、今回は引き分けってことにしておこうか。また遊ぼうよ」
灰にうもれた巨体を眺める。焦げたにおいには、誇らしさすらある。眺めていたマーゲイはふと気がついた。横倒しになっている腹。そこに、一本の枝が突き刺さっている。
「……ん? これって……」
首を傾げるマーゲイの隣を、ハイイロオオカミが通りすぎる。火にさらされていない様子のギンドロの巨樹を双頭で見上げて、
「かける言葉がないっていうのはこういうことを言うんだな。……あまりにも犠牲が多すぎた。これから大変だろうが、よかったら相談に乗るよ。とりあえず試合を終わらせてしまおう」
ゴールに向けて歩を進める。踏みだされた足に、ギンドロはスキルを使った。
その瞬間、周囲の風景が一変。ゴールや渓谷の地形がすさまじい勢いで遠ざかっていく。灰も、雨も、夜も、くすぶっていた火も、遠く彼方へ。
新たなマップ情報が差しこまれる。
そこは楽園。死後の楽園。エリュシオン。
ギンドロがほがらかな声で獣たちを迎えた。
「冥界へようこそ」