●ぽんぽこ14-29 共同戦線
息苦しいぐらいに緑の香りが充満した森の奥地。渓谷の縄張りの本拠地。寄り集まった植物族たちに肺はないが、植物も動物と同じように呼吸している。水生植物なら呼吸根、そうでなければ樹皮の亀裂の皮目から、酸素を取りこみ二酸化炭素を吐きだす。光合成はまた別で、逆に二酸化炭素を取りこんで、酸素を吐きだす。
無数の葉におおわれた深い森では光合成がままならず、なんだか空気がよどんでいる気がする。それでなくとも戦の雲行きに、夕空にかかる霞雲みたいな不透明さを感じとっていたスミミザクラは、溜息みたいな葉擦れの音を立てて、
「もう半分を越えられちゃったか。宵の内にはここまでくるかもね」
ゴールを示す光柱のグラフィックが暗がりを照らして輝いている。ギンドロの片銀の葉が光を受けて、星よりもまぶしくぎらついた。
「過大評価ですよ」と、ギンドロ。
「そうかな? なんだか思ってたよりもずっと強く感じる」
「ライオンは動物のなかでは王者ですから。これぐらいは当然です。極端な評価はいけません」
「イヌが邪魔だよ」
小鳥のタゲリが飛んできて、ギンドロの枝にとまってさえずった。
「たしかに経路が妨害されていますね」
敵がくるであろう地点に植物族を配置していたのだが、イヌが戦闘したり、遠吠えで騒ぎ立てる影響で、ルートが変えられ、いくつかの待ち伏せが空振りに終わってしまっている。基本的に鈍足である植物族に再配置を命じたとして、戦線に追いつくのは難しい。
「四本足の連中ってほんと役立たずなんだから」
スミミザクラが不満をこぼしていると、藪からちいさなイヌが顔をだした。
「聞き捨てなりませんね。心外ですよ」
チワワがふっさりとした耳を持ちあげると、スミミザクラとタゲリはそろってスピーカーを閉ざして、知らんぷりを決めこんだ。
「どうかしましたか」
ギンドロが声をかけると、つぶらな小犬の瞳が灰色がかった幹を撫でて、
「調子を尋ねにきたんですよ。苦戦しているようじゃないですか」
見え隠れする棘に、スミミザクラがなにか言い返そうとしたが、ギンドロに気勢を制される。
「スミミザクラ。口出し無用ですよ」
だまりこんだ葉っぱを貫く強烈な夕陽で野原が色ずく。怒りを含んだ花の香りが漂うと、嗅ぎつけたチワワがフンと鼻を鳴らした。
「ウルフハウンドの様子はどうなんですか」ギンドロが尋ねる。
「彼なら瞑想中ですよ」
「瞑想ですか?」首を傾げるような声。
「死んだみたいにじっとしています。引き続き私が代理を務めますので、なにかあればどうぞ」
「ジャイアントイランドとオジロヌーを撃破してくださったそうですね」
「耳が早いですね。いや、あなた方には耳がありませんでした。あるとしても、せいぜい木耳ぐらいですか」
「なんとでも。タゲリが知らせてくれました」
「小鳥ねえ」枝を見上げ、赤青緑が入り混じる精妙なタゲリの翼に目を細めると、「しかし、遠吠えに比べれば愚鈍な連絡網だ」
むっ、としたタゲリが、
「鳥だってハヤブサなんかの急降下は音速を超えるよ」
「タゲリ。あなたはハヤブサではないでしょう」ギンドロがいさめて「話を混ぜっ返さずに、スミミザクラと一緒におとなしくしていなさい」
言われたタゲリはくちばしをとがらせて、しばらくむくれ顔をしていたが、ギンドロの枝を離れてスミミザクラの枝に移動すると、鳴き声ひとつあげなくなった。
「さて」仕切り直したチワワが「これで私どもの力を分かっていただけたでしょうね。植物族にとっては厄介であろう大型草食動物を二匹も撃破したのです。ペッカリーもこちらの助けなしには倒せなかった」
「しかし、多くの代償を支払ってのことでしょう? このぐらいで威張られては困ります」
思わぬ切り返しに、チワワは垂らした舌をひっこめる。ギンドロは反射板のような葉っぱで、立ち昇る光柱の輝きを集め、草に埋もれるちいさなイヌの姿を照らしだした。
「草食動物はたしかに厄介ではありますが、天敵に対してわたくしたちがなんの対抗手段も持たないというわけではありません」
「毒、ですか?」チワワは物静かなマンチニールへ視線を向ける。
「それもひとつです」
「私どもの助力が不要だったとおっしゃりたいので?」
「そうまでは申しません。が、少々期待外れではありました」
はねのけるような冷たい言い草に、低いうなり声がこぼれる。
「虚勢は結構。そうおっしゃられるわりには、そちらはまるで敵を倒していないではありませんか」
「戦の進め方が違うのですよ。勝利に必要なのは攻撃ではなく防御。性急に結果を求めてはいけません。重要なのは時間いっぱい守り切ること。じっくりと相手を衰弱させるのが狙いなのです」
「獲物をいたぶることに関しては、イヌも負けていませんよ」
「そうでしょうとも。本物のイヌならね」
と、ギンドロの言葉に、チワワは腹を立てたようにちいさな牙を剥きだした。
「……仮想、偽物の存在なのはお互い様でしょう。あまり私たちを舐めないほうが身のためだ」
「舐めるなどと。植物族はあなた方のような下品な舌は持ち合わせておりません」
険悪な吠え声がかすかに響く。すると、ギンドロは打って変わった穏やかさで、
「共同戦線をはりませんか。まだ存分にお力を発揮できてはいないでしょう?」
「なんですって?」思わず聞き返したチワワは右に左に尻尾をふりまわして、
「どういう風の吹きまわしですか」
「消耗している方がいれば助けてさしあげます。そこのタゲリに回復スキルを使わせるといいでしょう。軽傷であればスミミザクラのさくらんぼでも間に合います」
「わたしはいや」「ぼくだって」
抗議の声があがったが、「いい加減になさい」ぴしゃりと叱られる。
「情報もお譲りします。タゲリ以外にもケツァールが連絡役をしています」
態度の急変に、チワワは訝しげであったが、回復役がいなくて困窮しているのは事実。持久戦を仕掛けるとなると、体力を維持できるのは非常にありがたい。
申し出を断る理由を探してみるが、適当なものは思いつかなかった。おずおずとうなずいて、
「そうまでおっしゃるのでしたら、お気持ちを頂戴することにしましょう」
「いつでもお力になりますよ」
「ふむ?」
さらにギンドロはイヌが植物族の指揮をとっていいとまで言いだした。これにはチワワも溜飲を下げ、協力関係を了承。布陣についての意見交換をおこない、作戦を決めると、細長い遠吠えの通信を森に響かせる。
勝ち誇ったみたいな表情のチワワが立ち去ると、スミミザクラはやっと息ができるというふうに、
「なんであんな約束をしたの? わたしはいやだよ。あんなにつけあがらせちゃってさ。やだやだ」
終わりそうにない愚痴をギンドロは聞き流して、
「いまのうちにいろいろと試してみることにしたのですよ。主導権を握った彼らがどう戦うか。手の内を見せてもらいましょう」
「でも、あんなやつらの指示だなんて……、大丈夫かな」
「飼い主こそが、実は飼われている側だなんてことはよくあることです。存分に奉仕させればいいんです。皆、うまくやりますよ」
「だったらいいけど……」
「ぼくは様子を見てくる」
翼を広げたタゲリに、ギンドロが声をかける。
「イヌは残らず回復させてあげなさい。ヒグマもね」
「……はあい」
含みありげな返事をして、小鳥が森から飛び立っていく。
試合時間はあと半分ほど。現実世界はどうなっているだろうか、とギンドロは考える。食物店に、トラたちではない別の半人が迷いこんでいないだろうか。倉庫にあった食物と水は運び出して、店に並べておいた。好きなだけ持っていけばいい。今更商売などしている場合ではないのだから。
急速に世界が変わっていく。
――追いつければいいのだけれど。