●ぽんぽこ14-35 泥仕合
「ゴル! それはおれの獲物だぞっ!」
吠えるチミセット。キリンの背中に乗り、長首に絞め技でもかけるみたいに長腕をまわした格好。ゴールデンレトリバーが変貌している一つ目、三つ尾の讙がひるんで、ライオンに向けた牙をひっこめた。
キリンが首をぶんまわして無粋な騎乗者をふり払う。すると、足が浮いたチミセットは、余計に強く腕をからませて、杭の牙を打ちこもうと顔を寄せてきた。
しかし、牙が刺さる直前、突然おおいかぶさってきた影にチミセットの背筋が凍る。月を雲が横切ったわけではない。地面に広がる影の形を見た瞬間に、あっさり腕を離すと、キリンの首元を蹴りつけてとびのく。その目の前を鉤爪がかすめた。すこしでも判断が遅れていれば、首をかっ切られていたところ。
白銀の大狼が星明かりに閃く。フェンリルの肉体を使うハイイロオオカミ。夜風に躍る毛並みを透かし見た先には、ダチョウの襲撃を受けている讙の姿。
「やっぱり!」と、讙。うなりをあげるダチョウの蹴りに、ラブラドールレトリバーの死体に刻まれていた爪痕が重なる。分厚く鋭い二本爪。毒性植物の林を駆け抜けてなお生きているすさまじい生命力。
「ラブの仇っ!」
三本の尻尾を巧みに操り、小回りを利かせた俊敏な動き。だが、ダチョウは翼を広げて威圧することで、動きの幅を狭めてくる。くちばしを何度も突きだされた讙は、なすすべもなく追い立てられる。
讙の肉体の素体としてのゴールデンレトリバーは大型犬だが、ダチョウの巨体からすれば大型犬も中型犬も大した差はない。一蹴するだけ。
蹴りの圧力に屈した讙は、チミセットの元まで後退しようと背を向ける。ひとりでは荷が重い相手。けれどもそれは、ダチョウを前にした者としてはあまりに迂闊な行動。鳥類の枠を超え、動物全体で上位の走力。その俊足から逃れるのは困難。キリンにも見劣りしない長い脚で讙の背中に爪の一撃。倒れたところに容赦のないとどめ。
あまりにあっさりと撃破されてしまった仲間の死体を遠目に一瞥したチミセットが牙をこすり合わせる。
「役立たずめ……」
キリンはすでに体勢を立て直している。その両側にフェンリルとダチョウ。いずれも猛者。
残った手勢のシベリアンハスキーを探して視線をさまよわせる。紀州犬を追って藪にとびこんでから音沙汰なし。
風のなかに手がかりを求めるが、土のにおいが濃く香ってきただけだった。
その頃、紀州犬とハスキーはというと、ひどく泥臭い戦いをしていた。
ハスキーが使うライラプスのスキルは攻撃を必中にする。つまり、がっちりと組み合って、お互いの体に避けようのない牙を突き立てている現在の状態では、なんの意味もない効果。
直観的に紀州犬は相手のスキルの性質を見抜いていた。もしくは、ハスキーであれば、こういった追跡型の、ねちっこいスキルを持つかもしれないという予感があった。はじめからこの状況に持ちこむつもりで、低木が密集する閉所を選んでハスキーを誘いこんだ。
押さえつける紀州犬の爪の下でハスキーの激しい抵抗。ふたりの白い毛衣が舞い散って、草葉の上にふり積もる。
「どうしてお前が……」
ハイイロオオカミと同じ疑問を投げかける。けれどもそれには似て非なる感情がこめられている。紀州犬は以前からハスキーの怪しい態度に気がついていた。ハイイロオオカミに対する執着心。ウルフハウンドのものとは違って好意ではあるらしい。自分を押しのけて、副長の座に収まろうと画策しているのも分かっていた。けれど、それはハイイロオオカミという長あっての副長。ウルフハウンドが長を務める群れにわざわざ残っている理由が分からない。
答えとして返ってきたのは牙。憎悪たっぷりの瞳もおまけでついてくる。顎に強い力が加わる。問答無用という態度。牙には牙で応じるしかない。
望むところ。取っ組み合いでの我慢比べになると、体格で勝る紀州犬が有利。ハスキーの体力が先に尽きるのは明らか。
がむしゃらにハスキーが暴れると、紀州犬の首が、すぽん、と外れた。胴体と頭が別々にまとわりついてくる。うっとうしいと言わんばかりにさらに激しく猛り狂う。しかし、勢いはすこしずつ弱まって、顎の力は心もとなくなっていった。
犬神のスキル効果により付与された呪いの状態異常で能力が低下。このままではいけないとハスキーは離脱を考える。手段を探し、鼻と耳を働かせると、漂ってきた甘い香り。においの元をたどる。林檎の果実が発する香り。近くに林檎の植物族がいる。
編みこまれた植物の向こうにかすかに見えるライオンの姿。そのそばで枝を広げている林檎。ライオンを回復させようとしている。梢のなかに稔っているのは、ただの果実ではない。鼻孔を刺激する麗しく芳醇な香り。こぼれ落ちる力強い輝き。溢れんばかりの生命力。差しだされているのは黄金の果実。
標的を定める。狙いは林檎。ライラプスのスキルを発動させると、自分ですら抗いがたい力でもって、肉体が引き寄せられる。食いこんでいた紀州犬の牙と爪とをふりきって、獲物に向かって斜めの角度で射出。
林檎とハスキーは、ふたりをつなぐ見えないゴムが突如はじけたかのようにして急速接近。イヌの爪が木肌に傷を刻むと同時に、ライオンの口元に落下しかけていた黄金の果実を、牙がかっさらっていく。
「泥棒!」
林檎の植物族の悲鳴。黄金を咥えたハスキーは慣性のまますっ飛んで、月に並んで空に浮かぶ。
続けざまに標的をキリンに定める。飛び石を渡るように空を翔けるハスキーに、チミセットが両の腕を高く高く掲げた。
「それをおれによこせ!」
キリンの頭に爪を立てて、踏み台にしたハスキーは、黄金の輝きをしっかりと咥えたまま、森へ向かって大ジャンプ。フェンリルに流し目を送り、チミセットには目もくれない。受け止めた枝葉をかき分ける荒々しい音。どさりと地面に着地。その後、足音が遠のいていく。
「くそっ!」
長腕で地団太を踏んだチミセットは、腹立たしげな息を吐く。
「ふられたな」
フェンリルの一言に、さらに怒りを滾らせ、牙を剥きだす。しかし、三方を取り囲まれてた状況では空威張りにしか見えない。正面にはフェンリル。斜め後方にキリンとダチョウ。白銀の大狼の向こうでは、紀州犬が林檎の根本で倒れるライオンの元へと駆け寄っている。
「……弱い者ほどよく群れる」
負け惜しみめいた言葉を吐いたチミセットに、
「正々堂々なんて言いっこなしだぜ」
襲いかかるタイミングをはかりながら、大狼がにじり寄る。すると、長腕がだらりとうなだれて、スキルがふっと解除された。元のヒグマの姿に戻る。
黒々とした背中が震えている。夜闇のなか、濡れたようにしぼんで見える。もはや勝機はないと諦めたのか。哀れに思ったダチョウがくちばしをさげようとしたそのとき、ヒグマはまったく衰えない闘志でもって、夜空が割れんばかりの咆哮を轟かせた。
はじかれたように突撃するフェンリル。キリンとダチョウもそれに続く。ヒグマは、どん、と四肢を大地に押しつけると、
「後悔するなよ! どうなっても知らないぞ!」
雄叫びと共にフェンリルの大牙に向かって真正面からぶつかっていった。