●ぽんぽこ14-41 ヘビの鎧
闇に蠢くジェヴォーダンの獣。身に纏うのは大蛇のとぐろ。こんな奇矯とも言える格好をしているのはマンドラゴラの叫び声から耳を守るためだけではない。包帯のように巻きつくオオアナコンダの体が、これまでの戦闘で負傷しているブチハイエナの脚を支えるギプスの役割をも果たしている。
巨大な闇色の獣の図体が、ヘビの鎧で更に膨らむ。頭だけでなく胴体、四肢までカバーしている完全防備。それが、激しく動いてもほどけないように、ぎゅっ、と結んで固定されている。オオアナコンダはライオン一頭分と同等の重量があるが、闇色の獣の力強い四肢はそれをものともしていない。擦れあう鱗の隙間から覗く鋭い眼差し。殺戮に適した牙と爪。はみ出た獣の尻尾には房があり、先にまでたてがみが生えている。
より禍々しさを増した姿。合成獣のスキルとは違うが、これも一種の合体形態。
マンドラゴラが叫び声をあげるも闇色の獣は聞く耳持たず。鎧となって耳を押さえているヘビだけが麻痺。マンドラゴラは叫ぶはしから俊敏な獣にほじくり返されて、無抵抗な肉体を引き裂かれてしまった。
植物の怪物山魈が、獣からヘビの衣を引き剥がそうと枝爪を向ける。だが闇色の獣は鎧の端っこから垂れさがった大蛇の尻尾をふりまわして、投げ縄のようにからめてくると、一本足の山魈を引き倒し、さらにはオオアナコンダの重量ぶん重たくなった爪による一撃を加えてきた。
損傷軽微。ネコに爪とぎされたぐらいのダメージ。ジェヴォーダンの獣も、オオアナコンダも、いずれも肉食属性。その攻撃は草花の植物族ならいざ知らず、樹木の植物族の芯材にまでは響かない。
だが、山魈の攻撃も相手にダメージを与えられない。こぶしも爪も蹴りつけも、ことごとく避けられてしまう。動けるようになった植物よりも、元々動ける動物のほうが遥かに優れた体捌き。
戦うふたりの元へ、香りが漂ってきた。酔いへ誘うマヤウェルの酒。鱗の隙間から見える瞳がゆれたかと思うと、一気に獣は駆けだした。
ヘビの鎧の尻尾がはねて地面を何度も打ち据える。シロサイとは異なり、闇色の獣の目は闇を見通せる。闇から生まれた恐怖の象徴。夜こそが主戦場。昼間よりもよほど体に馴染む夜風を味方にして、藪を突き抜け疾走する。
スキルを使っているリュウゼツランの植物族に電光石火の体当たり。天高く伸びる花茎は、嵐にのまれた難破船のマストのようにへし折れて、黄色い花々が千々に舞い散る。
周囲に生える別のリュウゼツランが開花の兆し。植物族のプレイヤーが操作を切り替え、再度マヤウェルのスキルを発動させようとしている。過敏に察知した闇色の獣は、酔いがまわる前に速攻で花茎を排除。一本のリュウゼツランが花を咲かせる機会は一度だけ。折られた花茎をまた生やすなどということはできない。
獣の暴虐を止めようと山魈が跳躍。しかし、宙に浮いた一本足が再び地を踏むことはなかった。胸の真ん中を刺し貫いたのはシロサイの角。リュウゼツランの行動が抑止されているせいで、すっかり復活を果たしている。
散った無数の花弁と花粉があたりにたちこめる。まるで黄色い爆発が起きたかのような光景。もやを切り裂いたシロサイの角は、たったひと突きで山魈の体力をえぐり取った。
すぐに別のカホクザンショウの肉体に操作を切り替えて山魈のスキルを使う。戦線に復帰したところにシロサイが立ちはだかる。どうやら相手は、闇色の獣がリュウゼツラン、シロサイが山魈の相手をするという役割分担に決めたようだ。いずれも耳を塞いでいるので、マンドラゴラが身動きできなくなっている。さらには、クルミの植物族がアレロパシーで体力を削ってくるので、ぐずぐず戦ってはいられない。
押されはじめているのを山魈は感じる。もう一手、必要だ。だが長なら、ギンドロなら、そのぐらいのことは先回りして考えているだろう。ずっとひとりでこの群れを支えてきた植物族の女王は伊達ではない。本拠地から一歩も動かずとも、縄張り全体のことを、そこでなにが起きて、これからなにが起きるかを、知り尽くしているのだ。
また一本、リュウゼツランの花茎が無残に手折られようとしていた。そのとき、重たいヘビの鎧ごと突進していく闇色の獣は、目がくらむような流星を見た。翡翠と紅玉が踊っているような煌めき。
「ああ。きてくれたのね」
リュウゼツランの植物族が感嘆の言葉を発した。はずむような響き。
「もちろんだとも」
流星が答える。
たなびく尾羽が長く長く泳いで、夜にたおやかな線を引く。美しい鳥。翡翠色の翼を持つケツァール。紅の胸の羽衣が太陽のように闇に浮かんで、突風と共に押し寄せてきた。
ジェヴォーダンの獣は向かってくる鳥の頭に齧りつこうと牙を剥く。しかし、その自信溢れる瞳の奥から企みを感じ取って回避に転じた。風そのものになって高速で飛来してきたケツァールのちいさなくちばしが、ヘビの鎧をかすめて小突く。
硬い金属音。闇色の獣の足が地面に沈む。オオアナコンダは攻撃を受ける瞬間、銅の体を持つ蛇神ユルルングルのスキルを発動させ、肉体を変質させていた。重みを増してのしかかってくる金属の体に、さすがのジェヴォーダンの獣も足が止まってしまう。
「体がへこんだぞ」
驚きの響きをこめてユルルングルが言う。鳥に小突かれただけにしてはダメージがおおきすぎる。銅の鱗の数枚が完全に粉砕されてしまっている。
金属ヘビはマンドラゴラがおとなしいのをいいことに、頭を持ちあげ、雷の声を発射。空へ飛びあがる鳥の背中に向かって電撃が迸る。地から天へと走った閃光が夜空に吸いこまれ、遅れて雷鳴が森に轟いた。
鳥はいまだ健在。ユルルングルが放った雷は鳥の尾羽をすこりばかり焦がしただけで、直撃はしなかった。第二射。第三射。当たらない。遠距離狙撃の命中精度に難あり。
声も届かないぐらいの上空にケツァールが遠のいた途端に、マンドラゴラが叫び声をあげた。ユルルングルが麻痺させられる。ぐったりしながらスキルを解除。金属の重みがなくなり、闇色の獣が、叫んだマンドラゴラを即座に踏みつぶす。
間隙をぬってリュウゼツランが花を咲かせていた。マヤウェルの酔いの支配が強まる。シロサイが酩酊。そこへ、ケツァールが飛来。とがった小石のような黄色いくちばし。角がふりあげられるが、山魈に掴みかかられて、鳥を貫くことはできなかった。
角の先にコツンと、くちばしが当たった。
まるで大岩にぶつかる小石。勝負は明白、かと思われたが、勝ったのは意外にもくちばし。ちいさなくちばしに秘められた怪力に折られた長大な角が、音を立てて足元に転がる。
シロサイは唖然。折られたのは大小の二本角のうち、鼻先にある大角。それが、鳥のくちばし如きに折られたショックを隠し切れない。額に残ったもう一本の角で鳥を仕留めようとしたが、風と共にひらりと空に逃げられてしまう。
角のない鼻先を山魈にぶつけるが、角がなければ攻撃力は半減以下。敵は隙を見て頭に乗っているリカオンに一本腕を向けてきた。小角で退けて、体全体でぶちかます。重量を使って強引に山魈を撃破。
鼻先が軽い。強い喪失感。空からケツァールがもう一本の角をも狙っている。角がないサイなど、裸より恥ずかしい姿。分厚い皮膚を剥がされるほうがまだマシに思えてくる。
無意識のあとずさり。
風に乗ったケツァールの長く美しい尾羽が、夜空を煌びやかに彩る。
シロサイはしばし忘我し、残された角を守るように首をすくませた。
リカオンはシロサイの防具という役割に従事し、マンドラゴラの叫び声で幾度となく肉体を麻痺させられながらも、頭だけは鮮明に、絶え間なく働かせていた。
信じられない怪力ぶりをケツァールが発揮したのは、当然ながらスキルの効果。それがなんのスキルかは簡単に予想できる。ケツァール鳥と深い関係を持つ神。風の神ケツァルコアトル。この神は非常に怪力であるとされる。風と怪力。攻撃特化の効果。風を操り飛翔力も増している。
だが、それが分かったところでどう対処するか。シロサイの耳を塞いでしまっているので、情報を伝えることもできない。
戦況は混迷。煩雑だ。
空にはケツァール。森にはマンドラゴラ、リュウゼツラン、カホクザンショウの植物族。
こちらはシロサイとリカオンのペア。ブチハイエナとオオアナコンダのペア。そして、クルミの植物族。
マンドラゴラがいるせいでペアでの行動を余儀なくされている。これでは常に戦力が半減しているのと同じ。敵が増えはじめて対処が追いつかない。
クルミの植物族は、耳がないから叫び声の影響を受けず、鼻がないから酒の香りに酔っぱらうこともない。だが、アレロパシーによる干渉だけでは、加熱しはじめた現状の戦闘スピードに追いつけず、なにより、空の鳥に対して無力。
鳥を始末しなければならない。いま、あれが一番厄介な敵。シロサイに引導を渡すために遣わされた鳥。思い通りにさせるわけにはいかない。
最終局面を見据えるなら、シロサイには生き残ってもらわなければ。角が一本折られたが、まだ一本が残っている。まだシロサイは戦える。
どうすればいいか。自分にできることはないか。考える。考えるがリカオンは答えを見つけることができない。ただただ無力を突きつけられる。この場で唯一スキルを持たず、他と比べてそこまで強力とも言えない肉体の自分にできることはなにもない。こうしてじっとして、耳栓代わりになるぐらいが関の山。
もどかしい。
なにか。
なにか。
夜空から、風が吹いてきた。冷たい夜風に運ばれてきた無邪気な声を、リカオンの丸耳が受け取った。
「だれか、ぼくに心臓をちょうだいよ」
「……俺のを使え」
答えた瞬間、リカオンは死亡した。