●ぽんぽこ14-31 阿吽の呼吸
まだほんのりと夕陽の残滓が漂う星空の下。落葉樹が集まる森からひょっこりととびでたキリンの頭。強力な草食属性の攻撃によって樹々を除去して道を通す。まばらな草に積もった落ち葉を踏みしめて進むのはライオン。紀州犬とクロハゲワシはキリンの背中の高台から、あたりの様子を警戒している。
禿げあがった頭は月に、鋭い眼光は森の奥へと向けるクロハゲワシ。その肉体に化けているタヌキは、ハイイロオオカミの安否を気にしていた。
すこし前に聞こえた遠吠え。紀州犬が解読してくれた内容は、こちらにくるな、というもの。敵と遭遇し、戦っているのだ。ハイイロオオカミの知らせに従いルートを曲げたが、助けに向かうべきだったのではないか、という考えが頭の隅にちらついている。
夜を告げる冷たい風が網目模様の長首にからまると、純白のイヌの毛衣や濃褐色の翼をなでて、さらにはキツネが化けているライオンの勇猛なたてがみを梳いていく。
首を伏せるようにして、ライオンが鼻をうごめかせる。風上で待ち受ける者たちのにおいがしみこんだ風。嗅ぎわけた紀州犬が、
「チベタンマスティフとスタンダードプードルだ」
「ご明察」高い位置からキリンが目視。
クロハゲワシがいつでも飛び立てる体勢をとる。ライオンはキリンよりすこし前にでると、力強い眼差しで敵を射抜いた。
星明かりが降り注ぐ森の野原。これまでと樹々の密度はまったく変わらないが、生えているのは落葉樹であり、幹に痩せたものが多いので見通しは悪くない。
まるで番犬のように左右に分かれて腰をおろしている二頭のイヌ。
向かって左が大型犬のチベタンマスティフ。マスティフ種のなかでも特にどっしりとした体形。ふっさりとした黒色の毛衣。首回りの毛色だけがやや明るく、ライオンのたてがみのように膨らんでいる。
右はスタンダードプードル。プードル種の原型である中型犬。改良により小型化されたトイプードルとは比べ物にならない大きさ。人の子供ほどの体高があり、足はすらりと長い。白の毛衣のはくるんと巻き毛になっていて、ヒツジの毛のようにふわふわしている。泳ぎが得意で、かつては鴨猟の相棒として使われていた。
敵と味方、いずれも相手の出方をうかがう。しばしの膠着状態。しかし、時間を使って得をするのは防衛側ばかり。
「クロハゲワシ。こい」
呼ばれた翼がひるがえり、キリンの背中からライオンの背中へと飛び移る。タヌキが化けたクロハゲワシは、本物の半分ほどの体重。それでもキツネの筋力のままのライオンにはきびしい負担となってのしかかる。
肉球に土のざらつきを感じるすり足で落ち葉をかき分け、ゆっくりと敵に近づいていく。敵に動きがあれば、すぐに合成獣のスキルを使う。アンズーもしくはグリフォン。最適なほうの肉体へ。
たなびくたてがみを追うようにしてキリンが続く。キリンの背中の紀州犬は、いつでも犬神のスキルで援護できるように集中している。
マスティフとプードルの二頭は講堂の間口ぐらいの距離をおいて、左と右に佇んでいる。襲ってくる気配はない。ただただライオンたちを見ているだけ。
しかし、ふたりのあいだを結ぶ線上をライオンが踏み越えようとした瞬間、場の空気が一変した。
イヌたちの肉体が変質。毛衣がうねり、波のように雄大に。目元は厳めしく、顎はがっしり、顔つきは精悍。四肢は筋肉質で、石像のように均整のとれた体躯。類似した肉体だが、マスティフはアッと威圧的に口を開けており、プードルはウンと我慢強さを示すように口をぴたりと閉じている。そして、プードルのほうの肉体にのみ額から一本角が生えていた。
マスティフがなったのは阿形の獅子。
それに対してプードルは吽形の狛犬。
神聖なる場所の入り口を守護する二頭一組の獣たち。
ライオンは前方の空間から強い圧力を感じ取る。敵がスキルを使ったことで、なにかが発生している。歩を緩めたが、一歩遅い。
鼻を打ってのけぞる。ガラスの壁に気がつかずにぶつかったみたいな間抜けな格好。まさしくそこには透明な壁が存在していた。グラフィックはないが、衝突判定がある。
獅子と狛犬がライオンたちに向かって駆けだした。
ライオンとクロハゲワシは咄嗟に合体。合成獣グリフォンになって空に退避。ワシの上半身とライオンの下半身を持つ怪物。キリンはすでに踵を返している。
透明の壁が押し寄せてきた。空から見ると、境界線がよく分かる。獅子と狛犬を結ぶ線上に結界のようなものが発生している。領域は二頭の移動に合わせて動いていた。まるで立て看板の両側をふたりで持って運んでいるような具合。
壁のような領域に呑みこまれたオブジェクトは引き倒され、草は刈られ、地面はまったいらになっていく。大型の消しゴムツールでキャンバスをなぞるように、森が更地にされていく。
守護の獣というには暴力的すぎる行動。攻撃は最大の防御とでもいわんばかり。不可侵の領域を武器として使ったシールドアタック。広範囲を薙ぎ払う様はバリアアタックとでも呼ぶべきすさまじさ。
グリフォンは空へと舞いあがり、壁を乗り越えようと試みる。しかし、上空にも依然として壁は存在した。透明の当たり判定にはじかれて体勢を崩す。墜落するグリフォンに追い打ちのバリアアタック。
更にはじかれて、きりもみ落下。なんとか翼を広げ、おおきく羽ばたき、体勢を整える。守護の獣たちから距離をとって、キリンの元を目指して飛翔。
逃がすまいと迫る獅子と狛犬。結界によって押しのけられた森の悲鳴。
と、狛犬が低い唸り声をあげた。ふり仰いで、背後に向かって額の角をふる。するりと回避したのは不気味に浮遊する紀州犬の生首。不規則な動きでもってとびこんでくると、狛犬の首元にがっしと噛みつく。
犬神のスキルで胴体から切り離された頭。紀州犬はそれを、壁の外側からまわりこませていた。
「穢らわしいっ!」
狛犬が体を震わせるが、紀州犬は食いこませた牙を決して離そうとはしない。噛みついた相手を呪って能力を低下させる効果を持つ牙。だが、相手は聖なる領域の守護者。呪いに強い耐性を持っているらしく、動きに衰えは見られない。
「しつこいぞ元副長!」
悪態をつきながら狛犬は獅子の元へと駆ける。阿吽の呼吸で鏡写しのように走る二頭が交差し、すれ違う。その途端、ふたりのあいだを結ぶ線、そこにある透明の壁がぐるんと移動し、食らいついていた紀州犬の生首をはねとばした。
引きはがされた頭が空中に逃げる。一旦、胴体に帰還しようとして、紀州犬は気がついた。
「あっ」
獅子と狛犬はすでに万全の位置取り。グリフォンとキリンの行く手を阻む鉄壁の結界。紀州犬の胴体はキリンの背中にある。そして、頭はいま、壁の反対側にあった。
結界の表と裏。離れ離れの頭と胴体。浮遊する生首が壁を横から通り抜けようとするが、番犬たちがそれを許さない。
頭と胴体が離れられる距離には限界がある。それを超えればスキルは強制的に解除される。頭と胴体が離れたままスキルの効果が切れたら、紀州犬は打ち首にあったような状態になり死亡する。マスティフもプードルも、紀州犬がハイイロオオカミの群れの副長を務めていた頃からの知り合い。実装時期が早かった紀州犬の犬神のスキルについては把握済み。こうやって頭を捕まえてしまえば、胴体を捕まえたも同然。
絶対にここを通さず、くぎ付けにしておく。いまは新しい副長、チワワが布陣を整えている最中。そのための時間を稼ぐのがふたりの使命。
紀州犬の頭を取り戻すため、グリフォンとキリンは結界を攻略せねばならない。獅子と狛犬は平坦になった森に腰をおろして、見えない壁を見定めようとしているようなグリフォンの瞳を睨み返した。