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●ぽんぽこ14-51 魚よりも鋭く

 海に沈んだ夜の森。塩水によって枯れた植物がどっぷりとただよい、海中へとみこまれていく。

 敵本拠地がある遠い対岸の森を前にして、浮島に取り残されたキリン、紀州犬、林檎りんご植物族ドリュアス。ライオンはキリンの背中に乗せられて、潮風が傷にしみるとでもいうように身をちぢめている。

 ハイイロオオカミの姿はない。

 ひとり、海へ。

 これは想定されていた事態。リコリスの植物族ドリュアスがリュコリアスのスキルによって海のフィールドを作り出して、そこに毒樹マンチニールの猛毒エキスを流しこむ。敵を近づけさせない毒の海。その戦法については事前にライオンがアナグマから聞いていた。

 犬かきで海を泳ぐ白銀の大狼。ハイイロオオカミがフェンリルのスキルを使った姿。フェンリルの肉体アバターなら毒に耐性がある。完全耐性ではないが、ほとんど無視できる程度には毒の影響を軽減できる。

 単独で毒の海を越えて敵をたたく作戦。フェンリルにとっては、リコリスは海水を出すだけ、マンチニールはただの樹に過ぎない。接近さえできれば、草花のリコリスなど、ひと裂きで撃破できる。そうして海を排除すれば、仲間たちが安心して進攻できる。

 その予定、だったのだが、どうにもおかしい。

 この海には毒がない。ただの海だ。

 しばらく泳いでも相変わらず。マンチニールの毒の果実が海面に浮かんでいるということもない。

 軽く吠えて紀州犬に知らせる。やや拍子抜け。とはいえ油断は禁物。ひきつけてから毒を注ぐつもりかもしれない。一応、フェンリル以外はまだ海に入らないようにしなければならない。こういうときに鳥類がいれば偵察ができたのだが、クロハゲワシは行方不明のまま。紀州犬はスキルを使って頭だけなら空を飛べるが、胴体と頭が離れられる距離に制限がある。浮島から岸までとなると射程範囲外。途中が限界だ。足場にできるような樹々はことごとく塩水で枯れてしまっているので、樹上を伝うこともできない。

 ひとりでやり遂げなければならない。フェンリルは仲間たちの命運を背負って、白銀の毛衣もういを濡らしながら水をかき分ける。

 地形のくぼみにたまった塩水は海というには浅い。キリンの脚の長さぐらいだ。海というより、塩湖えんこと呼ぶべきかもしれないが、海を知らないフェンリルにとってはどちらでも大差ない。水が流れこんでいることを示すゆらぎがおさまってきた。しんとした海面に浮かぶ森の残骸と星明かり。海に映る月はまだ高い。崖に隠れる手前の位置。試合終了まではそれなりに時間がある。

 泳ぐうちに、フェンリルはなんだか贅沢な気分になってきた。海水浴というのはこういうものなのだろうか。森の天井が崩壊しているいま、広い夜空と、海を独り占めにしている。

 機械惑星ノモスには海も、湖も、池すらない。水は他惑星からの採掘資源を精製しなければ入手できない。飲料水以外に、酸素を作るためにも必要であるし、浄水施設がフル稼働しながら、とにかく大事に扱われている。

 だからこそ、ピュシスではオアシスがとりわけ人気スポットだったりする。ピュシス最大の水のたまり場。もしも、海があったら、オアシス以上に人気をはくしていただろう。

 海というのは不思議だ、とフェンリルは思う。地球の約七割が海だったらしい。ピュシスは地球を再現した仮想世界だが、海はない。七割もの要素を捨ててしまうのは、いかがなのだろうか。むしろ、海だけの仮想世界のほうが、よほど地球だと言えそうだ。

 海が舞台であれば、きっと肉体アバターは魚。一度魚になってみたい。海を自由自在に泳ぐのはさぞかしいい気分だろう。鳥の肉体アバターも楽しそうではあるが、魚のほうがよほど広大な世界で生きている。なにせ地球の海水の量は大気の量の二百八十倍ほどだったという話。平面である大地に比べれば空はもちろん広いが、鳥が飛行できる高度は地表から大気圏までの距離の百分の一ぐらいが精いっぱい。空全体で見れば薄っぺらい領域でしかない。

 もちろん、魚だって水圧の関係で海のどこにでもいけるわけではないだろう。深海にまでいけるのはひと握り。深海は宇宙よりも遠い、特別な魚だけの王国。もしもなるならマッコウクジラの肉体アバターがいい。深く、深くまで潜れるから。いや、クジラは魚ではないか。偶蹄目だ。哺乳類。

 そういうゲームがあっても面白そうだ、と想像を巡らせていると、不意に、影が横切った。

 思わず頭上に目を向ける。だが、夜空にはよどんだ雲が広がっているのみ。続いて足にダメージ。かすり傷。フェンリルはすぐさま水に顔をつける。素早い影がうねるように動いて、水中の暗がりに溶けていった。

 なにかが海のなかにいる。素早い。小型犬の疾走ぐらいの速度。影のおおきさも小型犬ぐらいだった。考えるまでもなく敵。しかし、何者だろうか。フェンリルは水中をこんな速さで動けるプレイヤーに心当たりはない。水辺で暮らす肉体アバターを持っているものといえば、すぐに思いついたのはイリエワニ、カバ、オオアナコンダ。のっそりとしたワニやカバの速度ではない。ヘビもウミヘビ類であれば、人間の泳ぎの半分ぐらいの速度までは出るだろうが、いずれにせよ、影とは体格が違いすぎる。

 吠え声で浮島にいる仲間に接敵を知らせる。

 ――まさか、魚か?

 だとしてもおかしくはない動きだった。影がまた近づいてくる。水中で舵をとって、機敏な方向転換。ピュシスに魚のプレイヤーがいるなど聞いたことがないが、魚にしか思えない。しかしそうだとすれば、胸ビレがややおおきすぎる気がする。

 すみを垂らしたような夜の海。フェンリルは己の顔を映しながら、水のなかに意識を集中させる。そして、めいいっぱい息を吸いこむと、頭から海にとびこんだ。

 潜水をするのははじめて。鼻がツンとする。水のなかでは耳も鼻も役立たず。目をらす。ぬめった闇の奥から、つやめいた影。あぶくをまとった魚のようななにか。口がとがっている。幅が狭く、縦に分厚い。赤、黄色、灰色。縦線で区切られて、複数の色に染まっている派手な口……、くちばしのようだ。

 ――鳥?

 くちばしだけで鳥と決めつけるのは早計だろうか。魚にもくちばし、正しくは、くちばしそっくりに変形した歯を持つものがいる。ブダイやイシダイ。けれど、この相手は、やっぱり鳥だ。翼が見えた。海鳥。瞳が三角形。変な顔。魚のごとたくみな泳ぎ。

 息が足りなくなったので、海面に浮上する。荒々しく水しぶきをあげながら冷えた空気を肺に取りこむ。海鳥はフェンリルの足元をかすめて毛衣もういの切れ端を奪っていった。ちいさなダメージ。魚を捕らえるためのくちばし。鋭く、ふちが細かいギザギザになっている。

 攻撃を加えた後、海鳥は空中へ飛びだした。魚ではないなら息継ぎが必要。姿をあらわしたのは黒と白のペンギンに似た色合いの羽衣うい。黄色い足には水かきがついている。

 ニシツノメドリという海鳥。パフィンとも呼ばれる。ウミスズメ科。ただし、チドリ目であり、スズメ目スズメ科のスズメとは遠縁。サイズは人の手よりひとまわりおおきなぐらいで、翼を広げるとその倍ほどになる。名前にあるツノメとは、角の目ということ。白い顔の目の周りにだけ黒い三角形の模様があり、まるで目から角が生えているように見える。ピエロのメイク風でもあり、どこかひょうきんさも感じさせる顔。

 しばし夜風で翼を洗ったニシツノメドリが再び水中へ。卓越たくえつした泳ぎの技を見せつける。翼で水をかくことでなめらかな方向転換。くちばしから分泌する油を塗っているので、全身くまなく水をはじく。さらに、ニシツノメドリというのは高層ビルの高さと同等の深さにまで潜水することも可能という、海に特化した海の鳥。

 水中から襲ってくる鳥という異様な相手にフェンリルはまごつく。爪でたたき伏せようとするが、からぶりした前足が波を立てるばかりで、まったく攻撃が当たる気がしない。

 慣れないフィールドでの戦闘に肉体アバター操作が追いついていない大狼を、海鳥は魚よりも鋭くついばんでくる。能力ステータスでも体格でもフェンリルがはるかに優位であるはずなのに、スキルも使っていない鳥一羽が仕留められない。攻撃力はそれほどでもないが、着実に、すこしずつ、体力(HP)が削られていく。

 フェンリルは水中を見るのをやめて、岸に鼻先を向けた。海鳥は無視することにする。ここで戦うべきではない。全力で岸を目指す。仲間たちがいる浮島へは戻らない。リコリスを倒す。相手はどうやら海を生成した後、毒が効く相手ならマンチニールを、そうでないならニシツノメドリを使うという戦略をとっているらしい。

 どちらにせよ海が肝。海をなんとかしなければ。それから鳥の相手をする。空を飛ぶ鳥は、海を泳ぐ鳥よりはずっと戦いやすい。

 懸命けんめいな犬かき。尻尾をふってすこしでも推進力を得ようとするが、付け焼刃の泳法はむしろ進みを遅くする。

 海鳥は水中で渦を巻くような動き。執拗しつようにフェンリルの後ろ足を狙ってくる。攻撃のタイミングに合わせて蹴りつけられないか試すが、そんなことをするのはスタミナの無駄遣い。

 次第に勢いが衰えてきたフェンリルがうめき声をあげた。

 ――足がった!

 たび重なる攻撃で、足の一本にだけダメージが蓄積している。海鳥はこれを狙って集中攻撃をしていたらしい。

 ――やばい……! おぼれる……!

 息ができない状態が長時間続くと体力(HP)が急速に減少する。ゲーム内でも現実と同じで、溺れたり、窒息の先に待っているのは死。

 鼻を真上に突きだす。だが、体勢を変えたことで、むしろ沈んでいってしまう。前足だけで泳ごうとするが、尻尾にみついた海鳥が水のなかへと大狼を誘う。

 フェンリルの必死の抵抗もむなしく、鼻の先、ヒゲの一本までが海に呑まれて、水中へと引きずりこまれた。

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