●ぽんぽこ14-62 灰に
「ああまったく! ほんとにログアウトするなんて! ギンドロったら……!」
スミミザクラは呆れと落胆と憤慨がないまぜになった感情を爆発させる。そうして八つ当たり気味に、
「スナバコノキ! 麒麟がきたらあなたがなんとかしてよね」
「そんな……、無理です……」弱り切った声。
「そのトゲトゲの幹でゴールをぐるっとバリケードしてさ、毒の実を破裂させまくっちゃってよ」
「できるだけのことはしますけど。絶対に毒は効きませんってば。相手がおおきすぎますよ」
「まだ試してないでしょ。もしかしたら毒にめちゃくちゃ弱い可能性だってあるじゃない……、そういえばマンチニールは?」
「さあ?」
「なにしてるの! もう! あいつも副長のくせに!」
ヒステリックな叫びにまぎれて、オオオナモミ、チヂミザサ、ヌスビトハギが、「きた」「きた」「きた」と、敵襲を告げる。
「どうすりゃいいのよ……、このまま負けてもわたしのせいじゃないからね……」
本拠地の森の上空で、威容をまとった獣が立ち止まった。
闇に満たされた夜。輝かない輝きという特殊なシステムグラフィックの光柱も、ここまで近づけばそれなりに明るさをふりまいて、周囲に集まる者を照らしだしている。麒麟は植物族たちをぐるりと見まわすと、滑るように蹄を進めて降下してきた。
「ハァイ! どうも!」
やぶれかぶれに話しかけてみる。
「はじめまして? はじめましてね! わたしスミミザクラよ。この群れの副長やってまーす!」
明るく言ってみるが、返事は鋭い眼光のみ。木肌が干上がり、花が枯れ落ちそうな心持ち。それでも懸命に言葉を重ねる。
「ちょーっと待ってくれないかなあ。いま長が用事? で席を外してて……、これ決勝戦でしょ。トーナメントの。それがこんな終わり方じゃ、ね? ちょっと、残念な気分にならない? 最後なんだからさ。せっかくなら派手にしたいじゃない。ギンドロがなにか準備中、みたいだから、お願いよ……」
降下速度は変わらない。ゴール判定は地面の上にある。光柱の根本を麒麟は目指している。
特大の破裂音。スナバコノキが毒の果実を炸裂させた。散弾銃のような勢いで飛散した破片のいくつかが麒麟にぶつかる。けれども、相手は身震いひとつしない。無言で角が前に向けられ、速度がすこしあがった気がする。
「スナバコノキ。もう戦わなくていい。ありがとね」スミミザクラが止める。
「いいよ……、さあどうぞ、ゴールしなさい」
諦観。負けなら負けでいい。最初から、スミミザクラには戦う意欲がなかった。ギンドロが勝ちたがっていたから協力していただけで、本当に勝ち残って、遺跡の地下での敵性NPC討伐に駆り出されたらどうしようかとヒヤヒヤしていた。ここで負けるのはちょうどいい。ライオンなら、敵性NPC騒動もきっちり解決してくれるだろうから。
不意にヒツジの鳴き声が聞こえた。夜を切り裂くような激しさ。植物族たちが、それから麒麟も森に意識を向けた。ヒツジの声は急速に高まって、近づいてくる。
バロメッツのヒツジ。麒麟に反逆することはできないという話だったが、もしかして、戦闘可能になったとでもいうのだろうか。バロメッツはヒツジだが、動物ではなく植物。植物族属性。ありえないことじゃない。
スミミザクラは急に気が変わってククノチのスキルを使う。付近の植物族のスキル使用時に、コストとなる命力の消費を大幅に減少させるサポート効果を持つ。察したシロバナワタがバロメッツのスキルを使って大量の植物ヒツジを生み出した。
けれど、結果は期待外れ。新たに出現したバロメッツのヒツジたちはいずれも麒麟にひれ伏してしまう。
しかし、それとは別にまったく予想外のことが起きた。
麒麟が急に苦しみだして、大地に倒れてしまったのだ。
「どうしたの?」
スミミザクラは驚いて声をかける。ピュシスの疑似感覚からは痛みに類するものが排除されているはずなのに、麒麟の声には堪えきれないほどの激しい苦痛の響きがあった。
密に生い茂る森の樹々の隙間が輝いた。
遠くで聞こえていた狂乱の声が、いつの間にかすぐ近くにある。
「あっ……!」
太陽が昇ったのかと思った。月のない夜なのに、昼間のように明るい。
「えっ? えっ? ……燃えてる? ……火事っ!」
綿毛に火をつけたバロメッツが慟哭と共に森を駆け巡っていた。その一頭が本拠地にとびこんでくる。ついさっき生み出したばかりのバロメッツに次々に燃え移って、大混乱に見舞われたヒツジたちが、さらなる炎の運び手となる。
「燃える!」
「消せないのか!」
「どうしたらいいの!」
泣き叫ぶ植物族たちをまたたく間に呑みこんで、急速に成長した炎が大量の火の粉をまき散らす。熱風にあおられ、運ばれた火が、次なる火災を招いて際限なく広がっていく。炎は夜空を焦がすだけでは飽き足らず、地を這いずりまわる黒煙が草花を舐めまわし、一片の緑すら残さずに平らげてしまう。
「起きあがってよ!」
スミミザクラが麒麟に向かって呼びかける。
「もうゴールしちゃってよ! はやく、はやく……、試合を終わらせて……、そうじゃなきゃ……、みんなが、燃えちゃうよ……!」
しかし、そんな哀願の声もむなしく、麒麟はみるみると衰弱していく。ついには麒麟からキリンの肉体へ。スキルが解けてただの動物の姿となり、グラフィックが千々に崩壊しはじめた。
「これ……、消滅? なんで急に……」
黒煙混じりの風が吹いてくると、灰が散るみたいにして、キリンのグラフィックはあまりにもあっけなく、忽然と消え去る。取り残された仲間たちの悲鳴。
「……は、はは、ははは」
動転して笑いすらもれてくる。
「こんなの喜ぶのはユーカリかジャックパインぐらいだっての……」
炎に苛まれ、身もだえする植物たち。鳴りやまない悲鳴がこだまする。しかし、それも、やがてなくなり、灰が崩れる音に変わった。
黒焦げになった植物族たちは、キリンと同じように、消滅していく。それはピュシスの肉体、アカウントの失効、楽園からの追放を意味する。
最もゴールに近い位置にいたスミミザクラが燃やされるのは最後。孤独と業火に幹が焼かれる。大地に根を張っている肉体は、おそるべき破壊者を無抵抗で受け入れるしかない。
「ログアウトしなきゃ……!」
ただひとつ、解決できそうな方法を思いつく。慌てて操作をするが、ログアウト処理がはじまるまでにはタイムラグがある。祈るようにスミミザクラは炎を見つめる。すでに葉に、枝に、梢に、火の侵略を許してしまっている。
――急いで! 急いで!
まだログアウトはできない。木肌が燃えて、幹には炎が我が物顔で棲みついた。
「こわいよ……」
スミミザクラは燃え尽きながら、ギンドロを呼んだ。
「おねえちゃん……、助けてよ……」
声は炎がはぜる音でかき消され、あとには黒々とした消し炭だけが残された。熱風がひと吹きすると、ひとかたまりの灰はただの塵となり、森の支配者は、植物たちから焔にとって代わられた。