●ぽんぽこ14-34 長腕と長首
「ハスキー。ライオンはおれがやるんだからな。絶対に手を出すなよ。ザコの相手だけを任せる」
悪魔のクマ、チミセットが長い腕を伸ばし、梢からおりてくる。木陰がどろりと落っこちたみたいな黒々とした体。地上をうねうねと這いまわる樹の根で爪を研ぎながら、いましがた殴りとばしたライオンに熱い眼差し。倒れてしおれたたてがみに、紀州犬が駆け寄っている。
シベリアンハスキーはザコ呼ばわりされた紀州犬に視線をやって、
「キリンはどうするつもり?」
仲間を守ろうと立ちはだかっている。ライオンと戦うにしても、黙っていないだろう。撃ち落としたクロハゲワシのほうにはゴールデンレトリバーが向かったが、もしも戻ってきたら合成獣のスキルにも注意が必要。戦う相手のえり好みができるほど、まだ余裕があるとは思えない。
チミセットは軽く聞き流すと、オオアリクイの威嚇のようなポーズで長い腕を夜空に掲げて、倒れたままの王者に言葉を投げかける。
「おい。起きないのかライオン。どうした。えらく弱ってるな。マスティフとプードルがよっぽど頑張ったのか……、いや、違うな。あいつらじゃあ、逆立ちしたってできっこない。……なら植物族にやられたのか。草如きに虚仮にされるなんて情けないじゃないか」
挑発にもまるで無反応。起きあがる気配はない。
「死んだのか? それとも死んだふりか?」眉をひそめる。「ほんのちょっぴり小突いただけだぞ。えらく軽かったから避けたんだよな。そうだよな。なあ、ちょっと一声、鳴き声を聞かせろよ」口を突きだして、抗議の意思も露わに「つまらないぞ。前に使っていたスキルはどうした。ネメアーの獅子だったか。あれを使え。使えよ。おれはあれともう一度正面からやりあいたいんだ」
やかましく騒ぎ立てる声にゆり起こされるみたいにして、ライオンは薄くまぶたを開いた。斜めになった地面を眺める。ライオンならまだしも、キツネにはあの不意打ちはよく効いた。本物のライオンに比べれば遥かに脆弱な能力。体力がゼロにならなかったのが奇跡。打撲、それに骨折の状態異常も付与されてしまっている。かろうじて化けるスキルは維持しているが、身じろぎするのも難しい状態。
夜がのしかかってくるように感じる沈黙。
しばらく様子をうかがって、本当に弱っているらしいと判断したハスキーは、
「キリンの相手をして」
言い捨てるみたいにチミセットに指示をすると、紀州犬を見据える。ライオンのにおいを嗅ぎまわっていた紀州犬は、応戦すべく移動。森に落ちる木陰の濃いほうへ。分厚い藪の前に陣取る。
無数の星が浮かぶ夜空を背景にして、キリンがチミセットを高い場所から見下ろす。負けじと首を持ちあげて見返したチミセットが、
「まあいい。キリンとも戦ってみたかった。贅沢を言うならゾウがよかったが」
「ゾウじゃなくて悪かったね」
ほとんど真上からふってくる声に、チミセットは牙を鳴らして笑い、舌をべろりと垂らして見せると、長腕を長首に向けてまっすぐに伸ばした。熊手に並ぶとがった爪が、流れる風を細断していく。
戦闘開始の合図はハスキーのロケットスタート。地を蹴る音は軽く、風を切る音は甲高い。警笛のようなその音に、紀州犬は耳を伏せ、背後の藪に後退。細い枝がからまりあう閉所へと身を沈めていく。猟犬ライラプスのスキルによって速度を得たハスキーは、必中の加護に引き寄せられるままに、敵を追って藪に突っこんでいった。
チミセットがキリンに挑みかかる。元のヒグマの腕の五割増しほどの長さ。キリンの頭にまでは届かないが、首になら十分。
叩きつけるような爪を、長首をしならせて避けたキリンは、反撃の蹄をふりおろした。すると、チミセットは頭上を横切る太い枝の一本に腕を伸ばし、爪をひっかけて樹上に退避。鉄棒運動の要領で体を振り子にして勢いをつけると、キリンに向かってとびだそうとした。が、それをキリンが阻止。掴まっている樹木のオブジェクトが破壊されてしまう。鞭のように長首を使ったネッキング攻撃で、いとも簡単に樹々が薙ぎ払われる。
投げだされたチミセットは四肢をついて着地。そこに蹄がふってくる。長い腕を曲げて体を横に引き寄せると、脇腹をかすめた蹄が地面に深い足形を刻む。土と草とが舞い散って、茶色と緑のにおいが混ざった。
踏みつけから逃れようとしたチミセットは高所を探す。樹木だと破壊されてしまう。岩を見つけて、その上へとのぼるが、すくいあげるようなネッキングが迫ってきた。
長腕で抱きかかえようとしたが、想像以上の破壊力。受け止めきれずに岩から転落。一回転して頭をあげたところに、蹄が間近。ヒグマはチミセットの肉体から鬼熊のスキルに切り替え、瞬時に装備品を装着する操作をおこなった。
甲冑を身にまとったクマ。防御を固める。鬼熊のスキル効果でデメリットなく装備品を扱える。
蹄は兜にぶつかって、つるりと滑ると肩口を踏んだ。兜はひしゃげて、鎧はへこむ。鬼熊はそのまま押しつぶされ、四つん這いの姿勢になってしまうが、肘と膝を使って、すんでのところで堪えた。四肢にあらん限りの力をこめる。ここが踏ん張りどころ。押し返して、あわよくば転ばせてやる。転んだキリンは簡単には起きあがれない。首も脚もやたらと長くって、取り回しが難しい体。勝機はある。
しかし、いくら力をふりしぼっても、増していく圧力に抗えない。蹄は着こんでいる甲冑の肩から背中に移動して、その一点にキリンの全体重がかけられる。キリンの体重は、ヒグマのおおよそ四倍。押し返すどころか、押し切られて、つぶれたカエルみたいに四肢が伸びていく。そうして、ついには腹が地面に触れかけた。
鬼熊は強引に体をねじる。半身に力を集めて体を斜めに傾けると、なだらかな甲冑の表面で蹄をいなした。転ばせることはできなかったが、危機からは脱する。重圧から解放された肉体をバネのようにはじけさせ、キリンの脚に体当たりを加えようとしたが、安直な攻めはキリンにはお見通し。
蹄をついたキリンは即座に地面を蹴って走りだす。激しく躍動する脚の乱打に、鬼熊は体を丸めて身を守ることを余儀なくされる。
過ぎ去るのを待って起きあがった鬼熊は、ままならない戦いに苛立ちを募らせ、怒りで牙を剥きだした。装備品を解除。鬼熊からチミセットの肉体に戻すと、長腕で荒々しく地面を打ち鳴らす。
すっ、と背中を反り返らせると、裂けるほどに口を開いて咆哮。あまりの大音響にキリンは長首をすくませる。その瞬間、チミセットは枝を引っ掴んで、梢のなかに身を隠した。
夜影に染まる隠れ蓑をまとめて除去すべく、キリンはネッキングを放つ。が、今度は背後から、いま聞いたばかりの咆哮が響いた。
ライオンが倒れている方向。驚いてふり返る。あまりに素早い高速移動。だが、視線の先にチミセットはいなかった。ライオンのそばにいるのは一つ目、三つ尾の異形のイヌ。讙と呼ばれる怪物。その特技は鳴き真似。
讙が無抵抗のライオンの喉元に食らいつこうとするのを、
「やめろっ!」
キリンが叫んで駆けだす。その瞬間、樹上からとびだしてきたチミセットが網目模様の背中に乗りこんだ。そうして、太い長腕が長首を捉えると、がっしりと抱きしめた。