●ぽんぽこ14-49 運ばれるライオン
見上げても足りないぐらいの高い崖に挟まれた森林。渓谷の縄張りを横断して流れている渓流。その下流方面の森のなかを進攻しているライオンたち。深い森の、さらに深い場所へ。夜を徹して蹄と爪、そして根っこを前へ。
待ち伏せている敵植物族を慎重にかわしながら移動。キリンの長い首と、犬神のスキルを使い、空中偵察ができる紀州犬の活躍で、ヒグマを倒してからここまで、戦闘を避けることができている。植物族たちはこちらから接近さえしなければ、向こうから仕掛けてくることはできない。山魈のスキルのように、一部動けるプレイヤーもいるが、あれは例外。一般的な植物族の在り方とはおおきく異なる。
このまま最後まで、と、いきたいところではあるが、それは無理だということは全員が理解していた。中心地に近づくにつれて植物の密度が濃くなっていく。そろそろゴールを意識しなければならない。目指すべき場所。敵が集結し、全力で防衛にあたっているはず。そうなると、戦わざるをえない。
一同の先頭を歩いて、植物オブジェクトを伐採しているのはキリン。軽々と植物の耐久値を削り取って、森に新品の道を敷いていく。
茶色に黄色の網目模様の背中には、いつの間にかライオンが乗せられている。
「重くないか? 無理はするなよ」
気づかいの言葉をかけたのはハイイロオオカミ。キリンはライオンの十倍近い体重を持つ巨体とはいえ、細い脚でネコ科最大級の肉体を支えるのはいかにも骨が折れそうに見える。加えて、ライオンは骨折や打撲といった状態異常によってかなり不調。重心を保つのもおっくうな様子。そんなライオンを落っことさないように注意しながら、伐採作業もしなければならない。明らかに許容できる仕事量を超えているように思える。
ハイイロオオカミの心配をよそに、キリンは平然と首を右に、左に、ネッキング攻撃を放って、
「大丈夫。ここが踏ん張りどころなんだから。体に鞭打ってでもやるよ」
「すまないな」心持ち弱気に見えるライオン。
「気にしなさんな」
キリンはふり返りもせずに前だけを見据える。気にしないでもいいというのは本当のこと。いまのパーティで、キリンや紀州犬にとっては既知の事実だが、このライオンはキツネが化けた姿。体重は本物のライオンの十分の一どころか、二十分の一以下しかない。キリンにとっては荷物のうちにも入らない。
そうとも知らずに、ハイイロオオカミは白灰色の毛衣をそびやかして「交代して欲しかったらいつでも言ってくれ。フェンリルの肉体を使えば、俺にだってライオンをおんぶすることぐらいできる」
するとすぐさま高いところから「ごめんだな。乗り心地が悪そうだ」
「減らず口をたたけるぐらいには元気のようだな」
あきれた瞳がライオンを見上げる。それから、視線は夜空へ向いて、ヒグマと戦ったときにはぐれて、生存しているのかも分からないクロハゲワシを探す。星がまばら。闇が濃い。濃褐色の翼はない。月よりも薄く目が細められてから、後方にいる林檎の植物族へ。
「林檎ちゃんはどうだ。休憩したかったら言えよ」
果実を転がして、スキップぐらいの幅で樹列を伸ばしていた林檎は枝を張りながら、梢をゆらして、
「ううん。ありがとう。うれしいけれど、そんなに何回も確認してくれなくてもいいのよ」
「そうか?」
「ええ」
オオカミのとがった鼻先がぷいと前を向く。前方ではキリンの足元で、伐採を手伝っている紀州犬。藪に頭を突っこんで、尻だけが見えている。尻尾の動きで奮闘ぶりがよく分かる。せわしなくふられる尻尾を見ていると、妙なおかしさがこみあげてきて、ハイイロオオカミは敵本拠地に近づくにつれて高まっていた緊張をちょっぴりゆるめることにした。
まだわずかに後方を気にする。黄金の果実が盗まれたとき、林檎にすこしばかり強く言い過ぎたのをハイイロオオカミは反省していた。林檎が落ちこんでいるのではないかとつい言葉をかけていたが、ちょっと構いすぎてしまっていたようだ。
「やっと下からもゴールが見えるようになったな」
紀州犬が声をあげる。ゴールの光柱については、かなり前からキリンによる報告があったが、背丈が違いすぎる他のものには目視での確認は不可能だった。
「そろそろか……」ライオンがキリンの背中で鷹揚に言う。
ハイイロオオカミが、明らかに言葉少なになっている林檎にまた心配を募らせていると、
「……マンチニールはどこなんだろう」
ぽつり、と林檎がこぼしたのを、紀州犬が耳ざとく聞きつけて、
「そういえばいないな、マンチニール。副長だから、ゴール近くにいるんじゃないのか。それとも、今回は参加してないって可能性もなくはないか」
「参加はしているはずだ」と、ハイイロオオカミ。「試合の最初のほうで川を流れてくるマンチニールの果実を確認してる」
「そういえば、増水した川にフラミンゴが呑まれて、溺れかけたんだっけか。リコリスのスキルとマンチニールの毒の合わせ技。フラミンゴに聞いたのを忘れてた」
「忘れるなよ」耳をとがらせて「それでも俺の参謀か?」
「そっちは引退済みなんだよ元長。こちとらいまは自由の身」
と、言いながら、低木に齧りついて引っ張る。はたから見れば玩具と格闘するイヌそのものの姿。
「せいぜい自由を謳歌してくれ」ふうん、と鼻を鳴らして、ハイイロオオカミは肩越しにふり返る。
「林檎ちゃん。マンチニールに会えるといいな」
「……うん」
「会いたいのかい?」キリンがぐるりと首をまわす。「どうしてまた。私はできれば会いたくないけどね。毒性植物だけは苦手だ」
「それは……、喧嘩してるから、仲直りしたくて」
「喧嘩? っていうと」長い首がちらと夜空に浮かぶ細い月を見上げて「あれか」
キリンが思い出したのは、このトーナメント開催を決めたピュシス会議のこと。中立地帯のオアシスに十五の、遅れてきたナマケモノを合わせるなら十六の群れの長や副長が集って、敵性NPCの大量発生問題について話し合った。
ほとんどの群れが敵性NPCの襲撃によって仲間を消滅で失った直後で、ずいぶんピリピリした雰囲気だったと記憶している。キングコブラだったか、トラだったかが、遺跡ダンジョンの最深部に敵性NPCの発生源があって、そこを破壊、停止させればいいと話し、精鋭だけで向かったほうがいいということになった。それから、戦うのにはスキルがたっぷり使えるように命力が必要だろうと。
最深部に向かう群れの選別と、群れ戦の勝利報酬で命力を稼ぐのを兼ねた一挙両得のトーナメントがこれ。
さらには、優勝報酬として、最深部のさらに奥にあるというゲームクリアという餌がぶら下げてある。クリアをしなければピュシスが消えるだとか、どんな願いでも叶うだとか、怪しげな噂がまことしやかに語られているが、真偽はいってみなければ分からない。けれども、どうやら信じているプレイヤーが多数を占めているらしい。
キリンは会議に参加していたわけではないが、オアシスにはいた。目的はにぎやかし。単純にどんなものかと気になった。そのときはまだ林檎はライオンの群れに所属しておらず、ソロプレイヤー。オアシスの湖畔で出会ってお話をしていた。
そのうちワタリガラスやヤブノウサギ、たくさんのプレイヤーが周囲に集まってきて、わいわいとした雰囲気に。
そこへ、マンチニールの植物族がやってきた。
キリンが感じたのは、斜に構えた子だな、ということ。ずけずけとものを言うけれど、闊達には思えず、どこか沈んでいる。
どんな会話の流れだったかはあやふやだが、マンチニールが林檎の歌を嫌いだと言っていたのは覚えている。意見表明にしては一方的で、やや子供っぽくあった。喧嘩というより突っかかられただけというのがキリンの印象。
「林檎ちゃんはオアシスでのあれをそんなにずっと気にしてたのかい?」
「オアシス?」林檎は記憶を探るみたいな声。ややあって「ああ」放り投げるみたいに言って「あれは……、関係ないかな。彼とはずっと、ずっと昔から、喧嘩しっぱなしだから……」
紀州犬は耳だけを傾けながら、彼、という言葉が引っかっていた。マンチニールは男だっただろうか。いや、植物だから男とか雄ではなく雄株というほうが正しいか。獣だと肉体を見ればおおむねどちらか分かる。ライオンなんて雄まるだしだ。立派なたてがみ。だれが見ても雄。
けれど、植物というのは雌雄が分かりにくい。そもそも雌雄同株なんていうのもあるからややこしい。紀州犬の記憶がたしかなら、林檎という植物は雌雄同株。性別がない。マンチニールは、と考えるが、覚えていない。というより知らない。
声はどうだったか。オアシスでちらりと耳にした気はするが、高かったような、低かったような。けれども、ピュシスでの声など、装備品のスピーカーで好きに設定できるから、雄だの雌だの、男だの女だのとはまるで関係がない。
ただ、大抵のプレイヤーは現実の自分の声にある程度似せて、そこから、ちょっぴりいい感じに聞こえるように調整している。紀州犬もそうだ。
プレイヤーの話だったら、態度の端々からどちらかが透けて見えることもある。林檎ちゃんは十中八九女性だろうな、と紀州犬は思っている。ハイイロオオカミやライオンは男。キリンはよく分からないが、たぶん女性?
紀州犬の隣で、キリンがほんのすこし止まっていた伐採作業を再開させながら、林檎に尋ねる。
「マンチニールとはオアシスではじめて会ったんじゃなかったの?」
「えーっと……」言いよどんで「……まあいいか。……オオカミちゃんにはお話してしまったし」キリンに向けて枝を伸ばす。「マンチニールちゃんとは元々知り合いなの。現実で」
「かもしれないって話じゃなかったのか?」と、ハイイロオオカミ。
「あのときはどうだろうって思っていたけれど、でも絶対そう」
「いつ聞いたんだ?」紀州犬。
「牧草地帯で、ホルスタインの群れとの試合中だな」
「へえ」
「あたしたちは双子なんだけど……」
「ちょ、ちょっと待てよ!」紀州犬が遮るようにして割りこむ。「あんまりそういうこと話さないほうがいいんじゃないのか。なんていうか。……特定されるぞ」
「双子なんて機械惑星にはいっぱいいるよ」
「俺の知り合いには一組しかいない。それに、林檎ちゃんはおかしな……、失礼かもしれないけど変わったファンがいたりするから用心したほうがいいと思う」
「たしかにな」ハイイロオオカミが頷いて「ビスカッチャに知られたりなんかした日には、たぶん家まで拝みにいくぞ」
「でも、ここにいるみんなは言いふらしたりしないでしょう?」
動物たちが顔を見合わせる。ライオンはキリンの背中でゆられながら、眠ったように黙りこんでいる。ハイイロオオカミと紀州犬が同時に「ああ」と答えて、お互い舌をひっこめた。
「……すこし、みんなに、相談してもいいかな?」
「林檎ちゃんがいいなら、どうぞ」紀州犬が伐採作業をしながら、尻尾に複雑な心境を乗せる。
しばしの静寂のあと、勢いこんで、けれどつっかえながら、林檎が語りだした。
「現実で、林檎ちゃんの……、あたしの話を聞いてくれていた、すごく、本当に、仲が良かった友達がいたんだけれど。……親友っていうのかな。でも、その子が行方不明になっちゃって、……いろんなものが、心のなかにためこまれている感じがして。……これまで見て見ぬふりをしていたものが、はっきりと突きつけられた気がしたの。……どうしようもないぐらい、その子に頼りっきりだったんだ。現実のあたしは、その子以外にはなんにも喋れやしないから……」
ふるえはじめた声に、ハイイロオオカミが「ゆっくりでいいぞ」と、落ち着かせる。
「うん」息を呑むような間。そして、絞りだすように「あたしの話を聞いてね?」