●ぽんぽこ14-24 後頭部
「ふたりともどうしたっていうんだ」
シマウマの前には背中を向けたリカオンとシロサイ。
「なあ」
反応がない。まるで剥製みたいなふたり。なぜ、動かないのだろう。シロサイはハンノキの元に駆けだそうとして、すぐに足を止めてしまった。それきり、リカオンと一緒にむっつりと黙りこんでいる。
「バロメッツは引いてくれたようだね。ハンノキは様子見をするのかい?」
言いながら首を回す。黒々とした森。影が多いからか、やけにのっぺりとしている。じっと見ていると遠近感が狂いそうだ。
重苦しい沈黙。スピーカーが故障したのだろうか。いや、自分の耳には自分の声がちゃんと聞こえている。ふたりの顔を確かめようと横に回りこもうとすると、そっぽを向いた頭は体ごと、磁石が反発するように移動していく。偶然かと思って逆回りをすると、また同じようになる。
「どうしたんだ。こっちを向いてくれないか」
近づこうとすると遠のく。
「よく分からないけど、悪かったよ」
逃げるように離れていく仲間たちの姿を追って、シマウマは蹄を動かした。
「これは幻覚なのか?」
答えはない。その代わり、遠くのほうで樹が倒れた音。ふり返ると、さっきシロサイが狙っていたハンノキの大木がぽっきりと折れて、撃破されている。
ふたりの姿は一瞬ゆらいで、すぐにまた鮮明になった。
幻覚だ。確信する。ハンノキの植物族が使うアールキングのスキルの効果。
一角獣の肉体になる。ユニコーンは他者の状態異常を治療できても、自分自身に状態異常耐性があるわけではない。自分が幻覚にかかってしまったときにはどうしようもない。
手の代わりに角を伸ばして、前方のふたりに触れようとしてみる。届かない。砂漠の蜃気楼のように求めても手に入らないもの。
見れば見るほど本物なふたり。
今度は角をふり回し、周辺に生える植物オブジェクトを伐採。暗い森に太陽の光がこぼれおちてくる。まだらに照らされた白黄黒のブチ模様の毛衣と灰色の皮膚がきらめいて、たしかな質感を主張している。
ひどく現実的だ。息遣いすら聞こえてくる。
ここは仮想世界。すべてはまやかし。それは認識している。見える光景、聞こえる音、においや感触、味。それらは個人端末、冠が脳に干渉した結果の偽装感覚。データにすぎない。けれど、それでも、完全な偽りではなかった。
太陽が昇れば光に満ちて、川が流れればせせらぎが聞こえ、花が咲いたら香り立ち、毛衣に触れればやわらかく、果実は甘いというのがこの世界の理であり、在るものが在り、モノと感覚とが一致していた。けれど、いまはその繋がりが絶たれている。在るものがなく、ないものが在る。そんな状態。
それでいて、現実的でもある不可思議さ。
体力を確認する。スリップダメージ。自分は恐怖している、らしい。自分を無視し続けるふたりに。
ハンノキを探す。敵を討てばこの幻覚も消える。消し去らなければ。そうして、幻覚に上書きされるみたいに姿を隠した本物の仲間たちと一刻も早く再会しなければならない。
リカオンは敵性NPCと戦い続けていた。あらわれては消える銀色の肉体が細い木漏れ日にひらめきながら、駆動音と共に草をかき分けてくる。機械の手が伸びる先はリカオンの首元。すんでのところでのけぞって回避。
目の前の敵性NPCが本物なのか偽物なのか、判別する術がない。音もにおいも、感触もある。五感すべてを支配され、改ざんされていることが、なによりもおそろしいのではないかとリカオンには思えてきた。当たり前のように遊んでいたこのゲーム自体が恐怖の塊なのかもしれない。
すこし気がそれた瞬間にモーターによる剛力のパンチを食らってしまう。けど、衝撃もダメージもない。幻覚はこちらに攻撃を加えられないらしい。相手は無力な幻覚。だとしても、万が一の可能性がある限り、無視することはできない。銀色の肉体が樹々の陰や、藪のなかを移動する。不意に姿を消して、あらわれたときに、本物と入れ替わっていないという保証はない。判断を間違えたとき、この世界での真実の死、消滅が待っている。
まだ体力が目減りし続けている。
どこかで樹木が倒れた。幻覚が霞となって、また収束する。
シロサイとシマウマがそれぞれ手分けしてハンノキの植物族を討伐してくれているようだ。歯がゆいが、手伝うのは難しい。肉食属性のリカオンでは、植物族の大木の討伐など、一本を折るのにもかなりの時間がかかる。幻覚を意識しながらそれをするのは、大型の草食動物だからこそできること。
一旦ひとりで退散するのも選択肢だが、仲間とはぐれるのは避けたい。川もどこだか分からなくなった。方向を見誤るとバロメッツの集団につっこんで、無駄死にすることになりかねない。
ぎりぎりまでは耐えることにする。仲間たちを信じて待つ。ふがいなさを感じながら、リカオンは幻覚に立ち向かい続けた。
シロサイは鈍い足取りで森をさまよっていた。体力の有無よりも、精神が疲弊している。吐き気がする。現実で吐いてしまわないか心配だ。体が軽すぎる。全身の皮膚が剥がれたやせたサイ。病気のサイでもここまでやせ細ることはないだろう。こんなのは自分の本当の肉体ではない。
精神と同調している肉体の変調が、そのまますべて精神の変調となってはね返ってきている。精神と肉体の齟齬によって発生した摩擦が、心を激しくすり減らしていく。
とんでもないスキル。心を破壊しにきている。
体力へのダメージなどほんのおまけ程度の効果。このアールキングのスキルの本質は邪悪。根本的にプレイヤーを再起不能にすることを目的にしているかのよう。ハンノキはそれを承知で使っているのか。それとも、自分自身で効果を受けることがないから知らないのか。
ずいぶんと頑張りはしたが、ハンノキの全滅には至っていない。まだ数本が幹を掲げて、枝を広げている。
軽いのに重い体がのろのろと膝をつき、ついにはぴたりと止まってしまう。四肢の力が抜けていき、ちいさな藪にもたれかかると、支えきれない巨体が転がり、地面の上に横たわった。