●ぽんぽこ14-33 獅子と狛犬
合成獣アンズーが呼び寄せた強風がつむじ風となって、落葉樹の森の足元にたまった大量の落ち葉をさらう。枯れ色の葉をかき抱いた竜巻が、獅子と狛犬それぞれに襲いかかった。
守護の獣たちが生成する結界、不可視の障壁が風と葉っぱをまとめて砕くが、それでもなお押し寄せる木の葉旋風があたりをくまなく覆い尽くす。星の光すら遮ぎられ、吹雪に封じこめられたかのような風景。
獅子と狛犬は襲撃に備えて身構える。風の目隠しを利用して、敵は姿をくらました。相棒すらも隠されたが、その位置は感覚的につかんでいる。次の一手についての相談などは不要。まずは結界を広げる。そうして、広げた結界を使って、煩わしい周辺の木の葉をまとめて一掃する。相棒もそう考えているはず。
強風に毛衣をさらわれそうになりながら、獅子が走りだす。狛犬とは逆方向。体が押されて斜めになるが、しっかりと大地を踏みしめ、平衡を保つ。
しかし、数歩進んだところで木の葉の帳をかき分けて、キリンの巨体があらわれた。蹄が間近に迫るのを、すんでのところで回避。
苛烈な連続蹴りに、一時後退を余儀なくされる。懐に入るのを許してしまうとは不覚。想定より接触が早すぎる。嵐を追い風として利用したのかもしれない。
すこし後退したところで狛犬を見つけた。騒がしく吹き荒れる木の葉の幕の向こう側に立っている。
「おいっ!」
呼びかける、と狛犬はふり向いて、こちらに加勢すべく駆けだした。
自分と相棒、ふたりのあいだを結ぶ線を頭のなかで思い浮かべる。線の上に立つ垂直の壁。スキルによって形成される進入禁止の衝突判定。自分たちにすら感知不能の壁なので、想像の力が重要になってくる。
キリンから逃げつつ体をひねり、位置を調整する。そうすることで、壁にキリンを衝突させ、押しのけることができる。
はずだったのだが、なんとキリンは壁が存在するはずの空間を素通りしてきた。
――ありえない。
が、ありえている。こんなことはいままでになかった。結界はインドサイやガウルに突進されても破れない堅固さ。それを、霞の如くに通り抜けるなど、やはり、ありえない。
困惑により乱れた体捌きにキリンの蹴りが食いこむ。たったの一撃で獅子の体力は大きくえぐられた。
理由は不明だが、壁の効力が発揮されていない。相棒が向こう側にまわりこんでいるが、キリンの肉体は結界を完全に横断している。あまりにも堂々とした領域侵犯。これでは守護を司る獣もかたなし。自分がただの置物同然に思えてくる。
――どう動けばいい。結界は、どこにある。
そんな迷いで生じた隙をキリンは見逃さない。容赦ない追撃。獅子の体力がゼロになるのに、それほど時間はかからなかった。
「だいぶ混乱していたようだな」
ふたりの死体を木陰に運んでやった紀州犬が戻ってくる。
チベタンマスティフとスタンダードプードルを撃破したライオンたちが、まっさらになった野原の隅で集まっていた。宙を舞っていた大量の落ち葉は、いまは大地の上で静かに横たわっている。
「緊張した……」焦燥したクロハゲワシが翼を休めようと枝を探す。けれどもあたりの森は、結界によるバリアアタックの影響で見る影もない荒地となってしまっていた。そのなかでぽつりと木立のようにたたずむキリンの背中を、結局、いつもの通りの止まり木として拝借する。
「うまく化けたな」
ライオンの姿のキツネに褒められると、クロハゲワシの姿のタヌキは照れたようにくちばしを横に向けた。
「こんな短時間で覚えて化けるなんてはじめての経験だったから、どうなるかと思った」
「俺様は心配してなかった。獅子も狛犬も俺様の姿を模した獣だ。俺様に化けるのはもう慣れっこだろ? 基礎ができあがっていれば、あとは簡単だ」
「理屈ではそうかもしれないけど」すっかりタヌキの調子になっているクロハゲワシは深く嘆息して「気持ちはどうにもならないよ」
「貴重な成功体験だ。糧にするんだな。キリンと紀州犬もよく俺様の意を汲んで戦ってくれた。ありがとう」
ライオンは涼し気な顔つき。先程まで狛犬に化けていたなどとは微塵も感じさせない態度。
いまの戦闘。夜闇と木の葉にまぎれ、タヌキが獅子に、キツネが狛犬に化けて、敵をかく乱していた。そうしながら紀州犬が狛犬の気を引いているうちにキリンが獅子を撃破。片方を倒せば、あとはなし崩し的に決着がついた。
「試合が終わったあとに、ふたりがこの戦闘について話をしたら、色々とバレちゃわないかな」
気がかりな様子のクロハゲワシに背を向けて、ライオンは休憩もそこそこに歩きだす。
「そんな暇はないさ」
「なぜそんなことが言える?」
紀州犬が小走りにライオンの横に追いついて、たてがみを見上げる。キリンは道を作るべく、ふたりを追い抜いて前へ。ゆれる背中から落っこちないようにクロハゲワシは姿勢を低くする。
「……俺様たちが勝つからさ。負ければ奴らはギンドロといさかいをはじめるだろう」
「なるほどな。ウルフハウンドの群れがギンドロの群れに吸収された経緯はまるで謎だが、あまり良好な関係じゃなさそうなのはたしかだ。てんでバラバラに戦ってる」
「そうだ。ただし、戦闘のことで言うならば、これから先のことは分からん。さっきのふたりが時間を稼ぐことに固執しているふうだったのが、どうにも気になる」
「なにか準備しているってことか」
「たぶんな」
開けた荒地から再び鬱蒼とした森のなかへ。緑の塊に切れこみを入れるようにして、キリンが樹々を伐採していく。
まだ宵であった夜が深くなっていく。細い月はほの暗く、星々もどこか沈んでいる。獣臭い淀んだ風がどこからか吹いてきた。
キリンのネッキング攻撃によって幹がへし折られる音。ライオンの息づかい。紀州犬の爪が地面を引っかく音。クロハゲワシは疲れた様子で翼をつくろっている。
「ヒグマだ」
紀州犬が鼻先をあげる。
「近づいてくる」
よくよく知っているにおい。かつてはハイイロオオカミの群れで一緒に副長を務めていた。
一難去ってまた一難。全員が足を止めて、一気に緊張感が高まっていく。
風船のように張り詰めた場に、最初にとびこんできたのはヒグマではなかった。
藪の暗がりからつきだされた顔。一瞬、ハイイロオオカミと見間違えたが、続いて見えた背中の黒で別のイヌ科だと分かる。体格もハイイロオオカミの半分以下。イエイヌの一種。シベリアンハスキー。
すさまじい勢いのハスキーは飛ぶような走り。というのは誇張どころか、ハスキーの足は実際に地面から離れて、宙に浮いていた。牙が向く先にいるのはクロハゲワシ。クロハゲワシはキリンの背を離れて夜空へ羽ばたくが、ハスキーはミサイルのように空中を飛んで追随。妨害しようとキリンの首がふられるも、ぬるりと回避してさらに天翔ける。
これも紀州犬が知らないスキル。ライラプスの効果によるもの。獲物を確実に仕留めることを運命づけられた猟犬。狙いを定めた攻撃は必中になる。それは、例え相手が空中を飛翔する鳥であっても。牙や爪が触れるまでは、ハスキーの体は獲物に向かって磁石のように引きつけられる。
逃れようとしたクロハゲワシはめちゃくちゃな軌道で空を飛びまわるも、最短ルートでホーミングしてくるハスキーの爪が翼をかすめ、切り裂かれる。
落下地点にライオンが急ぐ。受け止めようとしたそのとき、梢のなかからあらわれた太く長い腕によって、殴りとばされてしまった。
倒れたライオンのたてがみが草の上に投げだされる。クロハゲワシは吹きとんだライオンの体で打ちあげられて、森のどこかに墜落していった。
長腕が夜空に掲げられると、ハスキーをキャッチ。そうして、樹上から顔をだしたのはヒグマ。長い腕を持つ悪魔のクマ、チミセットのスキルを使った肉体。
「ようライオン。ひさしぶりじゃないか。会いたかったぞ。……どうした。おねんねか? 早く起きろ。もっと、もっと、戦わないと、おれの気がすまないだろ」