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●ぽんぽこ14-53 赤い海

「オオカワウソ! お前いたのか!?」

 粘性すら感じる夜の海面を突き破るように顔をだして、フェンリルが驚きの声をあげる。

 荒い息で肩を上下させる白銀の大狼の目の前に、泡と共に浮かんできたオオカワウソ。それから頭だけの紀州犬。紀州犬は海水を吐きだして、イヌの生首を空中に浮かべると、激しくせきこみながら毛衣もういに染みついた水をまき散らした。

 たった一羽の海鳥相手にずいぶんな激闘だった。ニシツノメドリはスキルを持ってもいなかったのに、三対一でようやく撃破。海の果てしなさに尻尾がひりつく感覚がする。

「ひとりで進攻してたのか?」

 フェンリルがカワウソの姿を最後に見たのは、第二回戦、イボイノシシの群れクランとの試合が終わった休憩時間。次の試合のために牧草地帯に移動しようというときにはすでにいなかった。この決勝戦前の作戦会議にも参加してはいない。

 質問を受けたカワウソは、するんとした顔の下半分を水に沈めながら、目をしばたたかせて、

「そう……です」

 歯切れが悪い。フェンリルの頭の上に頭を重ねた紀州犬が沈黙を埋めるように、

「秘密で参加してたんだ。ライオンの命令で。そうだろカワウソ?」

「えっと、うん。そう。そうなのさ」

「ライオンの? 胡散臭い作戦はブチハイエナが考えそうだが……、しかし……」

「ブチハイエナだったかもしれない。提案したのは」

「なんでお前は知ってるんだ。紀州犬」

「それは、ほら、ブチハイエナとは参謀さんぼう仲間だからな」

「参謀は引退したとか言ってなかったか?」

「それよりも」紀州犬は夜風に押されたように浮かんで、

「急いでくれ、いまがチャンスだろ」

 鼻先で岸の方向を示して仲間をかす。

「たしかにそうだ。ゆっくり話してる場合じゃないな」

 疑問の解消は後回しにして、フェンリルは近くに浮かんでいた林檎りんごの果実を口にする。体力(HP)を回復しながら、気力をふるい起こす。ひどく遠く感じていた岸が急に近づいた気がする。海鳥にさんざん痛めつけられた後ろ足もなんとか動かせそうだ。気持ちの持ちようひとつですっかり元気になった自分に我ながらあきれてしまう。

「じゃあ頼んだぞ。俺はこれ以上首を体から離せない」

 イヌの頭は去ろうとしたが、すこし飛ぶと、ふり返ってカワウソに目をやる。しばしなにごとか逡巡しゅんじゅんしているようだったが結局なにも言わず、キリンやライオン、林檎りんご植物族ドリュアスが待つ浮島へと戻っていった。

 海の向こうの夜闇に消える紀州犬を見送ることもなく、フェンリルは犬かきを再開。乱暴な波を立てながらカワウソにたずねる。

「俺と一緒にくるか? いつ毒が流しこまれるか分からないが、お前も海を越えるのが目的なんだろう?」

 海を越えて、海を生み出しているリコリスの植物族ドリュアスを撃破する。向かうべき敵本拠地、ゴールも海の向こう側。

「ぼく……私は、下を進みます」

 カワウソはフェンリルと並んで泳ぎながら水面をのぞきこむようにする。フェンリルの不格好な犬かきが起こすおおきな波紋に、水かきを持つカワウソのちいさな波紋が重なると、枯れた森に腰をえた海のどこかへと消えていった。

「水中をってことか。水面を泳ぐよりそのほうが早いのか」

 泳ぎについてはまるでよく知らないフェンリルが、カワウソの泳ぎ方を真似しようとしながら言うと、カワウソはなんだか気おくれしたみたいに手足と長い尻尾をちぢこまらせて、

「海の下に道があるんです。地中に」

 犬かきをしながら海の底を見る。水面に映りこんだ夜空が邪魔で、水をへだてたところにある自分の体すらおぼろ

「海底トンネルってことか。そんな都合のいいものがあるとはな。それも、ヒグマが落ちた穴みたいに、エチゴモグラの群れクランの戦闘の名残なんだろうか……」

 思案気に垂れた耳が、ぱっと立って「俺も通れたりしないか?」

「さすがにそこまでの広さは……」

「だよな。聞いてみただけだ。そのトンネルは岸にまで続いていそうなのか?」

「はい」

 続いている。続かせる。プレーリードッグにけて掘り抜く。きちんと工夫してきたから浸水もしていないはず、とオオカワウソにけているタヌキは考える。

 そうして、フェンリルに見られていることを意識して、それっぽく泳ぐように気を払う。タヌキだってフェンリルと同じく水泳は得意ではない。最近は乾燥したサバンナにいることがほとんどで、水泳操作の練習もろくにしてこなかった。けれども肉体アバターの形状というのは偉大。流線形で水かきがあるというだけで、それなりにはなる。

 キツネが動かしていたオオカワウソの肉体アバターを思い返す。本物のオオカワウソに会ったことはない。キツネがタヌキの化け姿を見てプレーリードッグにけたときと同じく、これは化け姿のまた貸しのようなもの。手本にしたキツネのけ方が良かったからか、はじめての姿だが見事に成功させることができた。


 ヒグマとの戦いの際、ライオン、それにけているキツネは、タヌキに単独で先行するように指示を与えていた。シベリアンハスキーのライラプスのスキルがある限り、クロハゲワシの肉体アバターでいるのは危険。空を飛べば狙い撃ちにされかねない。それならば、プレーリードッグで地下を進むほうが安全。

 ライオンは体を痛めすぎていた。骨折や打撲の状態異常で操作がままならない。このまま合体獣のスキルを使って、グリフォンやアンズーになったとしても、満足に戦闘をすることはできない。合体後の肉体アバターには、合体前の状態が受け継がれる。

 ライオンとクロハゲワシの両方がお荷物になりかねない。なら、片方だけでも、という判断。タヌキとはゴール手前で合流すればいい。そういう手筈てはずになった。

 タヌキはけて地下を進んだ。トンネルを掘り続けた。その速度は、地上で伐採作業をしながら進む仲間たち以上。

 けれども、張り切って土をかき分けていると、突然の雨漏りに見舞われた。垂れ落ちてくる水は塩辛い。聞いていたリコリスの海が地面の上に乗っかっている。天井の補強をして耳をませると、海のなかをなにかが泳ぎまわっている音。激しく水がうねっている。戦闘。

 しばらくすると、溺れそうになっていたフェンリルが海面へ浮上しようとして、ちょうどプレーリードッグが堀ったトンネルの真上を蹴りつけた。フェンリルはまったく気がついていなかったが、踏み抜かれた天井が崩落。塩水が流れこむ。タヌキはてんやわんやになりながら、せっせと土を運んで穴をふさぐ。かき集めた土を穴に押しこむことで、なんとか大事に至らずに済んだ。トンネルも、そこにある空気も守ることができた。

 浸水に用心しながら道を延長。逃げるように離れて、もうすこしで岸というところまでやってきた。しかし、戦闘がどうなったか気になってしょうがない。

 天井が崩れたとき、フェンリルの足が見えた。フェンリルと敵が戦っている。

 トンネルを引き返す。音を頼りに戦闘地点を探りだすと、横穴を掘って下へ。十分に深さを確保してから上へ。ぐるりと縦向きの輪っか状の道にして、また下。そして上へ。幅は広くとる。すでにオオカワウソにけることを考えていた。

 海底を掘りぬく。穴に入りこんでくる海水に押しこまれそうになりながらしばらく耐えると、流れはすぐに止まった。トンネルをたっぷり湾曲させておいたので、奥まで浸食されることはない。

 暗い海底からは、夜の水面がよく見えた。

 苦しそうに泳ぐフェンリルをついばむ海鳥。無慈悲な鳥葬と水葬がいままさにおこなわれている最中なのだと、タヌキの目には映った。

 ――助けないと。

 そう考えた。敵はフェンリルを攻撃するのに夢中。海底からとびだせば、不意をつけるかもしれない。

 進んで戦いに参加しようだなんて、いままでの自分からしたら不思議だったが、おかしいとは思わなかった。

 フェンリルが海にとびこみ、海鳥との決着をつけようとしている。紀州犬の頭もどこからか飛んできて参戦。オオカワウソにけたタヌキも動きだす。

 結果は上々。だれが犠牲になることもなく、敵のニシツノメドリを仕留めた。精神がかなり疲弊ひへいしていたが、悪くない気分だった。唯一不安だったのがタヌキのあごの力。けれど、相手はさほどおおきくもない鳥。その翼を押さえるぐらいならこと足りた。


「じゃあカワウソは早くその海底トンネルに戻れ。もしマンチニールの毒がそそがれたとしても、毒素が底に沈むまではかなり猶予ゆうよがあるだろうしな」

「ええ。そうします」

 タヌキはオオカワウソらしい喋り方を考えながらゆっくりと返すと、ぬらりと長い尻尾をひるがえした。そうして海中へと潜ろうとしたのだが、

「えっ!?」

 驚きのあまり水面をたたいてしまう。その水面というのが、真っ赤に染まっているではないか。血のような赤い海。赤い波紋が広がって、脈動のように打って消えた。

「なんだこれは」フェンリルも驚く。「毒? ……じゃないな」確認してみたが、状態異常が付与されたりはしていない。

 毛衣もういが水を吸って、赤がいのぼってくる。赤い海から立ち昇る香りはかぐわしい。甘く、ほんのり酸味がある。舌を伸ばして試しにひとめ。果実の風味。くらりとするのはアルコールの作用。

「もしかしてワインというやつか。酒だな。しかし、なぜ急に?」

 異変にふたりが泳ぐのをやめて身を寄せ合っていると、

「自称王はいないのかね」

 鷹揚おうような声。街の一区画分ぐらいをへだてた距離に見える岸から、泳いでくる小型犬の姿。ちぢれた長毛は虹色。頬まで垂れた大きな耳を赤い海に浮かべている。鼻づらは短く、幅が広くて愛嬌のある顔つき。

「変な色だが、お前はスパニエルか」

 かつての群れクランの仲間にフェンリルが顔をしかめる。スパニエルは舌を垂らしてワインを軽く口に含むと、はあ、と息をついて、

「相も変わらず粗野そやな獣だ。ワタクシのことはきちんとキャバリア・”キング!”・チャーーールズ・スパニエルッ、と呼んでもらはなければな」

「面倒臭いんだよ」

「その怠慢さが王の器にふさわしくない証左しょうさ。名は重要だ。省略は冒涜ぼうとくにあたる。どうしてもというのならファリニシュと呼んでくれたまえ。それならば許そう」

「ファリニシュ? ってことは……」耳をとがらせる。カワウソは事態の推移すいいを見守りながら、フェンリルのすぐ隣に浮かんでいる。

「それで、自称王はどこかね?」

「ライオンのことだったら、あいつは王を自称したことなど一度もないぞ。他称だあれは。ここにはいない」

「ふうむ」鼻息で水面をゆらして「まあよい。それではまずはお主を倒して、イヌの王の座を譲り受けるとするか」

 スパニエルが尻尾を持ちあげる。ピンと立てて、背中にかぶせるようにして曲げた。指をさすような動作。尾の先端が、フェンリル、それからオオカワウソのあいだでゆれて、ややあって、カワウソのほうへと定められた。それを見た瞬間、フェンリルは咄嗟とっさに仲間の体をくわえて水中へ。

 直後、赤い海に潜ったふたりの頭上で揺蕩たゆたう水面が、真っ二つに切り裂かれた。

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