●ぽんぽこ14-37 穴を掘ったのは
仕留めたヒグマの死体の横で、ハイイロオオカミが星明かりを頼りに地面を覗きこんだ。
「この穴はどうしたんだ?」
ヒグマの足を引っかけた罠。ひとつではなく、いくつも開けられている。
「まるでプレーリードッグが掘った穴みたいだ。……あいつ、元気にしてるかな」
懐かしむように細い月を見上げる。かつてライオンの群れに所属していたプレイヤー。齧歯類のリス科だが、ドッグなんて名前をしてるからかイヌに興味津々だった。イエイヌが多いハイイロオオカミの群れをよく訪ねてきては交流をしていた。けれど、ずいぶん前に引退してしまったと聞く。
「モグラが開けた穴だろう」
ライオンが言うと、ハイイロオオカミは首を横にふって、
「エチゴモグラがこの縄張りで戦っていたのは一回戦目だろう。群れ戦の終了処理で地形はリフレッシュされてるはずだから、それが残ってるってのはありえないんじゃないか」
「最近、ピュシスは不安定だからな。多少のバグはあるさ」
「ふうん」眉をひそめながら「だとしたらかなりラッキーだったな。おかげで勝つことができた」
体力が尽きているヒグマを見下ろす。頭にはフェンリルの大牙による深い傷跡。
「お前は強かった。……本当に」
声には尊敬の響きすらこめられている。しかし、ヒグマに届くことはない。死体状態のあいだは、一切肉体が動かせなくなる他に、すべての感覚が最低レベルにまで低下する。感じるとしても、触れる土の冷たさや、耳元でゆれる草のざわめきぐらいなもの。
ライオンが促して場所を変える。あまり穴について追及されると困る。ハイイロオオカミが言ったとおり、穴はプレーリードッグの手によるもの。タヌキが化けて穴を掘った。
この場にいるなかでハイイロオオカミと林檎の植物族はタヌキのことを、もちろんキツネのことも知らない。いまは肉体がボロボロ。説明する余裕はないし、元々話すつもりもない。
ヒグマによる奇襲の一撃で、ライオンに化けているキツネは瀕死状態。林檎の果実を食べて多少は回復をしたが、植物族の果実では打撲や骨折といった状態異常までは治療できない。スキルで生成された黄金の果実なら別だったが、それはハスキーに盗まれた。
うっかり穴にはまったりしないように注意して足を運ぶ。背が高くって足元が見えづらいキリンを、ハイイロオオカミが先導する。
穴について、紀州犬はライオンの作戦と話していたが、考えたのはキツネではなくタヌキだった。
先程の戦闘中。タヌキはクロハゲワシの肉体を使った空中戦で、ハスキーに撃ち落されてから、とどめを刺しにやってきた讙から逃れるため、プレーリードッグに化けて地中に隠れていた。そうして、地面の下で身をこごめていると、以前、ライオンの群れとハイイロオオカミの群れで群れ戦をしたときの記憶がよみがえってきた。
あのとき、ヒグマと戦った。本物のライオンと一緒に。勝利の決め手はプレーリードッグに化けての足元崩し。地形は違うが、似たようなことができると思った。ハスキーの攻撃でかなり体力を失ったが、さいわい裂傷ひとつで済んでいる。体を動かすのにそれほど支障はない。
タヌキは穴を掘り進めて、倒れているライオンの、それに化けているキツネの元へ。地面の下からこっそり作戦を伝えると、キツネはタヌキに勝負を託した。
紀州犬がさりげなく林檎の果実を落としてくれたので、それを食べて回復。気合を入れてプレーリードッグの肉体を操る。近頃、使用頻度が高くなっているので、だいぶん使い慣れた体。ヒグマの足のサイズも把握している。それに合わせてたくさんの穴を掘っていく。
そうして掘られた穴のひとつが見事にヒグマの足をとらえて、仲間たちを勝利に導いたというわけであった。
ライオンたちは藪に乗せられた無残なダチョウの死体を見つける。キリンとハイイロオオカミで協力しておろして、木の葉の布団をかぶせると、ヒグマにふりまわされて折れてしまっていた脚も目立たなくなった。
「クロハゲワシは?」
林檎が尋ねる。ハイイロオオカミが夜の森に視線をぐるりと一周させて、
「ハスキーに撃ち落されたのが遠目に見えたが、やられたのか?」
「わからん」と、ライオンはごまかして「生きていたら後で合流できるだろう」
目の前に果実が落っことされたので、ハイイロオオカミはそれを食べて体力を回復させる。紀州犬も甘い香りにとびついた。キリンは枝から直接、果実を拝借している。
しゃくしゃくと小気味いい音を響かせながら、ハイイロオオカミは顔をあげて、
「そういえばフラミンゴも同じようにハスキーにやられたんだ。川の近くだ。鳥類にとって、あのスキルを相手するのはかなり厳しそうだな。クロハゲワシが戻ってくるか、ヘビクイワシと接触できれば、こっち側の連絡担当の代役を頼みたいところだが、ハスキーがいる限りはどうにも危険すぎる」
「これからの情報伝達にかなり支障がでるね」と、キリンは長首で空をかき混ぜるような動き。
紀州犬は足元に穴を掘って、しゃぶっていた果実の芯を丁寧に埋めながら、
「捕まえてしまえば楽だった。それでも逃げられたけど」林檎の梢を透かして星空を仰いで「呪いを付与したけど、もう効果は切れてそうだな。黄金の果実が盗まれたのが今後どう響くか」
「ごめんなさい」林檎が枝をしおれさせる「ライオンちゃんが死んじゃうんじゃないかって思って、ついスキルを使っちゃった」
「林檎ちゃんはもうすこし自分のスキルの重要さを自覚したほうがいいぞ」
ハイイロオオカミは前回の戦でも、一試合に一個しか生成できない黄金の果実を無造作に差しだされたのを思い出す。そのときは仲間のビスカッチャに盗まれていた。
「本当にごめんなさい……」
しょげてしまった林檎をなぐさめるように、ライオンがざらついた木肌に寄りかかる。
「あまり気にするな。今日はじめて群れ戦に参加したっていうのに毎回頑張ってくれている。ヘスペリデスの園のことを考えろ。ラドンがいてなお英雄から果実を守れなかった」
「もっとも」と、紀州犬。「英雄に奪われた果実はあとで戻ってきたって話だけれど、これについては返してもらうことはできないに決まってる。相手がどう使ってくるつもりか想定はしておいたほうがいいと思う」
「あのときハスキーは自分で使うことも、ヒグマに使わせることもしなかった」
ハイイロオオカミは夜空を翔けながら視線を投げかけてきたハスキーの瞳を思い返す。
「植物族は”食う”っていう行為そのものができない。使うとすれば獣だ。俺には最悪のケースしか思い当たらない」
「つまり……」
紀州犬はハイイロオオカミの言葉でひとりのプレイヤーの顔を頭に浮かべる。白灰色の長い毛足。ぺろりと垂れた耳と舌。一見温和そうにも見えるが、のびやかなマズルに狂暴な牙を隠し持っている。イエイヌの犬種のなかでも随一の体格はハイイロオオカミにだって負けていない。オオカミを狩る猟犬。
「ウルフハウンドの手に渡るかもってことだな」
言いながらライオンが乾いた咳をこぼす。
「体は大丈夫? もっと果実を食べる?」
ふたつ、みっつ、と林檎の植物族が落とす赤い果実に、
「ありがとう。けどもうこれ以上は回復できない。あとは状態異常だからな」
鼻先が向けられた胴体の一部が打撲で変色している。足がひきつっている様子から、骨のいくつかが折れているのが分かる。林檎の幹から体を引きはがすようにして立つが、すぐにふらついてしまう。
そんなライオンの調子を見て、ハイイロオオカミが険しい表情で尋ねた。
「だれにやられた?」