●ぽんぽこ15-1 焼け野原
「あっついよ!」
焔を前して、毛を逆立たせながら叫ぶマーゲイをシロサイがなだめる。
「一定以上の熱さは感じないはずだ。擬似感覚のリミッターがある。もしも尻尾に火がついても慌てるなよ」
「無茶言わないでよ!」
「ゲーム内だ。本物の火じゃない」
「分かってる……、分かってるけど、ぼく、火は苦手なんだ……」
「俺のとぐろに隠れてろ」
オオアナコンダが長大な体を使って、ろくろで巻いたみたいな壷を作る。シロサイの背中に置かれた壷におさまったマーゲイが、鱗の隙間からおっかなびっくり燃える森を眺めた。
「どうなってるか教えろオオアナコンダ。こっちは目がつぶれてる上に、耳も破れて聞こえずらいんだ。熱気は感じるが、鼻には煙のにおいしかしない」
さらには角も一本折られている満身創痍のシロサイが首をまわす。
いま三名がいるのは小さな島のように盛りあがった起伏。ケツァールや双頭のバロメッツ、二股矢のヤドリギなどといった面々との戦闘後、敵であるトウモロコシの植物族を食い荒らして体力を回復。仲間たちを背負ったシロサイが、ゴールを目指して猛然と進攻していた。
そうして目の前にあらわれたのが海。敵本拠地付近の森を完全な孤島にして、周辺を海水で封鎖している。立ち止まって一時相談。このなかで一番泳ぎが得意なのはオオアナコンダ。銅の体のユルルングルの肉体になれば毒も効かない。しかし、試合前の作戦会議で聞いていたものとは違って、この海にはマンチニールの毒が注ぎこまれていないらしい。
敵は見当たらない。悩むよりも先に強行突破を選択。全員で泳いで渡る。傷だらけの肉体に塩水が沁みる感覚。ぴりぴりとしてこそばゆい。浸かっているだけで、ほんのわずかずつ体力が削られる。
海を半分ほどを越えたあたりに小さな島があり、そこに上陸したときのこと。
突如、海がワインに変じた。この事態に三名は用心を深めて周囲の様子を探る。すると、今度は月が消える。追い打ちのように真っ赤な海が発火。危うくフランベされるところであった。
「そろそろワインの海が全部蒸発しそうだ。そうしたら渡れるだろうが、敵本拠地は依然として燃えあがってる。すごい火の勢いだ。本拠地以外にも飛び火して、どの方向にも逃げ場はない」
オオアナコンダがざっと状況を解説すると、シロサイは蹄で熱い地面をかいて、
「逃げ場がないならゴールにとびこむまでだ」
「そのゴールが見えない。ゴールまで燃えたのかもしれない」
「そんなことありえるか?」
「ありえるかどうか、前例がない」
割れたヘビの舌が炎のように躍る。ようやくすこし落ち着いてきたらしいマーゲイが顔をあげて、
「これってスキルなのかな? 雷が落ちたわけでもなし、自然発火じゃない。となると放火ってことになる」
「スキルだとしてうちじゃないな。かといって敵だとしたら相当のバカだが……」
嘆息して、シロサイは鼻先の折れた角と、額に残っている角を敵本拠地の方角へ向けた。立ちはだかる炎壁。サーカスの火の輪くぐりよりも過酷な火のトンネル。
「川に沿っていけばどうだろう」
マーゲイの提案にオオアナコンダが首と尻尾を横にふる。
「どっちにしろ燃える森を通り抜けないといけないのは変わらない。遠まわりしないといけない分、焼かれる時間がむしろ増えそうだ」
敵の植物族たちの阿鼻叫喚の騒ぎが聞こえてくる。崩れ落ちる木陰の向こうで、炎の衣装を身にまとったバロメッツのヒツジたちが駆けていくのが見えた。
「植物って燃えるとどうなっちゃうの?」
「灰になるんだろ。動物も、植物も、燃えたら一緒だ。焦げ臭くってかなわん」
シロサイが言うと、オオアナコンダが、
「一緒とは限らないんじゃないか。焼畑農業ってのがあるらしいし。俺たちが進もうとしたら、肉体を元気に生やして、奇襲してくるつもりかもしれない」
「その割にはお相手の植物族たちの叫び声が迫真すぎやしない? 心底びっくりしてるって感じだけど」
熱の圧力と、熱が発生させる空気のうねりが全方位から伝わってくる。肌を押さえつけられて、まるでフィルムに閉じこめられたみたいな圧迫感。膨れあがった業火が植物族と植物オブジェクトの区別もなく、すべてを赤に塗りつぶしていく。どうやら逃げてきたらしい植物族が一本生えてくるのが見えたが、すぐに炎に打ち倒され、はぜた幹が燃え尽きると、はらはらと粒子に分解、跡形もなく消え去った。
「……あれって消滅してないか? 死に方が尋常じゃない。火にやられたのが原因だろうか。敵性NPCみたいに命力自体を削ってくるみたいな」
オオアナコンダが目を凝らす。
「これは、試合してる場合じゃないのかもな」
かなり深刻な状況らしいと理解して、シロサイは見えない目で夕焼けのような夜空を仰いだ。鼻をうごめかせて、
「雲はないか?」
「雲ならでっかいのがあるよ。どんどんおおきくなってる」
マーゲイが尻尾で空を指し示す。夜空を夜空らしく引き戻そうとするみたいな暗い雲が広がって、大地から立ち昇る煙を吸いあげている。聞いたシロサイは、自分の背中に乗っているオオアナコンダに、
「電撃を使って雨を降らせるっていうのをもう一回できないか?」
「どうかな。あれは火災積雲ってやつだ。あんまり成長させると余計に火事を広げかねないぞ」
「そうなの?」マーゲイが首を傾げる。
「火災の熱で発生した気流によって形成された雲だ。乱気流を抱えてる。さっきから吹いてる強い風はあの雲のせいだ。風にあおられた火はより強く燃える。火が雲を育てて、雲もまた火を育ててるんだ」
「でも、雲である以上は水蒸気の塊なわけだし、雨の源ではあるはずでしょ」
「まあな。……ダメで元々、試してみるかあ」
首をあげた大蛇の体が銅色に変化していく。ずっしりと重くなった背中に、シロサイは足を踏ん張った。ユルルングルのつるりとした顔が、月のない夜空へと向けられ、白と黒とが入り混じる積乱雲の中心に照準を合わせると、おおきく開かれた口から、雷光が迸った。
放たれた電撃が、渦を巻く雲に命中。雲のなかで雷が乱反射でもしているのか、猛獣の咆哮にも似た轟音が空から降り注いでくる。
不意に静かになったかと思うと、次の瞬間、強烈な暴風が吹き下ろしてきた、炭と化した樹々にへばりついていた火が歓喜と共に燃えあがり、森が赤々と照らされると、あちこちで煙が噴出する。
「……だめか」
猛火の色に銅の肌を染めながら、ユルルングルが空を睨んでいると、
「うわっ!」
マーゲイがとぐろのなかからとびだす。シロサイも悲鳴をあげて、体をおおきくゆすると、ユルルングルをふり落とした。
「背中が焼ける!」
銅の体のユルルングルの肉体はこの短時間のあいだにも、すさまじい熱を帯びていた。銅は金属のなかでは融点が高めではあるが、それでも森林火災のただなかにあっては、やわらかく変形しはじめている。
すぐにスキルを解いてオオアナコンダの姿に戻る。ほのかに残る熱が、肉体を内側から焼くような感覚。熱した油を飲んだような気持ち。疑似感覚でなければ、すさまじい苦痛を伴っていただろうということが容易に想像できる。
焦げた地面に転がったマーゲイが起きあがると、シロサイの皮膚に刻まれた蛇柄のやけどの痕を見て笑う。
「あははは。変な模様にやけどしてる。胴体の真ん中が輪っかになってて、ベルトをしてるみたい」
「やめろ。マレーバクじゃあるまいし。勘弁してくれ」
シロサイが顔を歪ませると、マーゲイは焼き印を押されたみたいな背中にぴょんと戻ってきて、
「気をつけなよ。生贄っていうのは生が基本なんだから。供物は新鮮でなきゃ」
「またそんなことを……、こんなときにふざけてる場合か」
にわか雨が降りはじめた。どうやら遅れて電撃の効果があらわれたらしい。全員が期待をこめて雨粒を肉体で受けるが、火の勢力はまったく衰える気配なし。多少の雨ではびくともしない強靭な炎。雨のほとんどは大地に到着する前に空中で蒸発して、空へと踵を返してしまう。
呆然と雨の感触が弱まるのをたしかめているシロサイに、マーゲイが、
「……ふざけてないよ。スキルを使いたいから心臓ちょうだい」
「断ると言ったろ!」反射的に叫んだが、ふと逡巡して「……この炎を鎮火できるのならくれてやってもいい。しかし、いくら夜風を吹かせても火が喜ぶだけだぞ」
「風だとそうだね。煙の体を薄く広げて火を窒息させるっていう方法もあるけど、火そのものが起こす風が邪魔になりそうだなあ。全部を消すには体積も時間も全然足りないだろうし」
「ならだめだろ。スキルの効果時間が終わったら、くすぶってた火がまた息を吹き返すだけだ」
「だろうね」
「ならおれの命はやれん」
「そうじゃなくてさ。この火ってたぶんスキルで起きてるわけじゃない?」
「ほぼ確実にそうだな」と、地面に横たわって体を冷ましているオオアナコンダ。
「つまり、スキルを使ってるやつを倒せばいいんだよ。生成系スキルは基本的に使用者が倒されたら効力がなくなるんだから」
「生成系なのかこれは?」シロサイがいぶかしむ。
「淡水や海水を生み出すのも、雷を生み出すのも、炎を生み出すのも原理的には同じでしょ。ヒツジを生み出すのもね。ケツァールが生み出していた風は、ケツァールを倒したらぱったり消えたよ」
遠い森から聞こえていたヒツジの声はいまは聞こえなくなっている。生み出していたシロバナワタの植物族がすべて燃え尽きたのかもしれない。
「ならいけるのかもしれないが……、なんだか博打な感じがする。ゴールが見えなくなったって言ってたが、そっちを目指したほうがよくないか。手探りでもなんでも探してゴールするんだ。そうしたら群れ戦が終了して、すべては元通りにリフレッシュされるし、縄張りにいるプレイヤーたちは転送されて助かる」
「この火災のなか、目印のないゴール地点を探すのは至難の業だよ。ある程度の範囲が分かってるって言っても、まだ広い。こまかなタイルが敷き詰められた大広間で、たった一枚のタイルを踏まないといけないようなもの。探してるあいだに燃えてしまう。けど、テスカトリポカのスキルで上空から確認すれば、火災の中心はすぐに分かる。そこにびゅーって飛んでいって発生源を取り除けばいい」
マーゲイの意見にシロサイは破けた耳介を傾けていたがギュツと眉をひそめて、
「……おれはそれでもゴールを目指すべきだと思う。これまで、まっすぐゴールに向かっていた。このまま、まっすぐいけば、どこにあるのか分からなくても判定を踏めるはずだ」
「それで踏みそこなって通り過ぎたらどうするの。雑巾がけみたいに往復でもするつもり? この大火事のなかで?」
「踏める。まっすぐいっておれはゴールを踏む」
「それ、ブチハイエナが聞いたらなんて言うと思う?」
「いまいないやつのことは関係ないだろ! やるといったらやるんだ!」
議論にまでも火がついて、加熱しはじめたのをオオアナコンダがとめにはいる。
「ふたりとも。興奮するな。火事のときは冷静さが大事だぞ」
「ぼくは興奮してないけどね」
と、マーゲイ。シロサイが目をとがらせて鼻を鳴らす。
「いいから俺の話を聞け」にょろりと頭をもたげて、シロサイと、その背中にいるマーゲイを地面から見上げる。
「ふたりとも思うようにしろ。俺の心臓をやる。それでマーゲイはスキルを使って元凶をぶちのめせ。シロサイはまっすぐに走れ。まっすぐ、まっすぐ、森を突き抜けてみろ。俺はどっちにしろこの大火だとたいして役に立てない。地面を這ってるあいだに、こんがりローストスネークにされちまう。二手に分かれれば解決できる確率も二倍。悪くないだろ」
聞いたふたりはウウムと唸って、
「でも……、ぼくはシロサイの心臓のほうがいいけどな……」
「いい加減にしろっ! どっちでも効果は変わらないだろっ!」
シロサイの怒声に、マーゲイはしゅんと耳をへたらせる。
「そんなボロボロで火のなかにとびこむのは危ないよ。ここで死体になってたほうがいいと思うな。海があったおかげで火もすこしは遠いし。炎に殺されると、消滅してしまうみたいだし……」
「だとしてもやらなきゃならない。向こう側にいる仲間たちも危険な状態だろう。この縄張りの植物族も放ってはおけない。たいぶ燃えてしまったみたいだが、まだ生きてるやつがいるかもしれない。行動できるやつは、行動すべきだ。ごたごた言ってる時間はないぞ」
「……仕方ないか。まあ君はそういうやつだよねえ。じゃあそうしよう。ぼくが速攻で火を出してるだれかさんを倒してくる。オオアナコンダは本当にいいんだね」
「いいから提案したんだ。はやくしろ。火は待ってくれないぞ」
「じゃあできるだけ火から遠い野原の真ん中に移動して」
「気にしてる場合かよ。死体になったあとなら燃えてもたぶん大丈夫だろ。もう死んでるんだから」
言いながらも、オオアナコンダはマーゲイの言う通りにする。
「かもしれないけど一応ね。シロサイはちゃんと方向分かってる?」
「まっすぐ走るだけだ。おれが一番得意なことだ」
シロサイはゴールがあったはずの方角へと体を向けて武者震い。
「健闘を祈る。俺の分まで、おおいに戦ってこい」
オオアナコンダが送りだす。言い終わった途端、その命はなくなった。体力が瞬時にゼロ。死体状態となって、地面に横たわる。
「よーい、ドン!」
仲間の心臓を供物にして発動可能なテスカトリポカのスキルによって、マーゲイの体は煙状に変化する。煙ネコが夜風を吹かせて、シロサイが進む道の先から炎を拭い去った。シロサイは追い風に押されるように加速して、撃ちだされた砲弾の如く、一直線に駆けだす。太い四肢が躍動し、通り抜けていくはしから、一度引いた炎が勢いを増して追いすがってこようとしたが、紙一重のところで逃れたシロサイは焼け野原を勇猛果敢にひた走った。
仲間の背中を見届けながら、煙ネコは鋭い夜風を吹かせて、肉体を焼け焦げた夜空へと運んだ。
見下ろす渓谷は燦々と輝きを放っている。夜とは思えないまぶしさ。まんべんなく植物が敷き詰められていたからか、焼けている範囲はほぼ真円。中心はすぐに分かった。
天の黒雲から千切れ落ちるように、煙の体がどろどろと、事態解決へ向けて超特急で空を翔ける。仲間たちを救うため。供物の期待に応えるため。そして、火をもたらした罪をあがなわせるために。