●ぽんぽこ13-40 耳も鼻も目も
スキルで付与する麻痺の効果を途切れさせないようにマンドラゴラが連続して叫び声をあげる。マンドラゴラのスキルが発動できるのは特定タイミングのみ。地中にある人型植物の頭が地上に出た瞬間だけ。もう一度叫ぶには地中に戻るか、新しい肉体を芽吹かせる必要がある。前者には大変な手間がかかるので、マンドラゴラはいくつもの残機をあたりに用意しておいて、叫び終わると次の肉体に操作を切り替えては頭を出すという操作をしていた。
麻痺の叫び声を浴びたシロサイに山魈がとびかかる。枝を丸めて固めたこぶしがふりあげられる。
しかし、麻痺しているはずのシロサイが身を起こし、角の先を山魈の頭に向けたではないか。反射的にのけぞる。瓜の顔に縦の亀裂。
麻痺していないのか、と驚きながらも敵の状態を冷静にたしかめる。
――なんだか変な格好?
シロサイの頭にもうひとりの敵。リカオンだ。背中を丸めて、四肢を精いっぱいに伸ばしている。それをシロサイの皮膚のしわに差しこむことでがっしりと体を固定。まるでヘッドホンのよう。ラッパ型をしたシロサイのおおきな耳を押さえつけて、塞いでいる。
リカオンは麻痺しているが、それをかぶっているシロサイには叫び声が届かず、状態異常が付与されるのをまぬがれている。単純な対策法だが、なかなかに有効。
山魈はまずリカオンを排除しようと、とがった枝の爪を向ける。けれども、その攻撃はシロサイの角でふり払われた。軽く触れただけでも、枝指は折れてしまい、暗い夜の草影に落ちていった。
バックジャンプで距離をとる。槍か剣の如き角が星の光で濡れたように輝きながら突撃してくる。さらに後方へ逃げる。マンドラゴラは様子見をしているらしく、いまは鳴りを潜めている。
超ド級の肉体を持つシロサイの圧力。植物族にとっては悪夢のような状況。ハンノキがシマウマと一緒に仕留めてくれていたらこうはならなかったのに、という考えがちらりと頭をよぎる。
しかし、相手がこういった対策をとることは想定されていた。試合の序盤にマンドラゴラとクマザサのタッグがリカオンのパーティが戦ったときにも、リカオンは同じ戦法をとっていたという。ギンドロはこうなることを見越して、この場に仲間を配置してくれている。
ここでシロサイを倒さなければ、いよいよ縄張り深くに切り込まれる。絶対につぶさなくてはならない敵筆頭。そのために必要な戦力を集中させる。
シロサイの鼻が妖しげな香りをとらえた。マンドラゴラの叫び声を聞いて麻痺しないように、リカオンが耳を塞いでくれている。目ははなっから役に立たない。サイは視力が非常に弱い。特にこんな暗い夜にはなにも見えやしない。頼りになるのは嗅覚だけ。
甘く、ほのかな酸味も感じる、とろみのある香り。
山魈の位置がにおいにまぎれる。
足元がふらつく。酩酊感が濃くなってきた。これは、花の蜜かなにかが発酵している香り。それほど強くはないが、においだけで酔っぱらいそうになっている。スキルかもしれないが、正体は不明。
口呼吸をしようとして肉体がこんがらがる。哺乳類のなかで口呼吸ができるのは人間のみ。他は鼻でしか呼吸をしない。口呼吸は失敗。結局、鼻で息をする。そうして嗅覚を使って敵を探すと、ますます酔いがまわってきた。頭の芯にまで。
鼻先を低く伏せて、地面のにおいを嗅ぐことでまぎらわそうするが、妖しい香りはすでに土にすら染みついていた。
息を止める。香りを嗅がなければ酩酊感は薄まる。だが、こんなことを長く続けるわけにもいかない。
耳も鼻も目も使えない。五感のうちのみっつもだ。
かといって味覚では敵が探れない。使えるのは触覚のみ。
分厚い皮膚ではなく角を頼る。二本の角はシロサイの誇り。この相棒たちと一緒に、いままでずっと戦い抜いてきた。
ぶんっ、と、ふる。なにかに触れた。破壊する。またふる。破壊する。もう一度くり返し。破壊する。けれど、破壊しているのはただのオブジェクトだ。敵ではない。ふる。破壊。ふる。破壊――
なにかが角に引っかかった。貫く。そろそろ息が限界だ。吸う。すると、妖しい香りが鼻の周りから霧散していくところであった。
リュウゼツランの植物族の巨大な茎が折れて、数多咲かせた黄色い花を散らせながら、樹々にしなだれかかった。
あてずっぽうの攻撃を当てたシロサイを、山魈が離れて観察している。これだけ感覚を封じられてよく戦っている。
酔いを誘発する香りはリュウゼツラン、正確にはアオノリュウゼツランの植物族のスキルによるもの。
一本の体力が尽きても次の肉体を使えばいい。それが植物族。リュウゼツランのプレイヤーは残機のひとつに操作を切り替える。大型の常緑多年草。根本付近にはアロエのように縁に棘を持つおおきな葉っぱ。放射状に生えた葉っぱの真ん中からは柱のような花茎。天高く伸びる花茎はキリンの背丈を遥かに超える高さ。そして花茎の側面に無数の花を咲かせている。本来であればリュウゼツランが花を咲かせるのは、植物の一生に一度だけという貴重な機会。けれども、このピュシスでは、植物族のプレイヤーの操作によって簡単にその機会が訪れる。
松葉のように稔る黄色い花の束が一斉に開花するのは圧巻の光景。
花が咲くと共に妖しげな香りがばらまかれる。香りを嗅いだプレイヤーを心地いい酔いに誘う。リュウゼツランが神格化された女神マヤウェルのスキル。リュウゼツランはマゲイと呼ばれ、日用品などの材料として重宝されていたが、加工品のなかでも特に重要であったのが宗教儀式に使われるプルケという酒であった。
復活した香りにシロサイがひるんだように後ずさった。酔いが深まったのか、動きが鈍い。それでも健気とも言える懸命さで、やたらめったらと角をふりまわし続けている。
山魈は角が届かない背後にまわって、攻撃を加えてみる。ものすごく硬いゴムをたたいたかのような感触。並大抵の肉食動物ぐらいであれば簡単に引き裂けるほどの力なのだが、やはり思っていた通りの頑丈さ。攻撃力不足を感じたのははじめての経験だった。
殴られたのに反応したシロサイがふり返って角を突き出す。山魈はとびのきながら、どうやってこの岩塊のような敵を倒そうかと頭を悩ませる。
やはりここは、シロサイの頭に張りついているリカオンを先に仕留めるべきだろう。耳を解放させて、マンドラゴラの叫び声による麻痺が効くようになってから、次の手を考えればいい。前方にまわりこむのは危険だが、もうすこし酔いが進めば角の勢いも衰えるはず。
じっくり戦えばいい。ひとつひとつ片付けていこう。植物族らしく、慌てず、騒がず。
そう結論したとき、山魈は自分の体力が不可解に減少していることに気づいた。スリップダメージ。まるで毒を受けているみたいだ。植物にとっての毒。
クルミの植物族が近くで枝を広げはじめていた。敵の植物族。その木陰から闇で塗られたような大柄な獣がぬるりと姿をあらわした。
でこぼことした異様な輪郭。
敵の増援を感知したマンドラゴラが叫び声をあげた。同時に山魈は獣に躍りかかる。麻痺した獣に致命の一撃を。だが、獣は麻痺することなく流れるように影のなかを移動すると、からぶりをした山魈に荒々しい牙を剥いてきた。
一本腕に噛みつかれる。激しく首がふりまわされると、樹皮が剥がれて、その下の木肌が露わになった。
至近距離で敵を感知した山魈は、山椒の実がはじけるような衝撃を受けていた。
凶暴で凶悪な獣、それが、ひときわ悍ましい装飾を纏っている。
ふたりいる。ひとりはブチハイエナ。スキルを使ってジェヴォーダンの獣の肉体になっている。そして、闇色の獣の体にはオオアナコンダがぐるぐると巻きついていた。リカオンがシロサイの帽子になっていたのと同じ。けれども、それよりもっと大がかり。耳だけでなく、全身をおおうヘビの鎧。