●ぽんぽこ14-22 羊雲を抜けて
真っ白な雲海が樹々の足元を吞みこんだ。大波となって押し寄せる羊雲のような大群。やわらかな綿毛におおわれた植物性のヒツジ、バロメッツたちが渓谷の縄張りの上流方面へとなだれこんでいた。
深い森を挟む絶壁は見上げても足りないぐらいに高くそびえている。天頂から傾きはじめた太陽が、濃い影を落とし、影に埋もれた森のなかでは、ヒツジたちがメエメエメエと騒ぎたてる。無数の蹄で打たれた大地が、かすかに震え、梢から葉が舞い落ちた。
暑苦しい綿毛の塊に取り囲まれたリカオンのパーティ。鼻先にある二本角をふるうシロサイが、ヒツジを串刺しにし、薙ぎ払い、叩き潰していく。植物族属性のバロメッツは、草食属性最上位の攻撃力を持つシロサイにとっては紙切れ同然。しかし、いくら倒しても、ヒツジは尽きることなく敵本拠地の方向からやってきた。
ユニコーンのスキルを使うシマウマがシロサイを援護する。背中合わせで死角をカバー。肉食属性のリカオンは相性の悪い植物族属性のバロメッツから退避して、シロサイの背中にしがみついている。
草食属性コンビが踏ん張るが、ヒツジはやられてもやられてもおかまいなしにつっこんでくる。自分の命をなんとも思っていないような無鉄砲さ。鎧のような分厚い皮膚を持つシロサイには軟弱なヒツジの攻撃など通じないが、そこまでの防御力はないユニコーンは四苦八苦。草を食む歯で噛みつかれたり、蹄で蹴られたり、団子になった綿毛の毛玉に危うく押しつぶされそうになっている
苦しそうなウマの息遣い。リカオンはシロサイからふり落とされないように注意しつつ、この状況をどうやって打開するか頭を悩ませる。
はじめは数頭のバロメッツだった。すぐに蹴散らせるだろうとふんで応戦を選んだのだが、あっという間に何十倍の数にまで膨れあがった。しかも、数が減る気配がまるでない。スキルを使用して生成された生物。これだけの数を生成するにはすさまじいコスト、命力を消費しているはず。そろそろ打ち止めになってしかるべきなのだが、その勢いは衰え知らず。
植物族は命力を貨幣として中立地帯の果実売買などで独自に稼いだりしている。が、それがあったとしても異常な量。なにかカラクリがありそうだが、いまはそれを探る余裕はない。
ユニコーンの攻撃がおおぶりになってきた。バテてきているらしい。状態異常を回復できる貴重な戦力。絶対に死守しなければならない。ユニコーンがいたからこそ、毒性植物をおそれることなく踏破できた。作った道はほとんど一直線。一番槍を任されて、敵本拠地に向けてまっすぐに森を突っ切ってきたので、現時点での進行度は一番のはず。こんな足止めはさっさとふり切らなければ、敵に休む暇を与えることになってしまう。
密度の高い樹々の隙間を塞ぐように寄り集まったヒツジたちの横長の瞳孔がリカオンたち三頭に注がれる。ヒツジがヒツジに押し出されて、どんどんヒツジがやってくる。このままではキリがない。
包囲網の突破は簡単。シロサイに突進してもらえばいい。それだけで、植物オブジェクトごとバロメッツたちを破壊して、あっという間に一本道ができあがる。悩んでいるのはどの方向に向かうか。
曇り気味の空だが雨が降りそうにはない。水が欲しい。スキルで生成されたこのヒツジたちは水を嫌うと聞いている。目指すべきは川。しかし、川のあたりはブチハイエナのパーティの担当。そちらに敵を引き連れていくことになってしまうのが懸念点。
川以外を目指す手もある。洞窟などの狭い場所にいったん逃げこむ。そうして入り口からやってきた敵を倒す。敵の攻撃を一方向に限定できれば、はじき返すのは楽。自分やシマウマはシロサイの後ろで守ってもらうこともできる。ただし、このままの勢いが終わらない場合、洞窟にヒツジで蓋をされて、封じこめられてしまうのではないかという危惧もある。
「シロサイ」声をかけると、ラッパ状の耳がくるんと背中に向けられた。
「川に向かおう。突っ切ってくれ。シマウマはシロサイから離れるなよ」
仲間と合流することに決めた。植物族相手に受け身な戦いは危険。積極的に動かなければ。ブチハイエナのパーティにはオオアナコンダとクルミの植物族がいる。オオアナコンダはニーズヘッグのスキルがあるので植物族に対してかなりの強さ。シロサイ、シマウマと協力すれば、川を背にして三方からくるバロメッツを追い返せる。そろそろ回復したいとも思っていたので、クルミの植物族にも会いたい。
シロサイは返事の代わりに、ぐうう、ぐうう、と低い気合の鳴き声をあげ、一気に地を蹴り走りだした。
大量のヒツジの足音を合わせたよりも重々しい足音。どすん、どすん、と草を踏みつぶし、土に大穴をあけていく。軽快なウマの蹄がそれに続く。
突きだされた角が、阻むものすべてを粉砕していく。木っ端が散って、ヒツジの悲鳴が輪唱となってこだました。
激しいゆれにふり回されながら、シロサイの背中に懸命に爪をひっかけているリカオンが、
「安全走行で頼むぞ!」
「しっかり掴まってろ!」
聞く耳持たず、ますます速度をあげていく。森に刃が通されたように、道が形成されていく。その切っ先のシロサイと、つかず離れず追いかけるユニコーン。やわらかい砂漠に引かれた線が砂粒に消されるが如くに、綿毛たちが空白へと流れこんでくる。シロサイは無理やりにでも押しのけて、確固たる足取りで前へ向かって進み続けた。横からすがりついてきてくるヒツジたちを、ユニコーンが角で払って、足を止めずに森を駆ける。
めまぐるしく過ぎ去っていく風景に目を回しそうになりながら、リカオンは水のにおいを嗅ぎとった。川の気配が風に運ばれやってくる。湿った風にあてられて、バロメッツのヒツジたちの足取りが鈍くなっていく。数頭が足を止め、背中を向けるものもあらわれだした。
ほのかに聞こえる渓流のせせらぎ。清浄な空気の層を突き破る。けれど、風のさわやかさとは対照的に、森は暗さを増している。分厚い樹々が乱立する壁が、渓流の姿を隠し、遠くしている。枝は重苦しく頭上におおいかぶさり、濃緑の葉が天高くにある太陽の光を拒んでいた。
ヒツジたちは追いかけてこない。けれども、まだ川までは距離があるようだ。まったく油断はできやしない。
嫌な予感にリカオンは刷毛のような尻尾をぴんと突き立てた。白黄黒の荒いブチ模様の毛衣の毛先がじっとりとしおれていく。
バロメッツを使う側は当然ながら、その弱点も把握しているはず。ならば、弱点を突かれた場合のことを想定していないわけがない。敵が水場に逃げこもうとした場合の対策が講じられているかもしれない。例えば、待ち伏せ。
植物族の気配。
どれが植物族だ、と鼻をとがらせるが、植物が多すぎてすぐには判別できない。リカオンを乗せたシロサイは走り続ける。後ろをシマウマがついてくる足音。川の流れは近いようで遠い。距離が伸び縮みしているような気がする。灰色の背中でゆられるリカオンは急な疲れと眠気を感じた。
正面の幹の陰が、ちかりと光った。銀色の人型。ぬるりと手があらわれて、五本の指を広げてみせる。
「敵性NPCだっ!」
リカオンが叫ぶと、シロサイは迷いが滲む態度ですこしずつ歩を緩めた。