●ぽんぽこ15-5 おいでください
灰にまみれた炎の森に汚れひとつない毛衣をまとった神秘的な獣があらわれた。
キツネとも、イヌとも、タヌキとも知れない獣。業火を放出せんとしている黄金のケルベロスを前に、まったく怖気る様子もない。
黄金のケルベロスが三つの口から火炎を吐きだす。マーゲイとフェンリルが咄嗟に伏せるが、狙いははじめからそちらに向いてはおらず。火に焼かれたのはシベリアンハスキーのみ。
「なぜ……、私を……」
声は焔にかき消され、灰となって風に呑まれた。突然の仲間割れに唖然とするマーゲイ。そして、さらに困惑することが起きた。三つの首がそれぞれ別の首に噛みついたではないか。三頭のイヌがじゃれあってでもいるみたいに、中央の首が右の首を、右の首が左の首を、左の首が中央の首を咥える。三つ巴の状態。
異常な行動に、双頭のフェンリルがマーゲイを口で拾いあげて距離をとる。
「俺から出ていけ! 私から、僕から、出ていけえええ!」
冥界の番犬が絶叫した。そして、次の瞬間、自らの首を咥えたまま猛然と炎を吐きだした。黄金の果実で強化された攻撃力のすべてが自分へと向けられる。毛衣が燃え盛り、火炎によって染めあげられる。
おぞましい断末魔が渓谷に響いた。火袋のなかから搾りだすように、火が延々と吐かれ続ける。
炎に苛まれた三つ首の大犬は、焼かれ、崩れ落ちながら、
「やめろっ! やめてください……、やめてよ!」
何者かに懇願し、苦痛の咆哮をあげる。
「ああ……、まだ狩り足りない……、レョルめ……、あの牙が……」
フェンリルとマーゲイが息を呑んで見守るなか、ケルベロスは炎から炭に、さらには灰へと変化して、熱風に巻き取られると、この火災で燃え尽きた森の命たちにまぎれていずこかへと消えていった。
猛威をふるっていた火炎たちが、勢いを弱めて、鎮火しはじめた。
いつの間にか降っていたらしい雨が、森を洗っていく。
謎の獣の元にフェンリルとマーゲイが駆け寄る。
「だれだ?」
フェンリルが鋭い質問を投げかけると、
「狐狗狸さんというやつでしょう」
どこからかチワワが走ってきた。当然のように輪に加わる。
「当たり。合成獣だ」紀州犬の声。
スキルが解かれて三体の獣に分裂。あわられたのは、キツネ、紀州犬、タヌキ。同じぐらいの体長の獣たち。中型犬の紀州犬がもっともおおきめで、次にキツネ、タヌキはぽっちゃりとして横には太いが、一番ちいさめで、見た目よりは軽い。
「だれだ?」
フェンリルが再度尋ねる。チワワが怪訝な顔で首を傾げて、
「お仲間なのでは?」
「紀州犬はな。他のふたりは知らん。なんの動物かは分かってる。イヌ科どもだ。キツネとタヌキ」
「その通り、わたしはキツネ」
「ぼくはタヌキ」
「お前らはだれだ」
三度目の詰問。
「キツネさ」
キツネが言うと、フェンリルは双頭になっている二つの首でかぶりをふって、
「違うだろ。お前が……、ライオンか? その怪我……」
地面に伏せているキツネはライオンと同じおおきな傷を負っている。
「それはお答えできない」
キツネはなぜか仲間面をしているチワワを気にするそぶりではねのけると、ついと夜空に視線を向けた。火災積雲が雨雲に変わって、火事はゆっくりとだがおさまる気配を見せている。雲の向こうには、相変わらず月がない。あたりを見回す。スコルとハティが消えている。やられたらしいが、ハティのスキルで月を食ったドーベルマンが消滅しても、試合が終わるまで月は戻ってこないようだ。化けるスキルはまだ使えない。
「紀州犬は知っていたのか?」
疑問の矛先が変えられる。紀州犬は申し訳なさそうに耳を伏せて、
「まあな」
これを聞いたフェンリルはややショックを受けたような顔。眉をひそめて、尻尾をしおれさせる。けれど、この場では言葉を呑みこんで、
「あとでみっちり説明してもらうからな。ケルベロス……、ウルフハウンドになにをした? それも秘密か?」
「合成獣の効果ですよ。わたしたち三名で狐狗狸さんになった」と、キツネ。
「合成獣のスキルってふたり限定じゃなかったんだ」
マーゲイがそんなふうに言うと、フェンリルが、
「ヒュドラーなんて九匹のヘビが合体してたんだぞ」
第一回戦、キングコブラの群れとの戦いでの話。横になったマーゲイは組んだ前足を顎でたたいて、
「ああ。そういえば、ボブがそんなこと言ってたなあ」
キツネが説明を続ける。
「狐狗狸さんはいわゆる憑き物。動物霊。動物に憑依して、操作を乗っ取ることができる」
「三体必要なだけあって、かなり強力な効果だね。ぼくらがあんなにてこずってたのが一発だ」
マーゲイが鼻を鳴らしていると、キツネは謙遜でもなく、
「効果は強力でもわたしたちは非力だ。狐狗狸さんは、非力な獣の寄せ集めにすぎない。みんなが戦ってくれていたから、ここにくるのが間に合ったわけだし、効果を発動する余裕があった。勝つことができた。結果論だけれど黄金の果実で敵が強化されていたのも、自滅をさせる助けになった」
「俺は別に非力じゃないけどな」
と、紀州犬がつっぱって、ぐるりとあたりを見回す。完全に焼け野原になってしまった森。黒々とした大地。それを隠そうとするみたいに散らばった砂漠の砂にも似た灰たち。消滅者多数。あちこちで立ち昇る煙は、鎮魂の香を想起させる。
ウルフハウンドが消えた場所を、タヌキがぼうっと眺めている。
「あのひと……、最後に……」
ぽつりとこぼれたタヌキのひとり言。キツネも、ウルフハウンドの最後の言葉が気になっていた。レョルと聞こえた。レョルはメョコの兄の名前。ウルフハウンドはレョルと知り合いだったのだろうか。レョルは警官。あの気性からして、ウルフハウンドは犯罪者かもしれない。警官と犯罪者。妥当な接点に思える。しかし、それにしても、牙というのもひっかかる。レョルと牙。……半人? ふと、メョコのことが心配になった。
「君たち、キツネさんとタヌキさんは仲間ってことでいいんだね」
マーゲイの確認に、ふたりはそろって首を縦に。加えて紀州犬が、
「味方だ」
すると、チワワが便乗して、
「私も味方でございますよ」
鋭い視線が集まったが、ちいさなイヌはにこやかな笑顔を崩さない。キツネはチワワと、それから双頭のフェンリルを見比べて、
「気になってたんですが、その首は?」
「これは……」
言いさしたフェンリルに割りこんで、チワワが、
「私のスキルの恩恵です。ショロトルのスキルのね。あらゆるものを二股にして、能力を倍加させることができます」
「二股か……」フェンリルが渋い顔。
マーゲイはチワワの横に並んで、
「ぼくが頼んだんだ。実際、手伝ってくれてもいるし、いまは味方ってことにしといてあげて」
「おお、ありがとう」チワワはおおげさに耳を立てて、尻尾をふる。
フェンリルはフンと顔をそらして、それから焼けた森の向こう側に視線を投げかけた。火によって照らしだされていた夜が、再び闇を取り戻している。闇のなかにかすかな光。ゴールの光柱だが、ずいぶんと薄れて、火災の影響なのかグラフィックが歪んでしまっている。
思い出したようにスキルを解く。ハイイロオオカミの姿へ。けれど、ショロトルの強化は継続している。双頭のハイイロオオカミ。
「ゴールへ向かおう。まだくすぶっている火があるようだしな。終わらせて、すっきり消してしまわないと」
歩きはじめるが、その足は重い。ケルベロスとの戦闘で、肉体にかなりのダメージが蓄積している。マーゲイとチワワが続く。キツネは紀州犬に背負ってもらって運ばれる。その隣にタヌキ。
「林檎ちゃんはどうした?」
ハイイロオオカミが尋ねると、紀州犬は背中をゆらさないように注意しながら、
「海があった場所に置いてきた。あそこなら無事だと思うけど、確認に戻るか? 回復がてらに」
「いや急ごう。無事ならさっさとゴールしてしまったほうが助けになるはずだ」
「キリンさんはどうなったのかなあ」
タヌキが言いながら、近づいてくるゴールを見上げて目を凝らす。
「まだ試合が終わってないということはゴールできなかったんでしょうな。植物族どもにまでは支配効果が及んでいなかったようですし」
チワワが話していると、ちゃっかりとハイイロオオカミの背中にとび乗ったマーゲイが、沈んだ表情で遠くを眺める。
「シロサイは大丈夫かな……、消滅してなきゃいいけど」
それから横に視線を落として、
「チワワ。このあと裏切ったりなんかしたら容赦しないからな。噛み殺すよ」
「そのようなこと、ありえません。もしそんなことがあればツォンパントリでもなんでも受け入れますよ」
「名誉はふさわしくない。ツォンパントリじゃなく肥溜めだ」
「ご随意に」
「臆病者め。ひとりでいるのが怖いんだろ」
なじるふうな言葉だが、調子は軽快。対してチワワも平然として、イヌ科だらけの一行のなか、唯一のネコ科であるマーゲイに猫なで声。
「おっしゃる通り。よくお分かりで。ご聡明だ」
会話を聞いていた紀州犬が後ろから、
「やっぱりチワワは置いていったほうがよくないか? 俺は信用できない」
「そうおっしゃらず。同じ副長の席に座った仲じゃありませんか。あなたが座っていた席。あたたかかったですよ」
すり寄られそうになって距離をとる。
「なんだよそれ……」
紀州犬は嘆息。鼻先を下に向けて、むせかえるような焦げたにおいにくしゃみをする。そうして鼻をすすっていると、周囲に落ちる朽木の影の輪郭が濃くなっているのに気がついた。空の色が変わってきている。
「いつの間にかこんな時間か。太陽がくる。もうすぐ試合終了時間になる」
「勝ち負けなぞどうでもよくなってきたが……、せっかくだから勝って終わるか」
ハイイロオオカミが小走りでゴールへと向かう。その背中でゆられるマーゲイ。チワワもついていく。
重たい荷物を背負っている紀州犬と、鈍足のタヌキは仲間たちの背中を見送る。
「頼んだよ。絶対に、勝ってほしい」
キツネがハイイロオオカミに声をかける。返事の代わりにふっさりとした尻尾が力強くふられて、焼けた樹々が散乱する野をゴールに向かって駆け抜けていった。