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●ぽんぽこ15-6 林檎と毒林檎

 かつて海が広がっていた大地のくぼみのかたわらで林檎りんごとマンチニールの植物族ドリュアス悄然しょうぜんたたずんでいた。

 火災によって焼け焦げた渓谷の森に、細糸のような雨が粛々しゅくしゅくと降りしきる。灰のなかから立ち昇る煙が雨で砕け、霧のように地面をいずると、夜の闇が暗さを増して戻ってきて、渓谷は厨子ずしに閉じこめられたかのような静寂に包まれた。

 死が蔓延まんえんする大地に根を張ったふたりは、枝を寄せ合い、夜のとばりがひるがえるのを待ち続ける。花とも茎とも分からない炭のひとひらが、音もなく風に運ばれていくのを意識の隅で追いかけながら、林檎がぽつりと、

「燃えそびれちゃったね」

 すると、マンチニールは身をひきはがそうとするみたいにこずえをひきつらせて、

「どうせ嘘だったんだろ」

「なにが?」

 林檎は桜にも似た優しげな花をふわりと開かせる。

「燃えるつもりなんてなかったんだろ。ぼくを置いて逃げる気だったんだ」

「こんなにしっかり根を張ってるのにどうやって? どこに逃げるっていうの?」

「どうやってもさ。どこへでもさ」

 うつむいた声。決めつける調子。

「なにそれ。よく分からない。たとえ燃えても一緒にいるって約束したのは嘘じゃないよ」

「今日はずいぶんとおしゃべりじゃないか」

「林檎ちゃんはいつもと変わらない」

「なにが林檎ちゃんだ。ぼくはプパタンに言ってるんだ」

 たたきつけるみたいな言葉に林檎は黙りこんだ。そうすると、マンチニールもハッとして、同じように沈黙する。物言わぬ樹木の頭上に、ふくらんだ雲の影がおちてきた。林檎のギザついた葉っぱと、マンチニールのつるりとした葉っぱが、強まってきた雨に打たれて音楽をかなでる。

 やがてほのかに雲の色が移り変わり、わずかに闇が薄まってきた頃。林檎が濡れ髪のようになった葉から雨粒をしたたらせながら、

「ネポネ。あたしたちって、どうしてうまくいかないんだろうね。双子なのに」

「……双子、……双子か」口のなかで転がすようにマンチニールは言って「……そういえば、ぼくらふたりとも双子葉そうしよう植物だ。林檎とマンチニール。バラ科とトウダイグサ科。双子葉そうしよう植物は、単子葉たんしよう植物のグループとは違って横のつながりが薄い。きっと本質的に気ままな存在なんだ。生まれは似ていても、そこから先はぜんぜんさ。けれど、ぼくらはそっくりなまま成長した。それがこそがいびつなんだ」

「似ていなければよかったって言うの?」

「それがふつうだろ」

「双子って、ふつうのきょうだいと、なにがちがうのかな?」

「知るもんか。ぼくらには、ぼくらしかいないんだから」

 つっけんどんな態度のマンチニール。喧嘩腰ではあるが、会話すること自体をこばむことはなく、林檎の言葉に意識をかたむけている。

「植物ってたくさんのきょうだいがいて当たり前でしょう? デンドロビウムなんて、ひとつのさやに何百万もの種子が……」

「デンドロビウムはラン科だ。ラン科は単子葉植物。いまの話題には双子葉植物のほうがふさわしいよ。キク科とか。タンポポなんていいんじゃない。ダンデライオン。そっちの群れクランの象徴だろ。タンポポの花一輪の綿毛は……、そうだなあ……、百か、もうちょっとぐらいのはず」

「百人きょうだい、かあ」

 のんびりとした林檎の声に、きびきびしたマンチニールの声が重なる。

「全部発芽するなんてことはないだろうけどね」

「あたしたちも双子じゃなくて、百子だったらよかったのかな」

「そんなのはもうクローンだ。ぼくらはクローンじゃない。……お父さんと、お母さんが、いる」

「でも、植物として考えるなら、クローンなんて別にありきたりだよね。リコリスやスイセンなんかは分球ぶんきゅうで増えるわけだし、匍匐ほふくけいで増えるささとかイチゴもいる。ぎ木とかし木だったら林檎あたしだって……」

「だからどうだって言うの」

 すっかり枯れてしまっている海に、ふたりの言葉が流れこんで、砂浜のような灰に沈殿する。燃えた森には不思議と命の残滓ざんしただよう。灰の下。朽木の影。岩の裏。洞窟の奥。どこかになにかがひそんでいる気配。力強い再生の予感。

 雨は強まったり、弱まったりをくり返しながら、雲がすこしずつ風の手で千切ちぎられて粘土みたいに形を変える。ライオンのたてがみのように広がったかと思えば、トラの牙のように鋭くなって、はたまたタヌキの顔のように丸く、キツネの顔のように三角になる。

「楽しいね」と、林檎。

「楽しい?」

「こういうとりとめのない会話をするのって、久しぶりな気がする。なんだかすごく懐かしい。なにを話そうとしていたのか忘れちゃった」

 ほんのりと熱を持った風が吹き抜けていく。

「バカみたいだ。だったらいまからログアウトして、顔をつき合わせてしゃべろうじゃないか」

「それはいや」やわらかな拒否。

「どうして? 結局、植物の仮面がなければしゃべれないんだろ」

「これは仮面じゃない。あたしそのもの」

「仮想に現実を見出すのはおろか者だ」

「紙の表と裏、どちらを見ていても、それは紙でしょ? 現実と、仮想なんて、そのぐらいの違いしかないんだよ」

「絵がえがかれた紙の裏を見て、絵を見た気になってるんじゃないだろうね」

「あたしの紙はぐしゃぐしゃに丸められてて、どっちが裏だか表だか分からない。それよりもさ。自然って本当にあったと思う?」

 唐突とうとつに予想外の質問を向けられたマンチニールは焼けた森に意識を広げる。遠くに聞こえる渓流の音は淀みなく、縄張りの両側にそびえる崖は、陰惨いんさんな火災があったというのに、顔色ひとつ変えていない。

「あったっていうデータが残ってるんだからあったんでしょ。動物や植物のいない自然地形だったら、他惑星の映像で見たことあるよ。……まさか地球の実在を疑っているの?」

「データは改竄かいざんできる。古いデータほど間違いだって」

「そんなことを考えだしたらきりがない。もし本当は動物や植物が存在しなくて、全部がだれかの創作だったんだとしたら、それこそ驚嘆きょうたんあたいするよ」

「そう。びっくりしちゃうぐらい素晴らしい。みんな、ピュシスのプレイヤーは、自然を、動物を、植物を、素晴らしいと感じてる。それって、潜在意識に刻まれている共通の美意識ってことなのかな」

 林檎の果実がぽとりと焦げた大地に落ちた。黒と灰のマーブル模様に果実が赤々と主張する。マンチニールがその隣に、明るい緑色をした猛毒の果実を落として、

みにくくもある。死にまみれている。こんなふうな焦土しょうどだって自然だ……。だから地球は捨てられたんじゃないのかな。自然を排斥はいせきすることが、死から逃れる手段だったから」

「死はだれにでも平等に訪れる」

「けれど遠ざけることはできる。寿命っていう期限を、ずっとずっと先に」

「そうね。昔はもっと寿命が短かったって聞くし……」

滑稽こっけいだけどね。逃げて、逃げて、その果てに追いつかれるんだから。自然な死を受け入れるほうがいさぎよいよ」

「潔い、か……。でも、それがいいというわけでもないでしょう? やりきらないと、生ききらないと、納得できない。あきらめるだけがすべてじゃない」

「逃げてばかりのくせに口だけは達者だね」

 あざけるみたいに言われて、林檎はしょげたようにいくつかの花を散らせた。

「……神様だって、双子はもっと仲良くしてるよ。フレイとフレイヤ。アポロンとアルテミス……」

「……ぼくがフレイだったら、世界の終末で火の巨人に殺されることになる」

「たしかに。あなたがアポロンなら、あたしに想い人を殺させることになる」

「神様なんてそんなものさ」

「そうかもね……、なんで、あたしたちはこうなってるんだろう」

「なんで? なんでだろう……」

 マンチニールはしばし考えこんで、

「……やっぱりあの双子実験がよくなかったんだと思うな」

「楽しかったけどな。クラウンに同調測定装置をつけて、絵を描いたり、カードのランダム選出とか、操作パネルに同時入力したりして、数字とにらめっこしながら……」

「入力テストはぼくも好きだったな。一致率一位はそれなりに気分がよかったし。でも、結局はお金のためだろ」

「お金のためでもいいじゃない。お母さんやお父さんの役に立てて嬉しかった」

「一致しすぎていたんだよ。ぼくらは同じ種子だった。そういうことになった。でも、成長して、別の果実をみのらせると、それはどちらかに異常があるってことになる。毒を持つのは悪い果実。ぼくは……傷んだ果実だ」

「いいえ。傷んでいるのはあたしのほう」

「そう思わせただけだろ。青い果実を毒林檎といつわっても、そんなのにだまされるのはバカだけだ。……まあ、大半の人はバカだったみたいだけどね」

「いいえ。あなたは立派な果実」林檎はくり返す。

「ならそう思ってればいいよ。ぼくはぼくで思うだけだ」言い捨てて、がっくりと声から力が抜け落ちる。「……入力パネルのキーボード操作だとあんなにシンクロしてたのに、ピアノのキーボードだとなんで違っちゃうんだか……」

 マンチニールが溜息みたいなひとり言をこぼし続けていると、林檎が突然声を張りあげた。

「一緒に走ろう!」

「は? マンドラゴラにでもならなきゃ無理だね」

「そうじゃなくて、ログアウトして」

「さっきはいやがってたくせに」

「さっきはさっき、いまはいま」

「気に入らないな。そういう手前勝手なのは。それに、プパタンの足の遅さに合わせて走るのは面倒臭いよ」

「ほら。そういうこと」

「なにが?」

「いいから走ろうよ」

「いやだって」

 お互いにゆずらず、押し問答を続けた後、林檎はすっかり心を決めたみたいな軽快な調子で、

「この試合が終わったら、あたしログアウトするって群れクランのひとに言ってくる。そのあとにね」

「なに決めてるんだよ。ぼくはいやだ」

「ふたりじゃなくて、もうひとり呼んでいい? それなら問題ないでしょ?」

「だったらぼくじゃなくてそいつと走りなよ」

「あなたと一緒に走りたいの」

「いやだよ……」

「……ほら、太陽が昇ってきた。葉っぱに光を感じる」

 林檎が言うと、マンチニールも空に意識を伸ばす。濡れた葉っぱがちりちりと乾いてきて、こそばゆいような感覚。

「やっと終わるのか。トリカブト……、他のみんなも燃えちゃったんだろうな。もう会えない……」

 暗い声を励ますように、林檎が枝を広げて、あたたかい木陰を投げかける。

「会えるよ。現実で」

「名前も顔も知らないのに?」

「いろんな人と知り合えばいい。お互いに知らなくったっていいの。そうしたら、またいつの間にかお友達になってるかも」

「自分にはできないことを人に言うんだな」

 枝先がとんがると、葉がふんわりと受け止めて、

「あたしも、これからはがんばってみる」

「どうせログアウトしたら黙っちゃうんだろ。ぼくには分かってるんだからな」

「じゃあ約束する。いま公園のベンチでログインしてるでしょ。最初に見かけた人と、あたしお友達になる」

「はいはいそうですか」果実を落っことすみたいに言って「じゃあ。本当にやれるかどうか。見ておいてあげるよ」

「うまくできたら、あたしのことを許してくれる?」

「許す? なにを?」とぼけているわけでもない心からの戸惑い。

「あたしが、あなたの双子だってことを」

 聞いたマンチニールは足元に置かれている赤と緑の果実をぼんやりと眺める。

「……なにもせず、ただ家族でいられるひとたちが羨ましいよ」

 それきり、ふたりはただの植物になった。ひと言も発することはなく、風にこずえがなでられるのに任せ、強まっていく太陽の光を感じ、大地から力を受け取って、花を咲かせ、そして枯らした。

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